9 / 20
第9話
「ハチー? どうしたの?」
呆然と俺が玄関を見つめていると、ユニットバス唐出てきたお兄さんの声が俺を現実に引き戻す。
でも、今確かに玄関からお兄さんの声が……。
「おに……って、お兄さんっ!? タオルは!?」
振り返ると、マッパのお兄さんが立っているじゃないか。
もう、全部吹き飛んだよね。
「ハチが呼んだから出てきた」
「ごめん、それは俺の勘違いだったんだけど、出てくるならタオルぐらい被って出てきなよ! 水めっちゃ落ちてるじゃん!」
「お湯だよー?」
「そんな話してねぇー」
勘違い、だよな?
だって、お兄さんはシャワー浴びてたわけだし。
玄関の向こうに、お兄さんがいるわけないじゃん。
そんな事、あり得るわけないじゃん。
聞き間違い? だよな。
「ほら、戻って戻って。風邪ひいちゃうよ? ここはおが拭いとくからさ」
「風邪なんて引かないよ?」
「いや、ひくから! 人間、そう言うもんなのっ! ほら、早く早く」
「はーい」
「もうっ! せめて急いで出来ても下は隠してよ!」
「見せて困るもんついてないもーん」
「そう言う問題じゃないでしょ! マナー!」
まったく。
確かに立派だったけど、国籍だろ!
はぁ。タオル取ってくるか。
俺はふと、玄関を見る。
でも、本当に開けてたら、誰が居たんだろう?
あれから、玄関の扉は静かなものだ。
やっぱり、俺の聞き間違いだったのかな?
「今日もご飯作ってるの?」
「んー。食材も買ってもらってるし、いい時間潰しだよね」
「本も簡単なものなら読める様になって来たじゃん?」
「それはマジで感謝してる。お兄さんの教え方が上手いんだよね」
「本当? 良かった。一通り本読める様になったら次は英語だね」
「英語ぉ? 何で?」
結構、漢字でいっぱいいっぱいなんだけど。
「何でって、私の……」
「お兄さんの?」
何?
「お兄さん?」
中々続きが降って来ず、思わずまた俺から声をかける。
最近、嫌に多いな。
「……あ、いや。覚えておいて損はないよ?」
「俺、日本から出る気ないし、いらなくない?」
「いるって。海外から来た人とも仲良くなれるし。覚えておいた方がいいって」
「仲良くねぇ……。あ、でもお兄さんもリリさんも海外の人だもんね? 可能性的にはあり得ちゃうのか」
「そうそう。それに、いつか海外に行きたいって思う日が来るかもしれないからね」
「海外ねぇ。日本でも行きたいところ沢山あるしなぁ」
「何処行くの?」
あれ?
俺はお兄さんを見る。口調も顔もいつも通りなのに、何故か怒っている様に思えたから。
気の、せいかな?
そりゃそうだ。怒る所なんてなんもないし。
「んー。取り敢えずは、富士山登りたいよね」
「山じゃん? なんもないよ?」
「いや、山があるじゃん? どうせ登るなら、でっかい山がよくない?」
「山、登りたいとか私は思わないからなぁ。どうせならエベレスト登ったら? でっかいよ?」
「あー。聞いたことある。でも、富士山なら自力で行けるし、そっちでいいかな。そんで、朝日見る」
「ご来光って奴ね?」
「そぉそぉ。それ。それ見て人生変わったって人いたらしいし、俺も人生変わるんじゃねぇーの? って思ってさ」
全部テレビの受け売りだけど。
「後は、海に行っていくら丼食べたいかな」
「海関係なくない?」
「海の恵みっしょ? で、うさぎさんを抱っこして、苺大福とか買う」
「今度苺大福買ってきてあげようか?」
「自分で買うのが醍醐味なん。ほら、お兄さん邪魔だから退いて? 俺が料理してる時、暇なら仕事してなよ」
どうせ、食べてくれんし。
「お喋り楽しんでるの。リリもハチも、私の事すぐ邪魔者扱いする」
「状況……。リリさんにも忙しい時にちょっかい掛けるからじゃない?」
「忙しくなかったですぅ。てか、話ならメシ食いながらでも出来んじゃんね?」
「いやいや、お兄さん。それは横暴じゃね? 好きなもん食べてる時は静かで居たい人もいるっしょ? お兄さんはどうなん? 凄く好きな食べ物食べる時、人にあれこれ話しかけられたら嫌じゃないの?」
俺は、別にいいけど。
「私? 私は……、うーん。別に好きなものないしなぁ」
「え!? ないの?」
「ないない。みんな一緒でしょ? 好きって特別って事でしょ? 特別って意味わからんもん」
「へー。そんなもん? あれだよ。好きなものは作っておいた方がいいよ。人生が豊かになるからね! なんてね。リリさんの受け売りだけど」
「リリの? ……ふーん? 好きなものねぇ。ハチは何が好き?」
「俺ぇ? んー。うさぎさん?」
「兎の肉好きなの? ミートパイでも作る?」
「え? 食うの? 食わんよ。普通にうさぎさんが好きなだけだよ。ふわふわしてて、小さくて、ちょっと震えてて可愛いんだよ」
「……」
ん?
また無言?
「え? 何? 何でまた黙るん?」
「……あ、いや。ちょっとわかるかもって思って」
「そう? お兄さんもうさぎさん好きなん?」
「いや、うさぎは正直どうでもいいかなぁ。でも、犬は好き。小さくて、ふわふわして、ちょっと怖がって、食べたくなるぐらい可愛いかも」
「お兄さん」
それって……。
「将来チワワや、トイプー飼った方がいいよ。ポメでもいいかも。でも、食べたくなるぐらい可愛いはヤベェね。よしよしぐらいで終わらせた方がいいよ」
「……はは。そうね。そうする」
そう言うと、お兄さんは俺の頭を撫ぜます。だから、料理の邪魔なんだよなぁ。
「お兄さん、他に好きな事ないの? 趣味とか」
「えー? ないよ? 私、生きてるだけで偉いもん」
「どんなん? それ」
「生きてるだけで役目があるって事。お兄さんレベルになると、そうなっちゃうんだよ」
「俺とレベルが違いすぎてわからん」
「世の中には信じられないぐらい頭悪い奴が多くいるんだよ。そう言う奴らは、私がいるから大人しくしてんの。そういう抑制力に祭り上げられて、もう疲れたよね」
「よくわからんけど、頑張ってんね。えらいじゃん」
「雑〜」
「褒めてんのに? 我儘なお兄さんだなぁ」
「我儘許されるんだよ。許さない奴は皆んな死ぬから」
「不穏〜」
でも、そうかもね。
許すって、そう言う事じゃん。
ちょっと、わかったかもしんない。
皆んな、死にたくないんだよな。
「ハチだけだよ。私の我儘許さないの」
「そう? リリさんもじゃね? てか、それが特別って奴じゃないの?」
「……え?」
「だって、普通はダメだけど、その人には許すって、特別じゃん? 違うの?」
ま、特別も何も、リリさんとお兄さんは恋人同士だろうし、最早それだけで特別だと思うけどな。
「……ちがわ、ないかな?」
「あるよねー。自分で気付いてない、好きとか特別とか。多分、お兄さんはそう言うのなんだと思うよ?」
よくドラマとかで見るし。
リリさんの事は少なくとも好きだろうし。
お兄さん、そう言う所バグってるもんな。分かんないのかも。
「……特別。……特別かも」
「そう。じゃ、今度は本人に言ってあげなよ。きっと、喜ぶと思うから」
「ほん……っ」
「さ、話終わりねっ? 俺今から火触るし、お兄さんはあっち行ってて。油はねたら痛い痛いだよ?」
「……えー」
「えーじゃないって。俺、腹減ってるんだから。ご飯食べたらまたお話すりゃあいいっしょ?」
「……ハチは私の事、特別じゃないの?」
「え? 特別でしょ? 飼い主だし。何言ってんの、お兄さん」
「……」
「ほらほら、行った行った」
俺はお兄さんの背中をベッドの方へ押す。
特別ねぇ。
んー。お兄さんは特別って言うより、特殊だよな。
そんな事を思いながら、俺は飯を作って胃に流し込む。
「ご馳走様でした」
「……」
「……お兄さん、マジで何なの? 何も喋らないじゃん」
「色々考えてて」
「へー。難し話?」
「めっちゃ」
「あー。じゃあ、俺にはわからん奴だ。助けらんねぇね」
「見放すの早すぎか?」
「いや、無理でしょ。お兄さん俺の一万倍ぐらい頭いいじゃん? おのお兄さんがわからんなら俺には一生分かんないと思うよ?」
「……いや、逆に人間だったらすぐわかりそうな気がする」
「そうなん?」
どんな問題だよ。
「でも、俺普通の人間じゃないし無理だよ」
「普通の人間でしょ? あ、犬って言いたかった?」
「それ別に持ちネタでも何でもないからね? ま、確かに今はお兄さんの犬だけどさ。そうじゃなくて、普通の人間がする事、なんもして来なかったし」
俺は皿を流し台に出して蛇口を捻る。
水が流れる音が、何もない部屋に響いた。
「俺、学校とかも、行ってなかったし。ずっと家の座敷牢に入れられてたからさ。普通の人間がしてきた事、なんもして来てないんだよね」
「……何で?」
「え? 何でって、家庭の事情って奴? よく知らんのだけど、俺ん家の父親、なんか頭のおかしい宗教の教祖やっててさ。俺たち兄弟全員、その宗教のおもちゃだったんだよ。あ、おもちゃっていうか、客寄せパンダ? 的な?」
客寄せパンダの名前は、神の受け皿。
神が選んだ七人の子供たちに罪や厄を擦り付ければ、神は赦して貴方を愛する。
んな事、あるはずねぇだろ。
けど、毎日毎日、肥えた蟲どもが救いという名の赦しを求めてやって来る。
汚い手を体に擦り付けて、罪を擦りつける為だと言われながら。
「だからさ、普通の生活とか、普通の人間とか、全然知らんし。全部テレビで見たことしかわかんないの」
座敷牢の前にはテレビがあった。子供達は朝の十時から夕方の四時まで、信者がこなければテレビを見て過ごす事が許されている。
それが俺たちの唯一の娯楽だった。
そして、唯一の世間と繋がる時間だった。
常識も何も知らない。けど、テレビで見た知識はある。ニュースも、ドラマも、少しアニメや人形劇、全部テレビの中で覚えてきた。
そして、俺の夢も。
結局、俺は何かに擦り付けられた様なもんしか知らないのだ。
「だから、多分手伝えんよ? わからんもん。普通の人間ならわかる事なんて」
「……ハチ」
「ん?」
「そいつらの事、殺したいと思わないの?」
殺したい?
んー。
「思わんかな。大体、殺すって無理だし、それぐらいなら、自分が死んだ方が早いし」
「無理じゃないよ! もっと私に詳しく教えてくれたら、全員殺してあげれるよ!? 私なら……っ!」
「えっと、お兄さん?」
強く肩を掴まれ、思わず後ろにたじろぐ。
なんだろう。
殺されるとか、死ぬとか、そういう怖さじゃない。
何とも言い難い恐怖が、俺の喉元から上がってくる。
何人いると思ってんの? 流石にお兄さんでも無理でしょ?
そう思うのに、この人の目を見ていると本当にこの人は平然とやってのけそうで。
そして、最後には俺の喉元まで喰らいつきそうで。
純粋な恐怖。
何も分からない。
未知なる暴力の恐怖が俺を襲う。
「落ち着いてよ。俺、本当に殺したいとか恨んでるとか、ないし。まー、普通な生活送ってみたかったてのはあるけどさ。それに、殺してどうするの?」
あまり刺激しないように。いつもの様に振る舞う様に努めて。
「彼奴全員殺しても、俺の過去、何も消えないしね?」
ヘラリと俺は笑う。
はい。
これて、話は終わり。
そう、切り上げようと思ったのに。
「……え?」
次の瞬間、俺は天井を見上げている。
何が起こったんだ?
ただ、お兄さんが掴んでいる肩が痛い。
あ、お兄さんに倒されたのか。
もしかして、これからビンタ? また床にキッスか?
えー。お兄さんの地雷全然わからん。
けど、何かいつもと違う。
お兄さんは一向に顔をあげてないし、ビンタも手も出ない。
ただ、ただ、強く握られている肩が痛いだけ。
「お兄さん?」
「……ねぇ、ハチ」
「何? どうしたの? ビンタしないの?」
「……どうしたら、ハチは喜ぶの?」
「へ?」
喜ぶ?
何で俺が?
「……ちょっと意味わかんないけど?」
本当に、どうしちゃったのさ。
何で俺が喜ぶ話になんの?
「お兄さん、本当に大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」
「私は、ハチに何が出来るの?」
俺に?
お兄さんが?
「……マジでなんもわからんのだけど、何もないんじゃない? 俺、何もお兄さんに求めてないよ?」
何かして欲しいなんて、ないよ。
それにさ。
「それに、お兄さんは俺の願い叶えんでしょ?」
一緒にご飯が食べたいです。
でも、そんな些細な願いすらダメだったんだから。
俺は諦めた様に笑う。
「……そっ!」
「そ? 何? 本当どうしたの? お兄さん、可笑しくない?」
「……ごめん、ハチ。ちょっと、私、おかしかったね」
俺が心配すれば、お兄さんは謝って俺を起こしてくれる。
あれ? めっちゃあっさり
「ん。何かあったの? 大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとう。嬉しいよ」
「いや、別に普通じゃない? お兄さんは俺の飼い主なんだし。犬だから心配するよ?」
「……うん。そうだね。私、少し出掛けるけど、お留守番できる?」
「うん? うん。良いよ」
「ハチ」
「何?」
顔をあげた瞬間だった。
「ごめんね」
そう言って、お兄さんの唇が優しく俺に触れたのは。
ともだちにシェアしよう!