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第10話

 優しく……?  いや、優しくって何なん!?  何でキスしてんの!? これ、キスだよね!? キッスだよね!? これ!  うわっ! 滅茶苦茶この人唇柔らかいなっ!? 近いと良い匂いし過ぎじゃない!? 鼻からしか息できんから全身全霊でお兄さんの匂い吸い込んでる気がするんだけど!?   てか、初キッスなんですけど?  俺の初キッスなんですけど……?  え? マジで初キッスじゃん……。  おいおいおいおい!?  どう言う事? 海外の挨拶って奴か? 突然に!? 突然過ぎるでしょ!? ラブストーリーか!? 「んんっ!?」  え? 唇こじ開けて来た!?  嘘だろ!? この人、無理やり舌入れる気か!?  いや、てか何で!?  渾身の力を入れてもがくがびくともしねぇ!  力強っ! 何でこんなに力入れてくんの!? 「んっ!」  歯茎を長い舌で舐められ、思わず口を上げかけたのが悪かった。  無理矢理こじ開けられた隙間から、お兄さんの舌が不躾に侵入してくる。  舌同士が擦れ合い、強く絡め取られ背中がピクリと反射的に動いた。  気持ち悪いじゃないけど、得体の知れないものが口の中を無遠慮に動き回るなんて初めての経験だ。  舌先で舌の根を擦られ、口が大きく開く。  閉じることも忘れて、唾液が垂れるかお兄さんはお構いなく舌の次は俺の上顎を舐め上げる。  もう、何が何だかわからない。  されるがままに強く目を閉じる事しかできない。 「……ヤバ。ハチの唾液、美味しい……」  は……?  唾液?  美味い?  漸く離された口で、言う事、それ!? 「……ひぇっ」  唾液味わう!? 人の!? 口の中の体液を!? 味わいます!?  何言ってんの!? この人!   「ハチ……」  酸欠のせいか、頭がクラクラする。  何も考えが纏まらないし、分かんない。  でも、俺の名前を呼ぶお兄さんの目を見ると、何だが……。 「……え?」  あれ? 「ハチ?」  何で……? 「お、お兄さん? 何で、目、真っ赤なの……?」    いつも真っ黒な目なのに。  何で、うさぎさんみたいに赤くなってるの? 「っ!?」  お兄さんは俺がそう言うと、俺を突き放して自分の目を手で覆い隠す。 「……嘘だろ? 何で……っ!?」 「お兄さん? 大丈夫?」  どうしたの?  こんなお兄さん、初めて見る。 「目、痛いの?」  そう、手をお兄さんに差し出そうとした時だ。  強く手を叩き落とされる。 「……え?」  こんな事、初めてだ。 「……っ! ごめん! ハチっ! 私……っ、ハチ……?」  あ、ヤバい。  俺、もしかして、色々選択肢間違えた感じ?  お兄さん、意味わからん過ぎるもん。  けどさ……。  こんな拒否り方って、あんまりじゃね? 「……お兄さん、何でそんな事、すんの……?」  俺の目から涙が溢れ出す。  自分でも何で泣いてるかわかんない。  キスはもういいよ。よく分かんないけど、もうどうでも良いよ。お兄さんが今、大丈夫なのか心配しただけじゃん。  心配じゃん。  突然、目なんか真っ赤にならんし。  目痛いのかとか、思うじゃん。 「何で……?」  ご飯も一緒に食べてくれないし。  心配するのもダメって言うし。  何で?  普通だったじゃん。  さっきまで、普通だったじゃん! 「何で、そんなに拒絶すんの……?」  俺がダメなの?  普通がわからないからダメなの?  何か悪い事したの?  何で……? 「……ごめん、ハチ」  差し伸ばしてくれた手は、俺の肩を素通りして玄関の扉を開ける。  何で……。 「高級ホテルに三時間。割り込み特殊料金含み約三百万の振り込みは確認したが……。お前、本当に友達いないだろ、ヘム」  ホテルの扉を開けて、リリは大きなため息を吐く。 「お前が親友ってだけだって!」 「親友? うわ。気持ちが悪いな」 「今はお客様なんですけど? 金払ってんかんね? こっちは」 「お前が私買ったところで、セックスしんだろ? そんな奴は客でも何でもなくってよ?」 「金は払ってますぅ」 「金は副産物だ。私が必要としてるのはセックスだ。わかるか? ああ、すまない。頭悪かったな」 「頭いいわっ! ハチにも頭いいって褒められてるわっ! ハチにも……」  そう言うと、ヘムはソファーの上で膝を抱える。 「腹立つぐらい分かりやすいな。お前」 「悩んでる親友にそう言う事言っちゃう?」 「親友〜? はぁ〜? お前と私がぁ? 気持ち悪い事言うなよ。吐きそうだ」 「私も悩み過ぎて吐きそう」 「吐くなら上からじゃなくて、下から白いもん吐き出せよ」 「逆にそれは病気では?」 「頭の病気は元々だろ? はー。コーヒー入れろ」 「お前ぐらいだよ。私にコーヒー要求してくんの」 「あったりまえだろ。こっちは無駄足なんだぞ? 折角の食事の機会を潰しやがって。お前をこき使って気でも晒さなきゃ腹が減る一方だ」 「……リリ」 「何だよ」 「リリはさ、メイディリアとキスした事ある?」 「……は?」  リリは今にも吐きそうな顔でヘムを見る。  何を頭沸いたを言い出したんだ。この男は。  しかも、本当に恋バナする中高生かと疑いたくなるぐらいにモジモジしながら此方の様子を伺ってるではないか。 「……タイムっ!」  何かの試合かと見間違う程に、リリの手が美しいTの字を作る。 「恥ずかしがってるの? 大丈夫。私とリリとの間じゃん! それに、誰にも言わないよ?」  言われた所で何の痛手もないのに? 「お前、そんなくだらん為に三百も払ってんのか? 正気か?」 「お金まだまだあるよ?」 「そうじゃねぇ〜んだよなぁ〜」  金なんて腐る程持ってるのは知ってる。  そこじゃない。 「お前、マジでヤバいな」 「真顔でそんな事言う?」 「いや、ヤバさがもうヤバい。ヤバいとしか言いようがない。質問もマジでヤバい。キスて、お前。マジか?」 「した事あるなら、ちゃんと教えてよ!」  何ギレだよ。 「その質問に答える必要あんの? なんなの? 逆にメリの体で私の口が這いずってない場所とかあると思ってんの?」 「リリちゃんったら大胆っ! 大人っ!」 「ぶん殴るぞ。お前の体もだろうがよ」 「リリとキスした事あったけ?」 「……お前、本当死ねよ。マジで死んでくれるか?」 「その為に日夜頑張ってるんじゃん! それ何ギレ!?」 「舌、こっちは千切れかけたの忘れねぇからな?」 「だって、舌にはいっぱい血管通ってるんだもん」 「おぇ。きもっ。死ね」 「キモくねぇーし。生存本能なんですが? てか、そう言う約束で私の精子あげたんだろ? 今更文句か?」 「文句はそこじゃない。何でメリとキスした事あるのか聞いてくる気持ち悪さだ。お前だって色んな奴と何億としてんだろ?」 「そうなんだけどぉ、ちょっと今回は違って……」  モジモジとかわい子ぶるヘムに腹が立つ。  純粋にキモさで。 「初めて、本当のキスをしちゃったって、言うの……かな?」  あー。うん。 「三百万は返す。帰る。お疲れー」 「ちょっとリリさん!? 何でそんな事言うの!? 私の事嫌いなの!?」  本当に帰ろうとするリリに、ヘムが泣き縋る。 「前から好きではなかったが、今一番に嫌いになった」 「そこは嘘でも好きって言ってよ!」 「だってお前、あれだけ色々忠告したのにハチ君に手を出したって事だろ? 死ね。カス」 「はぁ? 忠告なんてされてませーん!」 「しただろ! 大体、お前、本当にそう言う所だぞ!? 何人間の餓鬼一人に本気になってんだ!! 自分の立場分かってんのか!?」 「それが、愛だよね」  はぁーっ!? 「マジで殴るぞ? 言っただろ。執着するなら捨てるか殺すかしろ。取り返しのつかなくなる前にって! 何キスしてんだよ! このドアホクソモスキートン野郎はっ!」 「ハチの唇柔らかかった……。柔軟剤使ってるみたいな感じで」 「例えがクソ過ぎる。ハチ君が可哀想。で、そんな幸せなキスをしたヘムロック君が何故こんなチンケなデリヘルにお電話掛けて無理やり予約突っ込んで来たんだい?」 「そこなんだよねぇ。聞きたい?」  選択肢のない選択肢をよこす奴だなとリリは眉を釣り上げる。  こいつとは昔からの良きビジネスパートナーではあるが、一度たりとも性格があった事がない。  死にかけた時は文字通りの傷の舐め合いもした中だが、未だに理解がし難過ぎる。 「聞かんでもいいなら金払うぞ?」 「ざんねーん! 愛はお金で解決出来ないんですぅ!」 「殺してぇー。実質三百万円タダ働きだろ」 「こら女子ー! ちゃんと私の話聞いてー!?」 「早よ言えや。五秒で負わせろ」 「五秒は無理でしょ? 私、これから同じ事六万回ぐらい繰り返し言うつもりだから」 「地獄のループか?」 「まあ、地獄なんですけどね? あのね、私さ……」  それは実に下らない話だった。  五秒ではなく一秒にしろと言えばよかったと、リリは心底後悔することとなる。 「つまり、ちょっと気になる男子に付き纏っていたら、その男子の過去の女の影がえげつない事に気付き嫉妬した挙句、本当に好きかも分からず少し頭を冷やそうとした瞬間に、可愛い姿を見て勢いと思い付きでキスをしたら予想以上に柔軟剤に包まれるほどの幸福感を覚え、大人気なく舌まで入れたら本能が勝りました、と?」 「いや、多分過去はおっさん達だと思うんだよね。宗教団体みたいなこと言ってたし」 「ここは地獄か?」 「私達、地獄の釜から這いずり出た仲じゃん? 変わらんて」 「はー。下らん。実に下らん。うっざ」 「ねぇ、リリ」 「はぁ? 私どうしたらいいのって言い出すのか? 死ねよ。知るか」 「意地悪言うなよ。本当に困ってるんだから!」 「忠告を聞かんお前の問題だよ。私に助言を求めるなんて烏滸がましいっちゃありゃしない。まずは土下座でも何でもすべきだろ?」 「そう言うのじゃねぇーんだよ。ハチ泣いてたんだよ!? そんなに嫌!? 私、そんなに無理!?」 「無理だろ。自分をよく見ろ」 「カッコいいと思う」 「うぜぇ〜! もう手遅れなんだし、何も出来んだろ? むしろ、そのままやり込めば良かったんじゃないか?」 「無理だって。ハチはまだ子供だよ? もし、私を拒絶でもしようものならさ……、ハチの内臓ぶち撒ける自信があるよね。なんせ、目すら隠せないぐらい理性なんて死んでるし」 「ぶち撒けたら治せるじゃないか。解決解決」 「そう言う話じゃなくない!? ヤダよ。ハチにも酷いことしてあげたくないもん」  ヘムが深いため息を吐く。  リリにとっては此方がため息を吐きたいぐらいだ。 「ちょっとお前が何言ってるか分からない」 「何で? リリだってさ、メイディリアに酷い事したく無いとか思うでしょ!? 本当のキスした事あるでしょ?」 「本当のキスってなんだよ。言い方がキモい」 「キモくても!」 「あー。まー、最初はなぁ。あったかもしれんが気が遠くなるぐらい昔の話だろ。覚えてねぇーなぁー」  酷い事なんて何でもしているし。  拒絶しようが何をしようが、最早離してやる術もないのだ。  ならば、言い訳ぐらいは作ってやらねばならないだろうに。 「本当に、ハチの事好きかもしんないのに」 「かも?」 「まだ、よく分かんない。けど、ハチは特別なのはわかる。ぐちゃぐちゃにしたいのに、綺麗な所しか見せたくない。幸せにしてあげたいけど、引き摺り込みたい。そして、絶対に逃したくない」  それを世間では好きと言うのだとリリは呆れ返る。  しかし、いくら長く生きていたとは言え、この男にとつては初めての事ばかりだろうに。 「少し、冷静になれば?」 「冷静ですけど?」 「子供に押し付ける感情じゃない」 「でも、リリは押し付けた」 「じゃあ、人間の子供に。お前、ハチ君をどうしたいんだ?」 「それが、一番分かんない。でも、今の関係が崩れるのはヤダよ」 「今の関係って何? 飼い主と犬か?」 「……私を一人の人間として扱う所」 「それは贅沢だな。お前は、まだ化け物のだよ」  リリはタバコに火をつける。 「まだ、私達の上の上に君臨する化け物の王様だ。それが人間の男の子一人に人間扱いされたからって熱を浮かすな。それにな、神様にお前の願い事を叶えて貰えばいつでもそれは代用が効くだろ? 今だけじゃないか」 「それは……」 「ハチ君が特別じゃなくなっても、一緒に居たいと思えるのか?」  お互いの為だ。  出来れば、あの可哀想な子供をこれ以上苦しみの中に居させたくない。  手放すのがあの子に対する一番の愛だ。 「そんな気兼ねもないなら、やめておけ。早く殺せ。出来ないなら誰かに委ねろ。でないと、あの子は確実に巻き込まれるぞ?」  リリは白い煙を吐く。 「確実に、我々の地獄に連れて行く事になる」  まるで、地獄の業火から上がる煙のような白い煙を。 「あの奇襲で、向こうもそれなりに腹を決めたのはわかっただろ? 今迄みたいに、怯えて縮こまる事もない。手段も選ばん。私の可愛いメイディリア迄、火の粉が飛んでくる始末だ。それを普通の人間の男の子に? 忽ち燃えて消えてしまうよ。それとも、お前はそれでも彼の隣に居たいとただを捏ねるのか? ならば、その覚悟はあるのか?」 「……ない」  ヘムが目を閉じる。 「分かる。死んだ方がいい地獄を見せるのも嫌。かと言って、死なない様に私の仲間にするのも嫌」 「わがままだな。私には、嫌だと言う言葉には聞こえんぞ?」 「ははは。耳がいいね。リリは」 「まぁな」  「本当、どうしようかな。大体、彼奴らは何事も遅すぎる。今になってやっぱり殺したいと言われても、遅すぎるよね。私がどれぐらい待ったと思ってるのかな? ある程度、生贄の代金に残しておきたかったけど、こりゃリリの提案通りに希少価値を高める方向で動いた方がいいかもね」 「と言うことは?」 「間引くか。前もやった事あるし、余裕でしょ?」  気楽なものだ。  ま、その気楽さを許される男なのだから仕方がない。 「まずは襲撃したお仲間からか?」 「仲間なんていんの? わぉ。私より友達多いんじゃない? 嫉妬しちゃうね」 「おいおい。そんなこと言ったら、お前は嫌われ者なんだから世界中の奴らに嫉妬しなきゃいけなくなるぞ?」 「馬鹿にしてんなぁ。良いんだよ。雑魚の仲間は要らないし。それに、私はやっぱりハチは手放したくないし。花の様に育てる為に虫を殺す事にする」 「どんな形で巻き込まれるかわからんぞ?」 「そこら辺は私の力量って奴っしょ? 任せてよ」 「……はは。本当、虫はいつまで経っても馬鹿だな。脳みそが小さ過ぎる。怯えて死を待てば、少しぐらいは生きながらえると言うのに」 「ねー。本当、脳みそ入ってないんじゃない? こんなにも退屈だから、私は普通の人間になりたくなってんのにね」  腹は決まったか。  リリは静かにタバコの火を消す。  本当ならば、逃してあげたい。あの子供はいい子だ。  普通の人生を歩ませる為の時間をあげたかった。  しかし、リリにはどうしようも無い。  ヘムロックに逆らう力も、あの子を守る力もないのだから。  運が無かったな。  そんな慰めにもならぬ言葉を吐く事しか自分には出来な事を知っている。  ならば、せめても情けに。 「そうだな。あの子が死ぬ前にはなれるといいな」  君の微かに残された幸せを祈ろうじゃ無いか。 「ヘムロック」  私達化け物の王に。 「所で、ヘム。いつ私のコーヒーは運ばれてくんだよ」 「あ、忘れてた。お湯でいい?」 「あー。マジで早く死んでくれよ」  あの子の為にも。  お兄さんが出てって、どれぐらいの時間が経っただろう。  俺はまた玄関の近くで蹲る事しか出来ない。  何で、何であの人が傷ついた顔をするんだ。  俺の方が、数倍。いや、何百万倍も傷ついたのに。  純粋に腹が立つ。  もう、帰ってこないのかな。  もう、俺は犬としての価値もないのかな。 「……うぅっ」  絶え間なく出てくる涙は塩っぱい。 「何で、何でキスなんて……」  なんの意味が?  膝を抱える手に力が入る。  拒絶すら、しなかったじゃん。  本当に、お兄さんは帰ってこないつもりなんだろうか。  でも、何となく、そう思ってしまう。  ビンタならビンタの方が良かった。  まだ、ここに居たいのに。  初めて、人に優しくされた場所なのに。 「うぅ……っ。ヤダよ……っ」  あれだけ、待ち望んでいた解放だと言うのに。  それでも、ここを離れるのは、嫌なんだ。  その時だ。  玄関の扉を叩く音がする。  え? 「ハチ。ごめん」  お兄さんの声っ! 「お兄さんっ!?」 「ハチ、ここを開けて?」  お兄さんが、帰ってきた! 「うんっ! ちょっと待って!」  俺は慌てて玄関の扉をあげる。そこには……。 「えっ?」  暗闇ばかりが広がっていた。

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