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第13話

「んん……っ」  声も出ずに涙だけがハラハラと落ちていく。  出来る事は、全てした。  一時的とは言え、手足を捥がれて殺されるのも回避した。  自分の力で、乗り切ったのだ。  この地獄を。  その誇らしさがまだ自分の中にあると言うのに。  次は、絶対に殺される。  残ったのは死の絶望のみ。  現実は、いつも俺を逃してくれない。  あの座敷牢から出る時もそうだった。  わかってたんだ。のっかかってくるおっさんをなぐって万札掴んで逃げ出した時も。  この後なんて、暗闇ばかりなのに。助かるわけが、逃げ切れるわけが、ないのに。  何も無いのに。  考えれば考える程、どうしようもない自分の背中が目に映る。  現実から逃れるように、捕まらないように走り出したあの夜。  次は俺の番だと、嫌だと泣いていた時、燃やした決意は果たせばすぐに消えていった。  蝋燭の焔を消すように。  絶望だけが、追ってくる。  今もだ。  今もそうだ。  絶望だけが、首を繋ぐ。  あの時は、お兄さんが助けてくれた。  もう、死ぬと思っていたのに。  もう、無理だと諦めていたのに。  お兄さんが、居てくれた。  真っ暗な絶望の中で、お兄さんだけがいてくれた。それが本来どんな意図があったかなんて、俺にはわからない。  でも、どんな理由でも俺の隣にいてくれた。  俺の場所を与えてくれた。  俺を生かしてくれた。  それだけで、俺は顔を上げられたのに……。  けど、あれからお兄さんは最後まで帰ってこなかった。ここが何処かも分からない。きっとお兄さんも分からない。  お兄さんは、俺が家を出て行ったと思うだろう。  そうしたら、探さないよな。  探す理由が、ないもんな。  はらはらと涙は落ち続ける。  絶望が口を開けて足元から飲み込んでいく。  真っ黒な、絶望が。  このまま、静かに飲み込まれる方が楽なのか。俺は目を瞑る。その時だ。 「そう、悲観しない方がいい」  聴き慣れた声がする。  え?   「悲観は全てのスピードを緩める効果がある。思考、行動、そして命も。やめておいた方がいい」 「リリ、さん?」    顔を上げると、そこにはリリさんがいた。 「やあ。私の事を知っているのかい? 私の事をリリと呼ぶとは……、もしかしてヘムロックの知り合いかい?」 「え?」  まるで俺を知らないような口調。  いや、それよりも。 「俺、喋れてる?」  あれ? さっきまで口開けれなかったよな? 「ああ。あの陳腐な血技か。君が苦しそうだったから取ってあげたよ」 「え? マジで? 凄すぎん? ありがとう!」 「なぁに。私に掛かればお手の物さ」 「でも、リリさん俺の事、覚えてないの? ハチだよ? お兄さんの所に飼われていた犬の!」 「ふむ。見た所君は普通の人間の子供の様だが……。お兄さんとは、誰の事だい?」 「えっと、ヘムロック? でも、リリさんはヘムって呼んでたよね?」 「……ふーん。成る程、成る程。悪いが今が何年か君は知っているかい?」  リリさんは首を傾げる。 「知ってるよ! えっとへ、確か二千……」 「いや、それ以上はいいよ。成る程、今の時代は二千年を超えているわけか。成る程ね。ハチ君と言ったな。私は、君の知るリリなんて者じゃないよ」 「え? でも、お姉さんリリさんだよね?」  何を言っているんだろう?  何処から見ても、リリさんなのに。 「そうだね。私は確かにリリ……、いや、リコリスだよ」 「リコリス? リリさんも渾名だったんだね」 「渾名と言うわけじゃないけどね。ヘムがロックを外したように私もコとスを捨てただけさ。話は戻すが、私は現代のリコリスではない。少なくとも、私は現代から三、四百年程前にリコリスが残した力の残骸さ」 「残骸? 力の?」  え。全然分からん。  多分今迄言われた事一つもわかってない自信ある。 「ふむ。見たところ、君は何一つ私たちに対しての説明を受けていない様だね」  え!? そんな事も見ちゃえばわかるの!?  このお姉さんすごすぎない!? 「うん。全く聞いてない。俺、何も知らんし、何でこんな事になったのかもわかんないんだ」 「成る程、それは辛かったね。とりあえず、手足の枷を取ってあげよう」 「ありがとう。でも、何か切るものとか何処にあるか俺、知らなくて……」 「そんなものはいらんさ。私は、私にしか頼らないからな」 「え?」  どう言う意味? と、首を傾げていると、お姉さんが拳を作り、壁を殴りつける。  レンガの硬そうだった壁は一発で崩れ、その壁に取り付けられていた俺の拘束器具も床に転がる。 「次は、右だな。待っていろ」 「ひゃ、ひゃい」  マジで!?  この人、どうなってるの!?  めっちゃカッコいいんですけどっ! 「これで大丈夫か?」 「う、うん。ありがとう」 「何。数百年後の友達を助けたと思えば安いものさ」 「友達?」 「違うのかい? 恐らく、私はリコリスの残骸の中でも其れなりに残量が高い力の残骸だと思ってるよ。そんなものを見ず知らずの人間に貸すほどお人好しじゃないだろ? 私は」 「え、めっちゃいい人だよ?」 「ははは。それはないな」 「否定すんねー」 「するよ。私は私だからね。たかが数百年しか経ってなくてもわかるものさ。私は私の為にしか動かないし、動けない。そう言う制約が私の中であるからね。さて、これから君はどうしたい?」 「え? どう言う事?」  突然? 「ああ。本当に何も聞かされていなかったんだね。そのブレスレットはリコリス本人からかい?」  そう言って、お姉さんはリリさんがくれた腕輪を指さす。  お姉さんは過去のリリさんで、リリさんであって今のリリさんではなくて、リリさんの名前は本当はリコリスって言うんだけど、リリさんのコとスは捨てたらしくて、えーっと……。  うんっ! よく分からん!  リリさんとは別ならお姉さん呼びでいいっか。  もう考えるのヤだし。 「うん。お守りって」 「お守りか。君は魔法のランプというものを知っているかい?」 「魔法のランプ? んー。あんまテレビで聞かんかも」 「テレビ? まあ、いいや。知らないか。まあ、昔々の話だしね。魔法のランプとは願いを叶える精霊……? あれ? 何だったけな。まあ、いいや。そんな感じの奴が入っているんだ。それと同じで私はそのブレスレットに入ったサキュバス。君の願いを叶えてあげるよ?」 「サキュバス? て、何?」  え?  リリさん吸血鬼じゃないの?  お兄さんと同じだと自動的に思ってた。 「サキュバス知らないの? 結構有名だと思ったけどな」 「聞いた事ない!」 「知名度の低さに泣けてくるね。サキュバスは、そうだな……。精子を根こそぎ貰う仕事についてる淫魔だよ。眠り、夢を操り、寝てる人間の精子を根こそぎ奪い殺す頭の悪い悪魔だね」 「え? リリさんめっちゃ頭良かったよ?」 「ふふ。そうかい? 有難う。褒めてもらえて光栄だな。サキュバスは精子を力に変える事が出来る。私、リコリスはその変える力が並のサキュバスよりも強くてね。私は過去のリコリスが残したその力そのものさ。多少の力なら三日は使い続けられる。デカい力を使うなら三回ぐらい。その力に見合うだけの助けを君にあげよう」 「つまり?」  よく分からん。  やっぱり、リリさん頭良すぎん? 俺、今迄の説明全然わかんないんだけど。 「願い事をいい給えよ。出来る範囲まで叶えてあげるから」  願い?  そんなもの、一つしかないに決まってる。 「お兄さん……、ヘムロックさんの所に戻りたいっ!」 「成る程、了解した。ならば、ここから出ようか。簡潔でいいから今迄の事を教えてくれるかい?」 「わかった!」  あれだけの絶望が押し寄せていたのに。  お姉さんの姿を見て安心している俺がいる。  希望の光が見えた気がした。  でも、それでも。  やっぱり、俺はお兄さんに会いたいよ。 「ふむ。チェスタロス卿がねぇ……。あの老人が出てくると言う事は、この数百年の間に何かあったのか」 「どうする?」 「取り敢えず、ここから出る事は確定事項だ。出てから気配を頼りにヘムロックを探す。しかし、チェスタロス卿には出会わない事が前提だ。三回しか使えない力では彼は抑えきれない」 「あのクソジジイ強いの?」 「あはは。クソジジイって。いいね。君、中々面白いよ。そうだな。とても、強いよ? 私ぐらいの残骸では絶対に勝てないぐらいにはね」 「そんなに?」  あんなに壁ボロボロにしたのに? 「それに、君に施した血技を見る限り、あの老人は何か力を残す理由がある。普段、そんな陳腐な力など使う奴じゃないからね」 「……その陳腐な力にも俺無力だったんだけど……」 「君は人間だからね。仕方がないさ」 「やっぱり、俺月血って奴じゃないよね?」 「それは、何とも。月血って奴は、吸血鬼の間で流れる伝説の生きものだからね。サキュバスである私にはわからないかもしれないし、そうじゃないかもしれない。しかし、随分とメルヘンな脳みそだな。チェスタロス卿も」 「うん。それはマジで思う。やべぇね」 「はは。そう、ヤバいな。頭が。関わると私たち迄馬鹿になりそうだ。さっさと出て行くに限る」  お姉さんは俺の手に部屋に灯してあった蝋燭がのってる奴を渡してくる。  何って言うんだ? これ。  灯籠?  提灯?  ランプ? ランタン?  いや、なんか、蝋燭剥き出しの奴。  よく、昔の金持ちの家にありそうな。そんな奴。 「ここは影の中だからね。光は届かない。これを持っていくといい。さ、行くよ?」 「うんっ!」  お姉さんは俺の手を引き歩き出した。 「薔薇とか買っちゃうとか、浮かれてんなぁ〜」  花屋から出てきたヘムにリリは呆れた声を出す。 「浮かれてませーん。てか、何でリリもついてくんの? 冷やかしじゃん!」 「冷やかしじゃねぇーよ。ハチ君の身の安全を守ってやろうと思っただけ。ハチ君の最初が無理矢理とか可哀想だろ?」 「お前は私を何だと思ってるわけ?」  やっぱり、冷やかしじゃないか。 「何だよ。予約の時は帰るとか言ってたくせに、アフターこそ帰れよ」 「次の予約入ってないんだよ。お前こそ、三時間うじうじしてたくせに、帰る時になって急に花が何やら言い出しやがって。滅茶苦茶面白かったじゃないか」 「お前、爆笑する時鼻水出すのやめた方がいいよ」 「そこコントロール出来る奴いないだろ。チャームポイントだ。存分に可愛いと思えよ」 「汚いよ」 「少し抜けている方が可愛げがあるってるもんだ。で、帰ったらまず何から話す気なん?」  リリが面白がりながらヘムを突く。  この女、絶対に楽しんでいるなと睨みながら、ヘムはため息を吐いた。  どうせ、同席させられるのだ。言っても言わなくても一緒だろ。 「まず、全部謝る」 「全部?」 「自分の事を隠していた事に、勝手にハチの過去を調べようとした事、全部。後……、勝手にキスした事……とか」 「……聞くんじゃなかった。気持ち悪いな、お前」 「言わせといてそれ!? ちょっと反省してるんだよ。ハチも、唾液美味しいって言ったらドン引きしてたし」 「気持ち悪っ!」 「だから、それも謝るって! ちょっと反省してるけど、体液だと思うとテンションあがるじゃん! 私達そう言う種族だよね!?」 「いや、私は精子以外は全然」 「何でそんな顔すんの!?」 「ヤベェ奴がいるもんだなって思ってるから」  それでも逃げ出さずにいるハチの心境もリリにとっては分からない。  嫌なら拒絶ぐらいする筈だ。  まして、ヘムは同性。男なわけだし。  しかし、拒絶をしたのは自分の正体がバレそうになったヘムからと来ている。  これはひょっとすると……。 「今回は出歯が目かなぁ……」 「え? 私出っ歯? え? 歯の経年劣化?」 「死活問題な聞き間違いだな。ま、面白そうだし、いいんじゃない?」 「いや、普通に困るよ。せめて人間になってからにしてくれよ」 「そのうちなるさ」  全く脈が無いわけでも無さそうなところが、また面白いのだから。  二人はくだらない話をしながらヘムの部屋に向かった。 「うっわ」  しかし、着いて早々にリリは玄関の扉の前で来た事を後悔する事になる。 「え? 何? なんかある?」 「何かって、なんか過ぎるだろ。何これ、殺人現場?」  玄関の周りには血と言う血が夥しい量付着しているではないか。 「え? 全部私の血だけど? 普通の人には見えないからいいでしょ?」 「何が起こったらこうなんの?」 「私も初めてなんだけど、絶対ハチを逃さないと思った結果、何重にも血の結界を上書きした結果こうなりました」 「結界じゃねぇだろ。固めてるだろ、これ」  重いとかの問題じゃない。  最早、病んでいる。 「だって、本当に逃げ出すかもしれないって心配だったんだもん!」 「怖。キモ」 「いいたい事は分かるけど、それ以上は泣くよ?」 「それも怖いわ。え? こんなにも無駄な力の使い方ってあんの? 頭悪すぎてヤバいな」 「それぐらい本気なんだからいいじゃんっ! 今から結界解くから退いてよ」 「力が有り余ってる奴の無駄遣いって、本当に純粋な無駄しかないんだな」 「喧嘩の売り方が雑〜。後で絶対買ったる〜」 「はは。慰めてやる手間が省けていいな」 「両思いだから大丈夫っ!」  上機嫌でヘムは血の池を踏み上げる。  赤くこびり付いたは瞬く間に黒に色を変え、彼の中へと入っていった。 「その自信、何処から来るんだ?」 「えー? 自信ないよ。結局考えて最後には勝手につっぱしちゃったし。けど、絶対逃がさないし、好きにさせる。これは努力でも願いでもない。私の力で絶対に」  好きかもしれない。  今はよく分からない。でも、わかってからでは遅い事ぐらいはわかる。  ならば、相手に自分を好きになってもらうしかない。  理由が欲しいのだ。  長く生きていると、何かと狡くなってしまう。  理由を欲しがるのもその傾向だろう。 「全力で好きにさせるから」 「はは。子供相手に大人気ないな」 「リリには言われたくなかったなー」 「どう言う意味だよ」 「そのままじゃん? さーて。ハチー! ただい……」  ヘムが上機嫌で玄関の扉を開けた。  しかし、そこに広がっていたのは……。 「どうした?」 「……ハチが、居ない?」  少し荒らされた部屋と、誰もいない部屋。  それだけだった。

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