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第15話

「お姉さんっ!」  どうしようっ! お姉さんが吸血鬼達に囲まれて……っ!  あのクソジジイの爪を俺は直様思い出す。  いくら壁を壊す程力が強くても、あんなよく分からんのに切り裂かれたらお姉さんもっ!  ヤバいっ!  どうにかしないとっ!  でも、俺に……。  俺に何が出来る?  途端に、足がすくんだ。  何とかしなきゃと思うのに。  けど、俺は。  誰よりも弱い。普通の人間じゃないか……。 「いい判断だ。じっとしているのが一番賢いし、一番死なないよ。こんな馬鹿の様に普通にはね」  お姉さんの声がすると、お姉さんの方から爆発音が鳴り響く。  湧き上がる炎と煙。  それに風。  俺自身もコロンと背後に倒れ少し吹き飛ぶ。  痛い。  頭、マジで打った。  それよりも、爆発? 「え……?」  爆発?  え? 何で?  朝やってる、いろんな色が出てくる番組の後ろみたいになってる?  てか……っ! 「お姉さんっ!? お姉さんっ!」 「何だい? 呼んだかい?」  火の粉が飛び散り煙が上がる中、パンっと手を叩く音がするとそれらが一様に吹き飛んだ。  その中心にいるお姉さんは、無傷で俺を見て笑う。 「安心してくれ。残骸にモスキート達に吸わせる血はないよ。むしろ此方が精子を吸い上げたいぐらいだ」 「お姉さんっ! 無事だったんだ!」 「ははは。あの程度で心配? 君面白いね。君は大丈夫なの?」 「俺は平気だけど、頭打った!」 「そうか。大丈夫そうでよかった」  大丈夫なのか?  ま、死なんかったし、大丈夫っしょ! 「うんっ! 今のお姉さんが使う魔法?」 「魔法? ああ、人間達が好む奴ね。私達に魔法と言う概念はないから些か説明は難しいが、アレは私がやったよ」 「強くない!? すげぇ!」 「有難う。でも、まだ終わってないからね。少し大人しくしてくれるかい?」 「うんっ!」 「決して、その燭台を離してはいけないよ?」 「燭台?」 「君が持ってる蝋燭立ての事だよ」  ああ、燭台って言うのね。  灯籠でも提灯でもやっぱりなかったか。 「さて。矢張り、この中にメイディリアの坊ちゃんは居なそうだな。少し期待していたのに。詰まらん時間になりそうだ」  お姉さんはため息を吐くと手を叩く。  すると、突然一人の吸血鬼が爆ぜた。  うわっ。グロっ。  色々出ちゃってるけど、飛び散った赤いのが動いてる!? 「うげぇ……」  普通に気持ち悪い。 「ああ、見た目が悪いな。吸血鬼って奴は中々死なないんだ。こんな風に中から爆発させても、生きていられる生き物なんだよ。だから面倒くさいけど……」  お姉さんはまた手を叩く。  すると、飛び散った肉片から炎が上がり燃え盛っていく。 「燃やすしかないんだよな」  グロいはグロいけど、燃えてるなら肉と変わらんのか? 頭、結構バグって来てるな。色々急展開すぎんし。仕方がないのか? これも防衛本能って奴?  てかこれ、魔法じゃないの?  魔法だよな? よく分からん。  よく分からんのは、今の状況もだよ。  お兄さんがキスしてからなんの呪いだと疑いたくなるぐらい急展開過ぎで頭がついていかなかったけど、冷静に考えれば考えるほど、事態が何一つ現実的じゃなさ過ぎて脳みそがログアウトしそうになる。  吸血鬼、月血、サキュバス。よく分からんけど、お兄さんやリリさん、あのジジイ達が人間じゃないって事はわかった。  正直、お兄さんが人間じゃないって聞いた時は色々と吹っ飛び掛けたけど……。  少しだけ納得できるところもあるのも事実だ。  今迄、マフィアだからと思ってたけど、人間金と権力があっても出来る事とできない事がある。  その一つは、死にかけの俺を助けた事。  あれたげボコられて刺された俺は、翌日無傷で起き上がった。傷なんて何処にも見当たらない程に。  確かに俺が昏睡状態ですっと寝てれば、傷が癒えることもあるかもしれないが、傷口がないと言うのは些か不可解。  そして、犬として飼いたいと言っていたお兄さんが、それ程長期で俺を保護し治すのも道理に合わない。  今は、分からんけど。  俺が餓死で死にかけた時は、本当に心配してたし。けど、初対面の時にそれ程情があったかと言われればないだろうな。  なんとなく、めっちゃ挑発されたのは覚えてるし、俺も殺そうとしてたぐらいだし。  そして、もう一つ。  さっきも出た、餓死しかけた時だ。  本当にあれは時間が経っていなかったのかと疑いたくもなるが、ペットフードが無くなるし、俺は少なくともペットボルトに水を貯める作業を十回以上はしていた。  数日では些かおかし過ぎるスピードだろ。  確実に、一、二週間は経っていた筈だ。  そんな人間がお兄さん達が帰ってきて直ぐに起き上がれるか? あっても痩せ細って顔色が悪くなければ可笑しいだろう。  こればかりは、金でも権力でもどうする事も出来ないものだ。  多分、それらはお兄さんやリリさんの不思議な力のお陰だろうな。  お兄さんとリリさんは人間じゃない。  リリさんに至っては、お姉さんみたいな分身が目の前で手を叩いては爆発させ、燃やしてる所を見れば実感が嫌でも湧いてくる。  そのリリさんがお兄さんの事を強い勝てないと言うぐらいだし、お兄さんも立派な人外なんだろう。  でもさ。  冷静になればなる程、このあり得ない話が怖くなくなる。  普通、もっと怯えたり拒絶したりするもんじゃないの? 普通もよく分からんけど。  俺は、ただただ納得しか出来ない。そうなんだ。へー。なるほどね。それぐらいのただの言葉が積み重なって行くだけ。  自分でもどうかと思うよ?  俺のこと、餌だと思ってたかもしれないわけでしょ?  リリさんは、違うかもだけど、お兄さんはわかんない。キスもさ、ちょっと勘違いしそうになったけど、あれは一種の味見的な?  美味いとか言ってたしさ……。  普通、そんなこと言う? 絶対餌じゃん。  けどさぁ……。  何って言うか、苦しんで死にたくないし、痛いのは絶対嫌なんだけどさ……。  悪くないって思ってる自分がいるのが一番ヤバい気がする。  お兄さんに殺されるの、嫌だけどさ。  最後の最後で絶対に恨みそうだし、酷い事言いそう。いや、それ以上に殺されるわけだし、酷い事されてるわけだから、それぐらいは仕方がないにしても。  でも、その直前までは、自分でも引くけど、満更でもない気がする。  お兄さんの役に立ってヤッピー! とかでは無いんだけど、皆んながお兄さん直ぐに殺すタイプの吸血鬼って言ってくるからさ。  まだ恥ずかしい勘違いしちゃってるんだよね。  俺だけが特別って奴。  いや、絶対にそんな事ないんだけどね? ただの気紛れ。気分が許される人なんだからさ、突発的な行動に意味を持ってる場合の方が少ないと思うよ。  けどさ。  わかってても、ちょっとだけ……。  優越感を感じている自分がいる。  馬鹿もここまで来ると、本当の馬鹿だなって自分でもわかるけど……。  こんな場面に来て、自分の事もよく分からんくなってきてる気がする。  どうしちゃったんだよ、俺……。  優越感も何も、お兄さんにはリリさんがいるわけだし、俺勝ってる所何も無いのに。 「こらこら。こんな場所で考え事をしてるもんじゃないよ?」 「へ?」  俺が顔を上げた瞬間、赤い目の吸血鬼が俺に向かって襲い掛かろうとしていた。 「ひっ!」 「大物だね。けど、油断は禁物だ」  その吸血鬼の後ろから、お姉さんの腕が伸び、頭を掴み潰す。 「わっ!」  そのせいで、俺の顔まで血が掛かってしまった。 「ごめん、ごめん。顔射だね」 「がん、しゃ?」  何それ?  お姉さんは謝りながら吸血鬼の死骸を踏みつけると火を放つ。 「……赤ん坊に通じるネタではなかった様だ。次は気をつけるけど、君も気を付けて?」 「う、うん」 「さて……。粗方片付けたが数匹逃した。私の力不足で悪いが、不味いね。あいつらは恐らく、チェスタロス卿を呼びに行ったんだろう。ここから早く離れた方がいい」 「お姉さん、もしかして……」 「数が多いからね。大きな力を使ったよ。これで残り二発。扉分を残せば、残り一発でチェスタロス卿を凌ぐは難しい。何とか逃げ切る事にシフトするよ」 「う、うんっ」  やっぱり。  力をかなり使っだんだ。  大きい力を使わなくても、あれだけの数で随分と力を削られた事になる。  吸血鬼ってよくわかんないけど、人の形をしてるし、俺たち人気よりも上位種族と言ってたぐらいだからそれなりに知恵も働くんだよな……。  このまま行けば、間違いなくジリ貧になる。 「あ、あのさっ! お姉さんっ! お姉さんの力って回復しないの?」 「ん? 私の?」 「例えばだけど、俺の血とか何かとか飲んで力回復できない?」  お姉さんの力を回復する方法さえあれば……。 「無理だね。まあ、サキュバスである限り、食べるのは精液だけど、君の精液を食べた所で私は回復しない。私はあくまでも、使い切りなんだ。力を使いきれば消える。それだけ。継ぎ足しできるもんじゃ無いよ」 「そうなん? それって、お姉さんが死ぬって事?」 「死ではないかなぁ。何と言った方がいいんだろう? 使い捨ての道具は使えばそれで終わり。それと同じだよ。私に死と言う概念はない。本体から切り離された力が、本体を投影して動いているだけなんだ。本来なら、何も無いのに」 「ごめん。難しくて全然わからん」 「私も力不足ですまないね。本来の私達の使われ方は非常食の様なものなんだ。本体であるリコリスが力を大量に消費した時にチャージされる養分と言えばいいかな。本当なら、この形にもならないし、喋る事も動く事も自我を感じる事もない。今は、君の生気……。生きる力を通して起動しているだけ。私の事を気にしてくれてるのかい?」 「うん……」  お姉さんが居なくなったら困るし、それ以上に、俺なんかの為にって思うと自分が消えてなくなりたくなる。 「優しいな。人間とは概念が違うからね。気にしなくてもいい。それに、一時とは言え自我を持てて楽しかったよ? 君が持っていてくれて良かった。きっと、ここから出れたらリコリスが新しいブレスレットをくれる筈だ。その時は私では無い私とまた仲良くしてくれると嬉しい。まあ、一番は私を呼び出す必要が無い事だが……。多分、君には無理だろうしな?」 「何で?」 「何でって。君、私たちと君達人間の違いもわからないからだよ。子供がよく消えていなくなる話を知らないかい? 大人よりも子供の方が多いのは子供は私達化け物と自分たちの違いを知らないからだよ。知らないから、人間と同じように接してしまう。接してしまえば最後、我々は連れて行くしか無い。仲間かどうかも分からないからね。君は今、この忠告を聞いても、それをやめる事も理解する事も出来ないだろう。だから、お姉さんから最後のワンポイントアドバイスだ。人間なんて、生きてりゃなんとかなる。使えるものは、何でも躊躇なく使い壊せ。一秒でも長く生きる事を考えなさい。さすれば、君のようなタイプは自ずと生き残れる筈だから」  そっとお姉さんが俺を抱きしめる。 「え?」  お姉さん? 「動かないで」  その瞬間、耳に金属がなる様な音が突き刺さった。  何だ?  しかし、その答えはすぐに分かる。お姉さんの背中に夥しい量の刃が刺さっていのだ。  俺を抱きしめたのは、もしかして、庇う為……? 「どうやら、読みが甘かったようだ」  お姉さんの口から、血が垂れてくる。 「お姉さんっ! 血っ! 何……っ!?」 「なーに。こんなかすり傷はどうでもいいんだよ。まだ、狼狽えなくても良い。狼狽えるのは、私が消えた後にしてくれ」    お姉さんが俺の口をそっと塞ぐ。 「もう、声を上げちゃダメだよ。君は、私を使い壊してでも生き残らなきゃいけないからね。約束だよ?」  何を……。  俺が再び口を開ける前に、聞き覚えのある萎びた声が降ってくる。 「リコリスともあろうものが、この程度の力を避けきれないとは……。流石下級悪魔と言ったところか?」 「チェスタロス卿。あいもかわらず、無駄に生きていらっしゃる事で。あの時の様に怯え隠れなくても良いのか?」 「そう言えば、貴様も居たな。あの場に」 「ええ。貴方の血族、沢山嬲り殺したからな。皆、汚い悲鳴を聞かせてくれたよ。吸血鬼様とは思えぬ悲鳴をね? 下級悪魔如きに。はは。おもしろ。雑魚の親玉がでかい顔して今更出てきた所で何だと言うのか?」  お姉さんが、俺の持っている燭台を触って、口を動かした。  それは音としては聞こえなかったけど、口の動きで何を言ったのかは分かる。 『動くな』  きっと、何か力をこの燭台に使ったんだろう。  俺はきゅっと口を閉じて燭台を握りしめる。  馬鹿な俺でもそれぐらいはわかるよ。お姉さん。 「良かろう。とくと身に刻み死ぬがいい。我らが同胞達の恨みをここで晴らしてやろうではないかっ!」  ジジイがそう声を上げると、彼の周りに無数の赤い刃が生成されて行く。  血の様な赤い刃。 「肉片一つ一つを同胞達の墓に添えてやろう」 「悪趣味なバーベキューパーティーだな。テメェの萎れたちんこでもソーセージにしてろ」 「存在自体が下卑た淫魔がっ! 細切れにしてやるっ!」  ジジイが手を叩くと、生成された赤い刃がお姉さん目掛けて降り注ぐ。  こんなもの、避けようが無いっ!  お姉さん、どうするつもりなんだよっ! 「フニャチンはお呼びじゃねぇーんだよっ!」  お姉さんは拳を握りしめると、拳一つで刃を殴り折る。  え?  物理!? そこはこっちも魔法じゃ無いの!? 「あっはっ! フニャチンよりも芯がねぇーなぁー! おいっ!」  お姉さんは拳と脚で次々に自分に向けられる刃を折っていく。  言ってる事は多分下ネタなんだろうけど、ヤバいぐらい強いのは分かる。 「下級風情が……。女王と呼ばれて粋がって恥を覚えぬのか?」 「おいおい。嫉妬か? 此方から女王なんて呼んでくれと頼んだ覚えは一度もないが? お前らみたいな雑魚が勝手に私の力に怯えてそう呼ぶんだろ? あはっ! 雑魚には分からぬか? 力を持つ者の気持ちがっ!」 「よく回る口をしておる。ならば、その口、広げてやろうっ!」  あっ!  いつの間にっ!?  上から落ちる刃に紛れて、横から赤い刃がお姉さんに向かって斬りかかる。 「無駄な細工ご苦労だなっ!」  お姉さんが拳を振り上げ、上の刃を壊した後、そのまま肘で横の刃を砕いた。  め、めっちゃカッケー!  強ぇー! お姉さん、そのままあのジジイ倒しちゃうんじゃ無いの!?  そんな能天気な事を考えていた自分を、俺はこの後心底軽蔑する事になる。 「阿呆が」  吐き捨てる様なジジイの声。  負け惜しみか? そんな事を思っていたのに。 「がっ!」  横から斬りかかられた逆側の側面を、赤い刃三本がお姉さんに突き刺さる。  顔、腹、脚。  全てにおいて、貫通している。 「っ!」  お姉さんっ!? 「すまんな。横に穴を広げてしまったが、許して欲しい」 「……構わんさ。老い先短い老人は目も見えんからな。それにちょうど良かったよ。先程からが弱い私がクソみたいなもんを折りまくってるお陰で、可愛い御手手が痛くて痛くて。丁度剣が欲しかった所だ」  お姉さんは、口の横に刺さった刃と、足に刺さった刃を抜くと、静かに構えた。 「最後の最期で気が効くじゃ無いか」 「勝てるつもりで、まだいるのか? 愚かな事だ」 「ははっ。隠れてた奴の台詞かよ。笑えるねっ!」  お姉さんは大きく地面を蹴って宙を駆ける。  次々と自分に向かい降り注ぐ刃を、躱し、砕きながらあのジジイに向かって。 「その髭、引き裂いてやんよっ!」  高く飛び上がったお姉さんが、刃を振り落とす。 「戯言をっ!」  爪だ。俺の服を切ったあの長い赤い爪っ!  あの爪でお姉さんの刃を軽々と受け止めてしまう。 「軽いなっ!」 「当たり前だろ。こちとら可憐な乙女だぞ? なめんな」 「はっ! 馬鹿がっ! 後ろがガラ空きだっ!」  その刹那、お姉さんの背中に向かって無数の刃が突き刺さる。  刃なんて、何処にもなかったのに!? 何で!? いつの間に!?  お姉さんは刃を握る力も残っていないのか、だらりと手を下に下げた。その瞬間、あのジジイの爪がお姉さんの体に食い込む。 「抜かったな! 淫魔如きがこの我らに勝とうなど天地が逆になってもあり得ぬわっ!」 「そう自分を卑下するなよ、雑魚が。可哀想になるだろ?」  そう言って、お姉さんは、ジジイの爪を手で握った。 「その淫魔如きに、一発デカイの喰らうんだからな」 「なっ!?」 「私の全ての生気をよく味わいなっ! クソジジイっ!」  赤く爆ぜる。  お姉さんが。  炎と煙の匂いが、離れている俺まで届いた。  まるで熟した柘榴が裂ける様に。 「……お姉さん……っ」  涙が溢れそうになる。  でも、もう俺の声は、お姉さんには届かないのだ。

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