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第16話
まだ、何もお礼すらも言ってないのに。
まだ、たくさん喋りたかったのに。
まだ、一緒にいられると思ったのに……っ!
お姉さん……っ。
「下級淫魔風情が、我等に傷をつけるとはっ!」
嘘、だろ?
俺は喉を引き攣らせ、上を向く。
お姉さんの一撃を喰らったはずなのに……。
なんで、こいつは生きているんだ……?
「我等の右腕全てを吹き飛ばすとはっ! 実に忌々しいっ!」
右腕をお姉さんは最後の力で吹き飛ばしたと言うのに。
声が漏れない様に、必死に自分の手で口を塞ぐ。
右腕があった場所はクレーターの様に凹んでいると言うのに。
地面に散らばった血が無くなったその腕を作る様に這いずり上がって見る見る腕を形成して行く。
こんなん、実質無傷じゃんか!
「……しかし、あの女をここで仕留めたのは気分が良い。ヘムロックの威を狩る女狐が死んだと思えば、我々の腕など安きものよ」
声は出せない。
動けない。
小さく震えながら、彼奴が去るのを息を殺して待つしか俺には出来ない。
お姉さんが、命を掛けて守ってくれたのに。
何も出来ない自分が情けなくて、こんな時に死にたくなるなんて……。
でも、彼奴に殺されるのだけはごめんだ。
何としても、生き抜く。
生き抜いて、生き抜いて、生き抜く事しか出来ないのなら。
それが、せめて俺に出来る事なら。
生き抜くしかないだろ。
一人でも……っ!
「なぁ? そうは思わぬか? 月血の小僧」
「っ!?」
今、何て?
まさかこいつ……。
俺の事、気付いてる!?
「あの女狐め、とんだ小細工をしおってからに……。まあ、いい。あの女も無駄死にしたわけだしな」
俺の事、気付いてるけど分からないのか?
お姉さんが最後にしてくれた燭台の小細工って奴、もしかして俺の姿は見えないのかも……。
でも、見えないのに、何で……。
「っ」
あっ!
俺、あの時、お姉さんって声を出したからだっ!
馬鹿野郎っ! 俺って奴は! 何処までも馬鹿なんだよっ!
もしかして、お姉さんが肉弾戦で戦っていたのは、俺にこの力を分けてくれたから……?
力を使わない様に、使わない様にして……。
刺さった刃の傷だってお姉さんは治さなかった。
血が滴っても、そのまま彼奴に走り込んで行った。
全部、俺を生かすために。
使い切りの道具だって、仮初の命だって、終わりなんて怖いのに。きっと、痛みもあったはずだ。刺さる時にお姉さんは声を上げていたもん。
俺は……。俺は……っ! それすらも無駄にしてしまったんだ……っ!
「出ておいで。良い子にしておったら、褒美をやろう。あの女を招いた事は、不問にしてやる。ただし、首輪を付けてやるがな」
どうすればいい?
逃げるか? このまま見えないまま、遠くへ逃げる。確かに、一番生存確率は高い。
だけど、お姉さんが動くなと言った意味を考えれば、それは危険である事は間違いない。
お姉さんは、俺に動くな、喋るなと言った時、既に自分の力を使い尽くすつもりでいたんだ。
このまま、彼奴が俺に気付かずやり過ごす手筈を整えてくれていた。
それを俺が台無しにしたんだけど……、いや、今は考えるな。
生き抜く事を、考えるんだ。
もっと集中しろ。
台無しにした事で、わかった事が一つある。
おや、分かったっていうか、普通の事だけど。
俺が声を出したら、彼奴に声が聞こえた。
それってつまり、俺が動けば、彼奴が見える事出来ちゃうって、事だ。
恐らく、その不思議な力の根源はこの燭台。
お姉さんは俺ではなくて、燭台に不思議な力を与えたんだ。
これを使って、どうにか、どうにか逃げる打算を……、あの時は出来たんだ。
今もできるだろ?
やらなきゃ、死ぬんだ。
そんなんやだろ?
それとも、本気でお姉さんを無駄死にさせる気か?
あの時と一緒。
絶体絶命。
もう、俺には絶望しかない。
首の皮一枚繋げられれば、あの時みたいに一秒でも長く生き抜けば……。
また、月血とやらを使うか? けど、あれは傷つけられないものであり、捕まえられない理由にはなり得ない。
設定を追加する?
流石に、今からは不自然。いくら彼奴が思い込みメルヘン野郎でも、無理がある。
じゃあ、自分で自分を傷付けると脅すか?
それこそ、一番やばいだろ。
前は口だけ主導権を奪われた。下手に取引を持ちかけたら全身されてもおかしくない。
それに……。
多分彼奴も、お兄さん同様にわがままが許されてきた側なんだと思う。
気分で、言う事、やる事を変えても許される奴。
何とでも、自分にはできると思ってる奴。
そう言う奴に、交渉が効くのは良くて一度きり。しかも、こっちはその後裏切ってるわけだし。
裏切るって言うと、なんか最初から仲間みたいで嫌だな。裏切ってるて言うか、奴の望みを叶えなかった。
それに交渉と言うよりも、あれは取扱説明書を見せたもんだ。
他に、他に何がある!?
考えろっ!
「残念だ。誠に残念極まりない。我等は慈悲を見せてやったのに、それも分からぬ愚かな自分の脳みそを呪うがいい」
「っ!」
彼奴が手を叩くと、空に赤い刃が無限に生成されて行く。
見上げて、見渡しても終わりが見えない。
隙間なく作り上げられた赤い刃の空が出来上がるのを、俺は震えて見上げる事しか出来ない。
もう、何も考えられない。
生き残る方法ってやつを。
この絶望下で、そんな事は無駄なんだって勝手に自分の心が結論づけてくる。
どれだけ作り出してんだ?
逃げ場所なんて、何処にもないじゃん。
このまま、死ぬしかないのか?
「なぁに。我等が死して直ぐに血を啜れば、劣化はしぬだろう。安心しろ。我等同胞も、我等が一等強く、我等のみがヘムロックに勝てる唯一の存在だと言う事は分かっているはずだ。我等が貴様の血を飲んだとしても、当然の事だと頭を下げる。何故なら、我等こそがロゴフトの王。最も気高き血族の新たな王なのだからっ!」
彼奴は、そう高らかに笑って手を叩いた。
その瞬間だ。
無数の赤い刃が空から雨の様に降り注ぐのは。
「っ!」
もうダメだ。
俺は燭台を握りしめて、丸くまる。
そんな事をしても意味ないのはわかってる。
けど、何もしないなんて出来ない。
赤い刃の雨は次々と鋭い音と共に床を切り裂き抉って行く。
いつ自分がその床になるのかわからない。
怖い。
本当に、死ぬんだ……。
もう、これで終わりなんだ。
お兄さんとも会えずに、ここで……。
『こら、諦めない』
不意に声が聞こえた。
優しく俺を叱ってくれる声。
お姉さん?
『私が、一度だけは助けてあげるから』
お姉さんっ!
何処にいるの!?
お姉さんっ!
『顔を上げなさい。それと……、ごめんね。最後迄守れなくて』
優しい風が頬を撫ぜた気がした。
俺は目を見開いて上を見る。そこには、消えかかったお姉さんの姿があった。
「何っ!?」
『一秒でも長く生きて』
お姉さんっ!
『約束だよ?』
俺の上から降り注ぐ刃を、お姉さんが消して行く。
この為に。
この為だけに。
お姉さんは、力を残してくれていたんだ。
俺を一秒でも長く生かす為に。
諦めていたのに。
俺だけ、勝手に諦めていたのに。
お姉さんは、自分が消えても、諦めてなかったんだ。
「小賢しいっ! しかし、死にかけの残骸か。はっはっはっ! そんな事をして何になるっ! 小僧の居る場所を教えた様なものだろうに。浅はかっ! 実に浅はかっ!」
そうだ。
俺の居る場所だけ、刃は突き刺さらず砕けて行った。
場所なんて、丸わかりだろうよ。
最早、お姉さんがしてくれた事に、俺だって無駄なんじゃないかって思えてくる。
だって、場所がバレたらどうせ俺は殺されるんだし。
けどさ、一秒でも。
一秒でも、長く生きろ。
その為なら、意味がない事じゃない。
俺は、よく知ってる。
この一秒が、どれだけ短くても長くても。
誰かを思い描けるなら、そう悪くない事を。
餓死しかけた時に、同じ事ずっと思ってたから。
そして、おれはその一秒の先で、必ず生きてきた。
お兄さんが、来てくれたから。
もう、絶望しかない道で倒れていた時。
刺されて死にかけていた時。
餓死する寸前だった時。
いつでも。
いつでも、お兄さんが来てくれから。
だから。
俺も、一秒でも長く生きる事を諦めないっ!
「貴様も、運がないな。小僧」
「っ!」
いつの間に!?
いつの間に、ジジイが俺の前に立っている。
もう、場所もわかってる。
見えてなくても、わかってる。
「……そうだな。運、ないかもな」
もう、逃げるのは無理だ。
俺は手に持っていた燭台を投げつける。
「でも、お前に決めつけられたくねぇーしっ!」
「小癪な事をっ!」
「痛っ!」
燭台は直様払い除けられ腕を掴まれる。
「……いいのかよ。俺を殺して。その月血とやらはもう要らないわけ?」
「言ったであろう? 我等が直々に飲んでやる。同胞も、それを望んでいると」
「アンタ、絶対人望とかないだろ。嫌われてるって。そう言うところじゃない?」
「ふざけた口を聞くな。震えて怯えておると言うのに。それとも、酷くさるのが好みか?」
そりゃね。
死ぬかもだし、怖いし震えるよ。
もしかしたら、俺が抱き上げだうさぎさんも俺に殺されると思って震えてたんかな?
「はは。どうせ死ぬなら、派手に行きたいじゃん?」
「舐めた子供だ。良い良い。我等は今、とても気分が良い。あの女狐が死に、ヘムロックの様な強さが手に入るのだから。今、楽にしてやろう」
ジジイは、俺の顎を掴み、顔を横にさせ首筋を出させる。
ああ、マジで、もう無理かな。
これ以上、長引かせられないかな。
でも、一秒、一秒でも……。
「ヘムロックの様な強さ? ばっかじゃねぇの? 雑魚が何したって、あの人の強さには勝てねぇーよっ!」
「……面白い事を言う。アレはただの吸血鬼。我等は誇り高きロゴフトの血族っ! 出生が違うのだっ! 我等がっ! 我等がっ! 我等が王也っ!」
そう言って、ジジイは牙を俺の首に当てる。
一秒、一秒でも。
俺は、生きたよね? お姉さん。
「ちょっと、ちょっと。何してんの? それ、私ん所のハチなんですけど?」
え?
「その汚い手で、触んなよ。雑魚」
その瞬間、俺の目の前で俺の顔を掴んでいたジジイの手がちぎれ破裂する。
そして。
「お兄さん……?」
お兄さんが俺を支えてくれた。
本物?
本当に?
「ハチっ! そうだよ! お兄さんだよ!」
いつもと変わらない笑顔。
本当に、本当に。
お兄さんだっ!
「おかえりっ! お兄さんっ!」
「ただいまー。寂しかったよね。怖かったよね。よく頑張ってね」
何度も何度も、お兄さんが頭を撫ぜてくれる。
「もう大丈夫だからね。私が、全部ぶち壊してあげるから」
そう言ったお兄さんの目が、赤く光った。
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