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光の神子(3)
「お仲間みたいね」
アマンダがフランにしか聞こえないような小さな声で囁いた。
黙っていても領地からの収入があり、暮らしに困ることのない中上級の貴族の場合、平民の女性ほど状況は厳しくない。一生、生まれた家に居座る娘や息子も少なくないという話はフランも以前から聞いたことがあった。
ただ、貴族の結婚は家と家との結びつきを強めるために結ばれることが多いため、社交界から距離を置いていると急に縁が遠くなるらしい。フレデリカがそれとなく触れた話題に、また二人はフフフと乾いた笑いを漏らした。どうやら二十四歳のアマンダとエミリアは、ベッテとはまた別の意味でビミョーな立場にあるらしい。
ヘーグマン家は先代伯爵が他界して以来、中央社交界から身を引いているし、レンホルム家も似たような状態だという。長兄マルクスが亡くなってから屋敷に何度も賊が入るなど事件が絶えず、高齢の両親はすっかりふさぎこんでしまい社交どころではない。アマンダを気にかける余裕もあまりないのだと苦笑した。
「もっとも、そのほうが私も気が楽なんですけど」
「まあ、エミリアと同じようなことを言って……」
フレデリカは、エミリアに縁談がないわけではないのだと肩をすくめた。エドヴァルド卿の古い知人から「是非に」と持ち込まれる話は決して少なくなかったのに、エミリア自身に全くその気がなかったのだと。
「他にやりたいことがあるからって……。今の娘さんは、みんなそうなのかしら」
エミリアが「お母様」と短く窘めた。
アマンダはクスリと笑い、「エミリアが何をしているのか、聞いてもいいかしら」と言ってエミリアに視線を向けた。
「ええ、もちろん。朝食の後で、お見せしてもいい? フランも一緒にいかが?」
「え、僕も……?」
「ええ。きっと、興味があると思うから」
にこりと笑うエミリアに、フランは曖昧に頷いた。
フレドリカが「でも、そのベッテという娘さんのことは心配ね」と言ってフランを見る。
「貴族の家の使用人とは少し扱いが違うかもしれないけど、奉公に上がる時に何か証文を交わしてないかしら」
もしあれば、それが役に立つのではないかと言う。まとまった額を前借りしただけなら、その対価になる労働の期間が定めてあるはずだと。
「そのベッテさんか、家族の方が証文を持っていれば、屋敷を下がっていい時期がわかるんじゃなくて?」
フランは小さく首を振った。
「ベッテは、字が読めないんです……」
フランもステファンが教えてくれるまで、読み書きはできなかった。平民にはそういう人が多い。ベッテの家族も文字は読めないのではないかと思うと続けた。
「証文の意味もわかっていないかもしれないわ」
アマンダが呟く。フレデリカは眉間に皺を寄せた。
「それでも、そのマットソンという主人が、証文の控えを持っているはずよ。使用人が確かに自分の家の者だと証明する時に必要ですもの」
「相手が証文の意味を知らないんだから、マットソンは都合のいい時にだけそれを利用すればいいわけね」
アマンダの皮肉にフッと表情を緩め、フレデリカは「今すぐには無理だけど」とフランに向かって微笑む。
「いつか、そのマットソンという人から証文を見せてもらって、ベッテさんの待遇を確認してみましょう」
だから、もう心配しないで。元気を出してねと言われて、フランは慌てて笑顔を作った。エミリアとアマンダもフランをじっと見ている。
(しっかり笑っていなくちゃ)
フランは自分に言い聞かせた。しょんぼりしていたら、みんなが心配する……。
(でも……)
黒の離宮にいた時もずっとそばにいたわけではなかったのに、ステファンのいない一日は恐ろしく長く感じる。考えると余計に悲しくなるからなるべく忘れていようと思うのに、なかなかそれがうまくできない。
食事が済むと、約束通りエミリアが自分の「仕事部屋」に案内してくれた。
「元はお父様の書斎だったんだけど……」
重厚な樫の扉を開けると、本がびっしり詰まった書棚がいくつも並ぶ広い部屋が目に飛び込んできた。
「わぁ……」
ステファンの城の図書室のようだ。壁一面の本を見上げてフランの気持ちは少しだけ明るくなった。紙とインクの匂いが部屋中に満ちているところも似ている。
少し違うのは、正面の書き物机の上にたくさんの紙が積み重ねられ、床にもそれらが散らばっているところだ。
アマンダとフランに向き直り、エミリアは少しはにかむように微笑んだ。
「私、ここで絵本や児童書を書いてるの」
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