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猛獣使い(2)
「随分面白い三人だったね。レジナルド、君の友人かい?」
笑いを堪えたフランス語に振り返ると、客室から降りてきたらしい常連客の一人が、喫茶室 に消える三人を興味津々の様子で眺めていた。
「これはムッシュウ・デュシュッド、お騒がせいたしまして誠に申し訳ございません。お出掛けでございますか」
「友人と夕方から約束があってね。早めに出てリバティでも冷やかそうと思っていたんだけど、気が変わった。喫茶室であの三人をそれとなく観察して暇を潰すことにしよう」
「ムッシュウ・デュシュッド、それは」
「大丈夫。君に迷惑を掛けるようなことはしないよ」
洒脱な目配せを一つ寄越すと、デュシュッド氏はひらひらと手を振りながら喫茶室へと歩いていく。なす術もなく見送りながら、内心で頭を抱えてしまうレジナルドだ。
ピエール・デュシュッド氏は、フロントマネージャー就任時に昔からのお得意様が紹介してくれた、新たな上得意の筆頭だ。彼をはじめとする紹介客の殆どが、ザ・ジャロルズを気に入りロンドンの常宿に定めてくれたことは、自分たちが理想とし追求してきたサービスが評価された一つの証だと、志高い同僚達と喜び合ったものだった。
だが。
新たな上得意は、公私や程度の違いはあれ、レジナルドを可愛がってくれているお得意様の知己でもある。上流階級の出身、優雅な物腰、洗練された会話も彼らと同じ、そしてレジナルドに興味を持ち、暇を見つけてはかまい倒すところまで同じだった。どうやってか過去にレジナルドが従僕 として働いていたことを知り、自分の執事 もしくは従僕にならないかと声を掛けてくるところも変わらない。
大学入学直後、父ケイリー伯爵ロバート・マーシャルの死で露見した莫大な借金、それを発端とする一族の崩壊。
荒海のような運命の変転を冷静に受け止め、自活の道を切り開き、学業を投げ出すことなくケンブリッジを首席で卒業したレジナルドは、元の毛並みの良さもあってザ・ジャロルズに集う上流階級の格好の愛玩対象となった。それだけではなく、従僕もしくは執事としても十分に通用する細やかな心遣いと豊富な知識、そして確かな管理能力は、質の良い使用人を確保することも社会的地位の証の一つである彼らにとって、喉から手が出るほど欲しいものでもあった。
これまで提供してきたサービスを評価された結果の勧誘は、やんわりと固辞しながらもレジナルドの職業的矜持をくすぐったが、珈琲を淹れる腕前だけで従僕の勧誘を受ける事態というのは、常識の範疇外だろう。
「可及的速やかに私の従僕になりたまえ、監督生 」
真面目な顔で身を乗り出すようにして言い放った、現役の問題児。昨日早朝の爆弾発言は、五年間を同じ寮で過ごし、多少免疫のあるレジナルドをも絶句させる威力があった。
(まあ、ジェイムズ相手に常識を云々する方が間違っているんだけれど)
ジェイムズだから駄目だとか、執事や従僕の仕事が嫌だとか、そういうことではない。元は愛人だった母が父伯爵と結婚するまでの十一年間を一般家庭で育ったレジナルドに、伯爵家の末子という肩書きはそもそも馴染まないもので、使用人として働くことで矜持が傷付くこともない。ただエリオットが誇りを持って従僕の務めを全うするように、自分はホテルマンとして最上級のサービスを追求したいのだ。
だから、ウィズリー卒業後に自分が置かれた状況も含めて短期の従僕として働いていた理由を説明し、今の仕事に対する愛着について話し、ジェイムズの申し出を受ける訳にはいかないときっぱり断ったのだが。
(人の話を聞かないのは、ジェイムズの真骨頂だからな…)
もちろん常識の通用しない相手だからといってこちらが折れる筋合いはないが、あのジェイムズが簡単に諦めるとも思えない。
「今よろしいでしょうか、レジィ。ジェイムズ卿がどうしてもあなたの都合を聞いてくるようにと仰るので」
昨日は代役、今日は問題児二人に呼び出されただけで、本来マネージャーであるレジナルドがフロントに立つことはない。他のクラークの邪魔にならないようカウンターの隅に移動したところで、控え目に声を掛けてきたのはエリオットだった。
微笑んで頷くと、周囲に聞かれないよう配慮した声音で、しかし愉快そうに言う。
「卿も大それたことを考えついたものですね。ザ・ジャロルズのフロントマネージャー殿を、御自分の従僕になさろうなど」
ジェイムズから昨日の顛末を聞いたのだろう。可笑しさを堪えきれないといった風情だが、エリオットは従僕時代のレジナルドをよく知る数少ない人物でもある。ふいに表情を改めると、
「あなたが従僕としても完璧であり、執事として大城館を切り盛りできる技量をもお持ちであることは確かですが」
「ああ、エリィ。褒めてくれるのはありがたいけれど、ジェイムズの前でそんなことを言うのはやめてくれよ」
「心得ていますよ」
こうと決めたジェイムズは、岩よりも驢馬よりも頑固だ。
彼を煽るような真似は頼むからしてくれるなと本気がにじむ懇願を、エリオットはさらりと受け止める。その不自然な自然さに、レジナルドはピンときた。
相手の都合を考えずに従僕を選ぶなら、この英国にエリオット以上の人材はそうはいない。
「なるほど、わたしの前は君だったんだね。傍迷惑にも彼の標的に据えられていたのは」
「…さすがに旧い御友人だけありますね、卿のことをよくおわかりだ」
滅多なことではその繊細な容貌を曇らせることがない彼が苦笑するほどに、ジェイムズの勧誘は凄まじいものだったらしい。
(監督生を務めていた頃ならまだしも、十年も経った今、どうしてあの問題児と一対一で向き合わなければならないんだ?)
この先しばらく続きそうな受難の日々に、一瞬勤務中であることも忘れ、レジナルドは思わず天を仰いだ。
「…彼は思い立ったら、何が何でも成し遂げなければ気が済まない男だということも知ってるよ。どうやって逃げおおせたんだい?よければその秘訣を教えてほしいのだけど」
「秘訣?」
二、三度目を瞬かせ、エリオットは思わずといった風に破顔する。そして、意志の輝きを秘めた強い瞳をレジナルドのそれに合わせ、静かに答えた。
「あなたは百も承知のはずですよ、レジィ。今取り組んでいる仕事への情熱――わたしたちを衝き動かす行動原理はそれだけです」
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