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シェリングフォード家の主従(2)

 エリオットが許しを得ようとする前に、対座の着席を促した。  青々しい香りの立つ茶碗(ティーカップ)を差し出しながら、エリオットが訊ねる。 「わたしに個人的なお話があるとのことですが、もしやジェイムズ卿のことではないですか?」 「…君は会わずともジェイムズの行動が読めるのかい?」  さすが、稀代の猛獣使い。最近のジェイムズの暴走ぶりをどこまで把握しているのかは不明だが、レジナルドに現在進行形で降り掛かっている災厄の元凶などお見通しらしい。  肩を落としたレジナルドに、エリオットは穏やかに答える。 「簡単なことですよ。もしわたし達の立場が逆なら、わたしもあなたに相談に乗ってもらおうとしたでしょうから」  ジェイムズという暴風を乗り切った者の言葉は重い。あの息をつく間もない怒涛の波状攻撃をかわしきったというだけで、エリオットがこの上ない剛の者に思える。 「わたしには今の仕事があるから、彼の従僕(ヴァレット)にはならないとはっきり断っているのだけれどね。何というか、その、勧誘のやり口がエスカレートしているんだよ」  まさかにも、一方的ではあるが薔薇だの抱擁だのを強要される関係になってしまったとは言えず、レジナルドは多分に婉曲的な物言いで真相を濁した。 「だから君がどうやってジェイムズから逃げ切ったのか、是非とも教えてもらいたくてね」 「残念ながらその件については、お役に立てないと思いますよ」  レジナルドの切なる心からの懇願に、偉大な先人たるエリオットは申し訳なさそうに肩を竦めた。 「ジェイムズ卿は御主人様の大切な御友人ですが、わたしにはそれだけの方です。情状酌量の余地はありませんから」  情状酌量の余地は、ない。  あっさりと言い切ったエリオットの手に目に見えない鞭が握られているのを、レジナルドは確かに見た。 「ジェイムズ卿の執着を断つには弱みが多すぎますね、レジィには。仲の良い御学友であったこと、そしてあなたのやさしさ。あなたがそれほど卿のことで手を焼くのは、そのやさしさゆえのことですか」  冷徹な猛獣使いの一面を見せつけてレジナルドを絶句させたエリオットは、意外なことを言い出した。 「ただあなたのやさしさが、懐かしい過去の思い出だけが、卿を遠ざける際の障害になっているのですか。様々なお客様が往来するザ・ジャロルズのフロントマネージャーたるあなたが、そつなく卿をあしらうことができない理由はそれだけなのですか」 「何を言っているんだい、エリィ?」 「あなたの職業意識と技量を、わたしは高く評価しているということですよ」 「…ジェイムズを断ち切れと、君は言うのか」  非難めいた口調になっていたかもしれない。しかしエリオットは譲らず、小さな子供を諭すように答えた。 「ジェイムズ卿の執着の種類が、レジィの受け入れ難いものであるならば」  あくまで冷静なエリオットに、彼の主人の沈痛な面持ちが浮かんで重なる。二人の関係に口出しするつもりはなかったが、ジェイムズに追い込まれた自分の立場を思い出した時、エリオットのそれと重なる共通点に今更ながら気がついた。  主人の想いを知りながら、何事もないように職務を全うするエリオット。アルバートの意思表示をどのようにかわし、良好な主従関係を保ちつつ自分の居場所を確保しているのか。  彼のやり方は、現状を打開する際の指針になるかもしれない。ジェイムズとの関係を悟られることを覚悟した上で、レジナルドは一歩踏み込むことにした。 「アルバートの君に対する執着の種類はどうなんだい?彼の執着は、ジェイムズのそれと同じもののように見受けられるけれど」 「わたしは男ですし、御主人様の従僕です」  問われることを予想していたのだろうか。間髪置かず、エリオットはきっぱりと迷いなく告げた。 「あなたもかつて従僕としてお勤めだったのですから、公私の間に横たわる境界をよくご存知のはずです。それにわたしは古い型の人間ですから、規則やしきたりに従って生きることしかできません。階級の垣根を越えて、臆さずこちらへ踏み込もうとする御主人様のやり方には、正直…混乱してしまうのです」  微かに揺れた細い肩。  本音の透かし見える言葉は、先の宣言に比べると随分と頼りなく、弱さと疲れすら感じられる。エリオットの職業人としての誇りに抵触するアルバートの執着は、男同士という禁断の関係に対する背徳感にエリオットを引きずり込むだけでなく、彼にとっては異世界からの襲撃にも等しい恐慌をももたらしていたのだ。  これでは、もしエリオットがアルバートに恋情を抱いていたとしても、この主従がその想いを成就するのは難しいだろう。 「わたしはウィズリー時代のアルバートしか知らないけれど、彼の本質があの頃と変わっていないのなら、君が彼の想いを受け入れたとしても、二人の未来は悲惨なものにはならないと思うよ。彼は君の尻に敷かれるくらいがちょうどいいようだし」  何の慰めにもならないことを重々承知しつつ、レジナルドはとりあえず自分の見解を冗談交じりに述べてみた。 「あなたらしくもない無責任な仰りようですね、レジィ。万一そうなれば、いくら隠してもいずれ露見し、御主人様は社会的制裁を受けることになるでしょう」  呆れた口調の中にもアルバートへの心遣いがにじむエリオットに、おや、と思う。 (アルバートの恋の成就の可能性は無きにしも非ず、なのかな)  いずれにせよ、アルバートには悪いが、レジナルドの中で優先順位が高いのはエリオットだ。  自分の作ったクランブルを目を細めて口に運ぶ『弟』の姿に癒されながら、レジナルドはエリオットのために、エリオットにとっての幸福な未来を願った。

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