13 / 121

絶望と再会②

「出て行け! もう二度と私達の前に現れるな!」  父に腕を掴まれて強引に外に放り出された鈴真は、その弾みでぬかるんだ泥の上に尻餅をついた。矢のように降り注ぐ雨が身体中を打ちつけ、びしょ濡れの服が泥で汚れる。 「待って……父さん! 話を聞いて!」  鈴真はドアを閉めようとする父の足元に必死にすがりついた。だが、そんな彼のまだ華奢な身体を、父は鬱陶しそうに蹴り飛ばす。生ぬるい泥の上に投げ出されて、鈴真にはもう顔を上げる気力すら残っていない。  無情にもドアが閉まり、ただ雨音だけが鈴真の世界を支配する。最初は打ちつける雨が冷たいと思っていたが、やがてそれすらも感じなくなった。  何も感じない。光のない、真っ暗な世界に落とされた気分だった。このまま自分の身体も何もかも、雨に溶けて消えてしまえばいい。  それからどのくらいの時間が経ったのだろう。不意に鈴真のいるところだけ雨がやんだ。代わりにパタパタと何かを叩くような音が頭上から聴こえてくる。 「鈴、ひどい格好だね」  聞き慣れない声が鈴真の耳に届く。目の前に誰かの足がある。足の先に目線を向けると、コートに身を包んだ黒髪黒目の美しい顔立ちをした少年がいた。鈴真は彼が手に持つ傘によって雨から守られていた。 「……だれ……」  虚ろな瞳で見上げる。  艶のある黒髪はこの雨の中でも綺麗にセットされ、整った目鼻立ちは派手さはないが癖がなく、誰が見ても美形と称するであろう、穏やかな笑みを浮かべた不思議な雰囲気の少年だった。 「僕は朔月だよ。鈴を迎えに来たんだ」  彼は目を細めながらそう言って、鈴真のそばにしゃがみ込む。  ──朔月?  その名前を聞いた瞬間、脳裏に大嫌いな従兄弟の顔が浮かぶ。  言われてみれば、柔和そうな顔立ちは朔月の面影がある。だが、今の彼からは以前の弱々しい雰囲気は一切感じられず、その笑顔にはなぜか恐怖すら覚える。 「鈴、僕のところにおいで。ずっと僕が君の面倒を見るから、これからのことは何も心配しなくていいよ。──ただし、僕の従者としてなら、ね?」  ──従者。  ケモノは、成人するまでに一生仕える主人をヒトの中から決めなければならないと、この国の法律で定められている。これを拒否すると、ケモノは警察に逮捕され、政府が決めたヒトと無理やり主従契約を結ばされる。  つまり、朔月はケモノになった鈴真を自分の従者にしようとしているのだ。 「……ふざけるな……誰がお前なんかに……」  昔は自分に従うことしかできない無力な存在だったくせに、立場が変わった途端復讐でもするつもりなのか。  朔月の笑顔を見ていたら、腹の底からふつふつと怒りが湧いてきた。  鈴真は両親に見捨てられた絶望に打ちひしがれながらも、朔月にだけは従いたくなくて、鋭い視線で彼を睨みつけた。  しかし、朔月は笑みを崩さぬまま、懐から小ぶりのナイフを取り出す。そんなもので自分を脅すつもりか、と一瞬身構えた鈴真だが、朔月は手にしたナイフで躊躇いもなく自分の腕を切りつけた。じわ、と血が滲み、そのまま腕を鈴真に差し出す。 「飲んで」  主従契約はケモノがヒトの血を飲むことで成立する。  それを思い出した鈴真は、当然ながらその腕を払いのけた。 「飲むわけないだろ! 僕はお前の従者になんかならない!」 「……強情だな」  朔月は溜息をつき、ふと笑みを消した。そして自分の腕から流れる血を口に含むと、いきなり鈴真の顎を掴んで引き寄せ、口付けた。 「んっ……!?」  舌でこじ開けられた唇の隙間から錆びた鉄の味が流れ込み、鈴真は絶対に飲み込むまいと吐き出そうとするが、朔月に鼻をつままれて息ができなくなる。 「ん、うっ……がはっ!」  呼吸困難になった鈴真は、口の中の朔月の血を飲み込んでしまった。独特の感触が喉を流れ落ち、激しく咳き込む。  咳が治まると、身体の奥深くが熱くなり、自分の中の何かが変わったことを悟る。  朔月は泥の中でうずくまったままの鈴真を見下ろしながら口元を拭い、再び優しく微笑んだ。 「鈴、これで君はもう、僕のものだね」  朔月の微笑みは邪気のない天使のようで、それが余計に鈴真に理由がわからない恐怖心を与える。  残酷な現実を突きつけられて、鈴真はただ嗚咽を漏らすしかできなかった。

ともだちにシェアしよう!