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※朔月のお願い①
朔月のあとに続いて入ったその部屋は、壁紙から家具から照明に至るまで、この館の外観からは想像もできないほどに洗練されていて立派だった。そして、思ったよりもずっと広い。真ん中には繊細な装飾を施された大きめのベッドが置かれ、そのほかにもテーブルにソファ、冷蔵庫にテレビまで完備されている。
(こんな立派な部屋まで与えられてるなんて……僕がケモノになんてなっていなければ、今頃……)
そこまで考えてから、今更無駄なことだと脳内からその考えを切り捨てた。
鈴真の中には、未だに一宮家の御曹司だった頃の自分の影が色濃く残っている。さっさと忘れたいのに、忘れなければいけないのに、あの頃の記憶や思考パターンはなかなか消えてくれない。
そんな鈴真の葛藤を知ってか知らずか、朔月が鈴真の身体を後ろからそっと抱きしめた。何となく予想はついていたものの、その感触に鈴真はびくりと肩を震わせた。
「キスしよう? 鈴」
朔月の言葉は命令と呼べるほどに強固なものではない。わかっているのに、朔月に懇願されると従ってしまいたくなる。
朔月は身動きできない鈴真の顔を自身のほうへと傾け、ちゅっと音を立てて唇を吸い上げた。朔月はしばらく鈴真の唇を味わってから、おもむろに顔を離し、静かに言った。
「血の味がする。また唇噛んだの?」
朔月の言葉に、鈴真は青ざめて顔を背けた。心臓がどくどくと激しく脈打ち、背中を嫌な汗が伝う。
「ねぇ鈴、言ったよね? 自分の身体を傷つけることは許さないって」
朔月の声色はいつもと同じで優しい。それなのに、鈴真は今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られた。──そんなこと、できるはずもないのに。
「悪い子にはお仕置きしなきゃね?」
くすっと笑って、朔月は鈴真の身体を思いきり突き飛ばした。部屋の真ん中に置かれたベッドの上に背中から倒れ込んだ鈴真は、なけなしの力を振り絞って朔月を睨み上げる。
「可愛いなぁ、まだそんな目ができるの? でも駄目だよ、主人のお願いはちゃんと聞いてくれないと」
「……っ、何がお願いだ……!」
立場の弱い鈴真からしてみれば、それは立派な脅迫だ。それならいっそ、意思を奪うように命令してくれたほうがいい。なのに、朔月はいつも鈴真のほうから自分に従いたいと思わせようとする。鈴真は朔月のこういうやり方がたまらなく嫌いだった。
それでも、鈴真は朔月の「お願い」には逆らえない。そういうふうに身体が作り変えられたのだ。あの日飲んだ、朔月の血によって。
過去の忌まわしい記憶が蘇り、鈴真は朔月から視線を外した。朔月はそんな鈴真を、残酷な言葉で追い詰める。
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