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茨の棘③

「そうだよ。だから大事にしたいし、めちゃくちゃにしてやりたい」  好きだから、優しくしたり酷い「お願い」をして追い詰めたりしていたというのか。 「僕はなんとも思ってない相手を抱くほど飢えてないよ。いや……でも、君にはいつも飢えてるかな。こんなにそばにいても、肌に触れても、君が足りない。君の全部が欲しいんだ」  朔月は熱に浮かされたようにそう言った。そして、ひたむきな眼差しを鈴真に向けてくる。  朔月の言葉の意味を理解して、鈴真は顔が火照っていくのを感じた。こんなにストレートに好きだと言われたことは、今まで一度もなかった。  けれど、まだ朔月の気持ちを疑っている自分がいる。どうしても、彼が自分を本気で好きになるとは思えない。そのくらい、鈴真が朔月にしてきたことは、嫌われて当然の行為だったのだ。 「そんなの、おかしいだろ……お前が僕を好きになる理由がない。だって、あんなに……」  あんなに、酷いことをしたのに。  鈴真は、皮肉にも自分が憎んでいたケモノになることで、今まで自分がどれほど無慈悲で残酷な人間だったかを思い知った。自分が朔月の立場だったら、きっと一生許せない。 「……そうだね。でも、僕は君につらく当たられるのは嫌じゃなかったよ。むしろ嬉しかった」  朔月の声は穏やかで、波ひとつない湖面のようだった。彼は過去を思い出しているのか、どこか遠いところを見つめるような瞳をした。その瞳の中に、憎しみの陰は見当たらない。 「……虐められたかったのか?」  ますます朔月のことがわからなくなり、とりあえずそんなことを聞いてみる。朔月は苦笑すると、鈴真の頬を愛おしそうに撫でた。 「君に必要とされてる気がしたから」 「──」  胸の奥が引き絞られるみたいに苦しくなり、鈴真は顔を歪ませた。それでも、朔月から目をそらせない。 「鈴がずっと寂しい思いをしてきたこと、知ってるよ。叔父さんにも叔母さんにも期待されてなかったことが悔しかったんでしょ? だから、自分より優秀な僕が許せなかったんだ」  全て、見透かされていた。  朔月は鈴真の気持ちを理解した上で、あえて彼からの酷い仕打ちを受け入れていたのだ。その行為の中に、自らの存在価値を見出したから。 「ねぇ鈴、もっと僕を頼っていいんだよ。みんなどこか弱さを抱えてる。それはヒトだろうと、ケモノだろうと同じで、決していけないことじゃない。君には僕がいるんだから、好きなだけ利用すればいい。もうヒトだった頃には戻れないし、そのせいでつらいことも沢山あると思う。でも、ケモノにはケモノの幸せがあるって、僕は思うよ」  朔月の言葉がゆっくりと心に染みていく。  ケモノの幸せ──そんなものが本当にあるのだろうか。この絶望が支配する理不尽な世界に、居場所を見つけることなどできるのだろうか。 「……僕には、理解できない」  鈴真は目を瞑って朔月の視線から逃れた。そのまま背を向けて布団の中で丸くなる。 「……そう。残念だな」  朔月はそれ以上何も言わなかった。  鈴真は朔月に対して、これまでとは違う恐怖を抱いていた。  神牙朔月という人間は、鈴真の心に絡みつく茨の棘だ。物心ついた頃からずっと、朔月の存在が鈴真を苛み、その棘で傷つける。  鈴真は、両親から愛されず、捨てられた自分には、誰かに愛される価値などないと思っている。だが、そんな自分を朔月は好きだと言う。朔月は、鈴真がずっと憎んできて、それでいて憎まれて当然の相手だ。憎しみでしか繋がれないと思っていた相手に急に好きだなんて言われても、受け入れられない。  愛してるなんて言葉は欲しくない。自分にそんな価値がないことを、もう知っているから。  だから、朔月に好きだと言われた時、鈴真はどうしていいかわからなくなった。  ──どうして、その言葉をお前が言うんだ。どうして、一番愛されたかったあの人達がくれない言葉を、僕からあの人達の愛を奪ったお前が言うんだ。  それでも、鈴真は朔月を突き放すこともできなかった。こんな自分を愛してくれるのは、朔月だけだ。だから、彼にまで見捨てられたらきっと、今度こそ生きていけない。  鈴真と朔月は、きっと今のままでいいのだ。これまで通り鈴真は朔月を憎み、朔月はそんな鈴真に気まぐれに優しくして、気まぐれに追い詰める。ふたりの間には愛なんて似合わない。  神牙朔月という人間は、鈴真を永遠に苛み続ける茨の毒だ。

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