41 / 121

隠し事①

「ねぇ」  中庭の掃除をしていた鈴真に声をかけたのは、腕を組んで仁王立ちしている春音だった。  あれから鈴真が蒼華宮に顔を出すことはなかったので、春音と会うのは、この間彼が泣きながら教室を出て行った時以来だ。 「ちょっと話があるんだけど」  春音の態度は相変わらず高圧的で、その瞳の奥にはケモノへの嫌悪がありありと見てとれる。 「今忙しい」  鈴真は箒の柄を握る手に力を込めた。春音は小馬鹿にするみたいにふん、と鼻を鳴らし、鈴真の手から箒を取り上げる。 「ずっと思ってたんだけど、あんたケモノのくせに生意気。従順にしてれば優しくしてあげるのに、いちいち歯向かうからイライラする」  まるで昔の自分を見ているようだった。ケモノを下等生物として見ていた頃の、愚かな自分。 「……なによ、その目」  無意識に憐れむような目で見ていたらしく、春音は眉間の皺を深くして鈴真の胸を突き飛ばした。身体が傾ぎ、反動で二、三歩後ろに下がる。 「なんか言いなさいよ。それとも、怖くて声も出ないの?」  春音は嘲るような笑みを唇に刻んでいる。だけど、鈴真には春音のほうが怖がっているように見えた。だから、ただ黙って春音を見据える。 「ここ、誰もいないね。今あたしがあんたに何かしても、きっと誰も気付かない」  そう言って、鈴真の顎下を箒の柄でつつく。自然と顔が上を向き、鈴真は目線だけを下げて春音を見た。  しばらく膠着状態が続いたのち、春音は詰めていた息をふ、と吐き出し、箒を手から放した。 「冗談よ」  からん、と音を立てて箒が石畳の上に落下する。それを手にとりつつ、鈴真は「用事はそれだけか」と聞いた。 「まだ終わってない。朔月のことよ」  朔月のことでまた文句を言われるのかと覚悟した鈴真だが、意外にも春音の表情は曇っていた。 「最近、朔月のことを良く思ってない連中がいるみたい。脅迫めいた手紙が机の中に入ってたり、あたしや冬音にも朔月の根も葉もない悪口が書かれた手紙が届いたりしたの」  春音の態度から、嘘をついているわけではないことがわかる。  朔月の身にそんなことが起きていたなんて、全く気付かなかった。今朝も朔月は普段と変わらない調子で笑っていたから。 「……ふうん。その様子じゃ、あんたのとこには何も来てないみたいね。正直、あんたの仕業じゃないかと思ったりもしたけど……従者のあんたが朔月相手にそこまでできるわけないか」  春音は鈴真が何も知らなかったことに溜飲を下げたみたいだった。酷薄そうに目を細め、鈴真を一瞥してから踵を返す。 「あんたは朔月のものなんだから、精々朔月のために働くことね」  そんな捨て台詞を残して、春音は去って行った。その後ろ姿を見送りながら、鈴真はなんとも言い難い複雑な気分になる。  優秀で人気者の朔月には、こういった人間関係によるトラブルなど無縁だと思っていた。だけど、思えば朔月から友人や恋人の話を聞かされたことは一度もない。あるとしたら、初めて蒼華宮に連れて行かれた時に春音達を紹介してもらったことくらいだ。そもそも、学校での話を聞いたことすらろくになかった。  今までの鈴真なら、朔月の身に何が起きていようと気にも留めなかっただろう。しかし、今の鈴真は自分にとって朔月が良くも悪くも特別な存在だと気付いてしまっている。  ──朔月のことがもっと知りたい。今更、そんなことを思う。  馬鹿馬鹿しい、朔月のことなど知ったことかと自分の中で膨らみ始めた欲求を一蹴し、鈴真は再び手に持った箒を動かし始めた。

ともだちにシェアしよう!