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隠し事②
「鈴、帰ろうか」
放課後、鈴真が教室で待っているとほどなくして朔月がやって来た。
あの日以来、春音と冬音がこの教室に姿を見せたことはない。だが、まだ教室に残っていた生徒達は朔月の姿を見ると、バツが悪そうに俯きながら逃げるように去って行く。
夕桜も「また明日ね、鈴真くん」と言って微笑むが、朔月のほうを見ようとはしない。灰牙はと言うと、興味なさそうに窓の外を眺めている。
あの日の出来事が、彼らの心の何らかの傷に触れたのだろう。そしてそれは、ヒトとケモノという種族の差がある限り、簡単に癒えるものではない。
鈴真は鞄を肩にかけて教室を出た。待ち構えていた朔月が、いつもと変わらない微笑みを浮かべてこちらを見ている。
──朔月のことを良く思ってない連中がいる。
春音の言葉が頭に浮かび、鈴真は朔月の様子を観察した。あんな話を聞いてしまったあとだからかもしれないが、今日の朔月はどこか落ち着きがないように感じる。
「……お前」
「ん? 何?」
鈴真は探るように朔月の顔を凝視した。表面上はいつも通りを装っているが、少し疲れて見える。春音の言葉はやはり嘘ではないのだろう。
「鈴? そんなに見つめられると襲いたくなっちゃうんだけど?」
朔月は困ったように笑って、首を傾げる。
その時、鈴真はようやく自分達が廊下の真ん中で至近距離で見つめ合っていたことに気付き、周囲の視線から逃れようと朔月の手首を掴んで足早にその場を離れた。
中庭に出てからようやく朔月の手を放した鈴真は、突然の鈴真の行動に唖然としている朔月に向き直った。
「お前、何か隠してるだろ」
朔月から表情が消えた。でもそれは本当に一瞬のことで、注意深く見ていなければ気付かない程度の変化だった。
「何も隠してないよ」
朔月の表情の変化は、すぐに穏やかな微笑みに覆い隠されてしまう。
「嘘だ」
少し前の鈴真なら気付かなかったかもしれない。でも、一度気が付くと嫌と言うほどわかってしまう。鈴真の前では常に笑みを浮かべている朔月だが、やはりいつもとどこか違う。
「お前はいつもそうだ。僕の中には土足で踏み込んでくるくせに、自分のことになると僕から一線を引く。そんなことされて、好きだから信じろなんて言われても信じられない……!」
鈴真は自分の中の苛立ちの理由に気付いていた。朔月がトラブルに巻き込まれていることを、自分に何も話してくれなかったことが許せないのだ。
朔月は昔から鈴真の心配ばかりするくせに、自分のことには無頓着だ。
朔月がまだ一宮家に使用人として来たばかりの頃、ほかの大人の使用人に彼が暴力を振るわれていたのを、鈴真は知っていた。
だが、朔月はそんな自分の状況を当然のことのように受け入れて、つらそうな素振りを見せるどころか、涙を流しているところすら見たことがない。
朔月は鈴真が好きだと言いながら、鈴真には決してその胸の内を見せない。まるで鈴真に触れられることを嫌がっているようで、それが鈴真には我慢ならないのだ。
散々朔月を虐めて、拒絶しておいて今更彼が自分に心を開いてくれないことが許せないなんて、虫のいい話だ。けれど、鈴真の心の奥深い場所──誰にも触れられたくない部分を、朔月は強引に暴いたのだ。それなのに、鈴真には自分の心を隠して触れさせないようにするなんて、それで愛だの恋だのと言われてもとてもじゃないが信じられない。
だがそんな鈴真の気持ちを知ってか知らずか、朔月は余裕たっぷりに微笑みながら、鈴真の頭を撫でた。
「何をそんなに怒っているのか知らないけど、鈴が心配するようなことは何もないよ」
「……」
朔月の声も表情も、いつものように優しい。それなのに、鈴真には冷たい拒絶の言葉に聞こえた。
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