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嫉妬⑥
ようやく起き上がることができるようになった鈴真は、手伝おうとする朔月を拒絶して自分で制服を着た。
鈴真がネクタイを締め終えるのを見ていた朔月は、時計を確認してベッドから立ち上がる。
「もう日が暮れるね。さすがにみんな帰っただろうし、そろそろ僕らも帰ろうか」
朔月はすっかりいつもの穏やかさを取り戻していたが、鈴真は朔月と目を合わせないようにしていた。朔月も必要以上に鈴真に触れようとはせず、そのままドアを開けて部屋を出ようとした。
「風羽さん……」
朔月の呆然とした声を聞いた鈴真は、顔を上げてドアのほうを見た。ドアの外、ホールの壁に寄りかかって腕組みし、朔月を見下ろす風羽の姿があった。彼は溜息混じりに口を開く。
「朔月……ああいうことをするのはやめろ」
ああいうこと、と言われて、鈴真の頬が熱くなる。朔月はそんな鈴真の顔を視界の端にとらえてから、風羽に視線を戻して首を傾げた。
「どうしてですか?」
「嫌がっていただろう。愛しているならもっと優しくしてやれ。でないとお前の気持ちはずっと伝わらないままだぞ」
風羽は真剣な面持ちで朔月を見据える。鈴真は、自分と朔月のことを案じてくれる風羽の気持ちが、素直に嬉しかった。朔月が押し黙り、三人の間に沈黙が落ちる。その静寂を破ったのは、朔月の乾いた笑い声だった。
「……ああ、嫌がってるように見えました?」
「朔月……?」
風羽が、突然笑い出した朔月を訝しげに見ている。すると、朔月がこちらを振り返って鈴真に目を向ける。
「鈴は意地っ張りだから、嬉しくても嫌だって言うんですよ。本当は僕のことが好きなくせに。……ね、鈴?」
朔月の瞳の中に、突き刺すような冷たい何かを感じる。口元は笑っているのに、瞳は全く笑っていない。ぞくりと背筋が寒くなり、鈴真は朔月から目がそらせなくなる。確かなのは、今朔月に逆らったらもっと酷い事態に陥る、ということ。
「……鈴」
「……っ、ああ……」
奇妙なまでに優しい声音で促され、鈴真は思わず頷いていた。
「……本当に?」
風羽が心配そうにこちらの様子を伺っている。しかし、鈴真は風羽から視線を外してぼそぼそと呟いた。
「……朔月に触れられるのは、好きだ」
「ね?」
朔月が勝ち誇ったように微笑むと、風羽は難しい顔で溜息をついてから、朔月と鈴真を交互に見た。
「……わかった。今回は見逃そう。でも次はない。鈴真、何かあったら俺のところに来い。いいな?」
「……」
鈴真は風羽の言葉に答えなかった。風羽は気にしたふうもなく、颯爽とした足取りで立ち去って行く。
館の外へと続く扉が閉まる音がして、ようやく詰めていた息を吐き出した鈴真だが、突然朔月が思いきりドアを蹴りつけ、その音に驚いて尻尾の毛が逆立った。
「ああ……イライラする。昔からあいつは邪魔だったんだ……偽善者が……」
朔月は鈴真に背を向けたまま、ぶつぶつと呟く。その喋り方は保健室で聞いたものと似ていて、これが朔月の本性なのだろう、と鈴真は思った。
「帰ろうか、鈴」
振り向いた朔月は、もういつもの笑顔に戻っていた。
(朔月はこういうやつだ。結局、僕のことも所有物としてしか見てないんだ。わかってるのに……なんで、僕はこいつから離れられないんだろう……)
朔月が当たり前のように鈴真の手を握り、彼に引き寄せられるままに歩き出し、ふたりで館の外へと出る。
外はもうすっかり日が落ち、空が紺色に染まりつつある。少し前を歩く朔月は、寮に帰るまでずっと無言だった。
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