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哀しい空

 放課後、鈴真を迎えに来たのは朔月ではなく、春音と冬音だった。  いきなり現れたふたりを見て驚いた鈴真は、朔月の姿を探して視線をさまよわせる。今朝朔月は、確かに「放課後に迎えに行くね」と言ったのに。  何かあったのだろうか、と不安になる鈴真に、春音が「ちょっと来て」と固い声で告げる。鈴真は大人しくふたりのあとを追った。  ひと気のない中庭の隅に連れてこられ、ようやくこちらを振り向いた春音に問いかける。 「何の用だ。朔月は……」 「朔月は実家から急な呼び出しが入って、学園を出たわ」 「実家……?」  実家というと、神牙家のことか。やはり何かあったのか。 「朔月の養父が倒れたんだと。医者の話じゃ、もう永くないらしい」  冬音が溜息混じりに説明する。  朔月の養父母は高齢だ。いつ何かあってもおかしくはない。だが、ふたりの様子から話はそれだけではない気がした。 「朔月にお見合いの話が来てるの、知ってる?」 「お見合い……?」  血が繋がっていないとはいえ、朔月は名家である神牙家の跡取りだ。お見合い話なんて今までいくつも来ていたし、その度に朔月は全て断っていたから、気にも留めていなかったが……  未だに事態が呑み込めない鈴真に、春音が腰に手を当ててやや早口で告げた。 「神牙の分家の連中が、血の繋がりのない朔月が家を継ぐ条件として、分家の娘の誰かと結婚することを要求してるの。今まで何とかかわしてきたけど、朔月のお養父さんが危ないから分家の連中も焦ってるみたいで……ここまで言えば、あたし達があんたに何が言いたいかぐらい、わかるでしょ?」  鈴真は春音の話を聞いて衝撃を受け、呆然と目を見開いた。  そんなことになっていたなんて、朔月からは何も聞かされていなかった。  黙り込む鈴真に、冬音が追い討ちをかけるように言った。 「要するにさ、朔月のことは諦めてくんねぇかな。元々ヒトとケモノだし、男同士だし、いくら想いあってたって未来なんかないことはわかってただろうけど。どうしても嫌だって言うんなら止めないけど、その場合は朔月の愛人っていう立場を受け入れてくれないと困るわけよ」 「……っ」  今まで目をそらし続けてきた現実を突きつけられて、鈴真はきつく拳を握りしめた。  考えてみれば、当たり前の話だ。朔月はヒトの名家の跡取りで、鈴真は家を追い出されたケモノ。ただの主従関係でしかない。そんな自分が、朔月の隣で堂々と笑っていられる日なんて、来るはずがないのだ。 「あたしは認めないわよ」  春音は明らかに鈴真を蔑むような目をして、吐き捨てた。 「愛人にしたって、ケモノなんかと関係を持ったなんて知られたら、朔月が白い目で見られる。それはこの間の一件であんたも充分理解したはずよ。朔月の将来に、あんたは邪魔なの。ケモノはケモノらしく、朔月の従者として尽くすことだけを考えなさい」  朔月の信者に襲われた時のことを思い出す。あれはさすがに大袈裟かもしれないが、朔月の周りにいるヒト達はきっと、鈴真の存在を邪魔に思う。それは確かだ。いくら朔月が関係ないと思っていても、ヒトとケモノという格差は、嫌でもふたりの距離を遠ざける。朔月がヒトで、鈴真がケモノである限り、その差は一生埋められるものではないのだ。 「そういうことだから。もう必要以上に朔月に近付かないでね」  春音はそう言い残して踵を返した。  足音が聴こえなくなって、その場に残った冬音が肩を落とす鈴真の顔を覗き込む。 「ま、そういうことだからさ。従者としてなら朔月のそばにはいられるわけだし、そう気落ちすんなって」 「……」  そばにいて、と言った朔月の声に嘘はなかった。あれは、これまで通り従者としてそばにいろという意味だったのか?  やっと理解できたと思っていた朔月の気持ちが、また見えなくなる。朔月を信じたいのに、鈴真の心は種族の壁を意識した途端に簡単に揺らぐ。 「なぁ」  冬音が囁く。冬音はどういうつもりなのか、鈴真の肩に腕をまわし、密着してきた。鈴真はそれに抗う気力もなく、されるがままになっていた。 「寂しいなら、俺のとこに来ない?」  冬音が喋る度に首筋に吐息がかかる。その感触に背筋が粟立った鈴真は、冬音から離れようと迫り来る彼の身体を押し戻した。 「そんなリアクションされるとますます虐めたくなるなぁ。猫ちゃんってほんと、可愛い」 「やめろ……っ、触るな!」  朔月以外の人間にこんなふうに身体を触られるのは嫌だ。吐き気がする。  だが、ここのところずっと部屋にこもりきりだった鈴真は普段よりも体力が落ちていて、冬音から逃れるだけの力がない。  冬音の手が鈴真の身体のラインをなぞり、尻を揉まれ、怖気が立った。  すると、冬音が急に声のトーンを落として囁いた。 「どうせ何も聞かされてないんだろうけど、ほんとはお前、一宮の連中にケモノの愛好家に売り飛ばされる予定だったんだぜ。つまりね、朔月がお前を引き取らなかったら、お前は今頃こんなふうに変態野郎から身体をいいように弄ばれてたわけ」 「……っ」  その時、鈴真を押さえつける冬音の力が緩んだ。その隙を逃さず冬音を突き飛ばして、距離をとる。どうやら冬音は本気で鈴真をどうこうしようと思っていたわけではないらしく、両手を上げて意地悪そうな笑みを浮かべた。 「わかったろ? 自分が朔月のためにどうするべきかさ」 「……うるさい。黙れ」  なけなしの意地とプライドをかき集めて、泣きたくなる衝動を堪える。冬音はそんな鈴真を憐れむように見ると、ひらひらと手を振ってその場を離れた。  ──ふたりの言いたいことはわかる。自分が朔月にとって邪魔な存在だということも。 「わかってる……」  だけど、ちゃんと朔月の口から彼の気持ちを聞きたい。彼が鈴真を必要ないと言うのなら、その時は大人しく朔月から離れよう。  鈴真はそう心に決めて、空を見上げた。ひとりで見る空は、ほんの少し哀しい色をしているように思えた。

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