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雨の夜③

 そのあとのことはよく覚えていない。気がつくと寮の朔月のベッドの上でうずくまっていて、窓ガラスが大粒の雨で濡れていた。遠くから雷の音も聴こえてくる。 「……雨……」  ぼんやりと窓の外を見て、呟く。  激しい雨音を聴いているうち、両親に家を追い出された日のことを思い出す。母の怯えきった目、父の侮蔑のこもった視線──心も身体も冷えきって、世界で自分だけがひとりぼっちに感じられた。 「……朔月」  朔月の匂いがするシーツに顔を埋めて、涙をこぼす。  寒い。凍えるように身体が冷たくなり、ぶるぶると震える。息が苦しくて、浅い呼吸を繰り返す。部屋の中の酸素が急に薄くなったみたいに感じる。これ以上ここにいてはいけない、と鈴真の中の何かが警鐘を鳴らす。ここは、朔月との思い出が多すぎる。今まで鈴真を守ってくれていたものが、突然見知らぬ他人みたいなよそよそしさで、鈴真の心を突き刺す。ここはお前のいるべき場所ではないと言われている気がして、鈴真は耳を塞いだ。 (朔月……朔月……)  朔月の名前を繰り返し呼ぶ。  朔月は鈴真の体調の変化がわかると言っていた。こうして助けを呼べば来てくれる気がして、何度も心の中で名前を叫ぶ。だけど、彼は現れない。いつも鈴真の危機には必ず来てくれたのに。  鈴真は何となくわかっていた。朔月にとって鈴真は、大切な存在からただの従者に成り下がったことを。  従者として大切にすると言った朔月の言葉を思い出し、捨てられないだけましじゃないかと自分に言い聞かせる。このまま朔月のそばにいられるなら、従者としてでも構わない。もう二度とその手に触れることが許されなくても。もう二度と抱きしめてもらえなくても。もう二度と笑いかけてもらえなくても。 (大丈夫……大丈夫だ)  必死に深呼吸を繰り返す。幼い頃に聞いた、朔月の優しい声が耳の奥に蘇る。 『大丈夫です。僕が鈴真さまを守ります』  大丈夫。  そう呟いた時、誰かの足音が廊下に響いた。この音は、朔月だ。朔月が帰ってきた。  しかし、先程まであんなに帰ってきて欲しいと願っていたのに、朔月に何を言われるのか怖くて、鈴真は顔を上げられなかった。

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