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雨の夜⑤

「大丈夫か?」  風羽の部屋に抱えられるようにして連れてこられた鈴真は、ソファに座ったまま頷いた。同室の詩雨がどうぞ、と鈴真に湯気の立ったマグカップを差し出す。震える指先で何とかそれを受け取ると、中に温かそうなミルクが入っているのが見えた。 「朔月と喧嘩でもしたのか?」  テーブルを挟んで向かい側のソファに腰を下ろした風羽が、痛ましげに鈴真を見つめる。その隣に座った詩雨も、心配そうにそわそわしていた。  鈴真は、風羽の問いかけに何も答えられなかった。喧嘩などと言う可愛いものではない。鈴真は朔月に別れを告げたも同然なのだ。朔月の反応からして、彼もそれを理解したのだろう。だから追ってこなかった。 「……僕は、朔月のそばにもういたくない。いないほうがお互いにとっていいんです。一緒にいても、ぶつかってばかりで……今日、朔月にはっきりと言われました。僕はあいつにとって、所有物でしかないと」  こんなことを話してもどうにもならないのに、鈴真には止められなかった。 「朔月の将来のためにも、離れたほうがいい……」  そう口にすると、また鼻の奥がつんとしてくる。  違う。こんなのは建前だ。  本当は、朔月をほかの誰にも渡したくない。自分にしてくれたみたいに優しく抱きしめたり、激しく求めたりするのかと思うと、胸が焼け焦げそうだった。  だけど、ただの所有物として朔月のそばにいて、彼の幸せを見届けてひとりで死ぬのを待つのも、嫌だ。朔月の将来のためなんて言いながら、本当は自分のために朔月から逃げ出したのだ。そうでなければ、「大嫌い」だなんて酷い言葉を朔月にぶつけたりはしない。  結局、鈴真は昔と何も変わっていない。自分を守るために、朔月を拒絶することしかできない。 「僕は……好きな人の幸せも願えないような、最低な人間なんだ……」  鈴真は顔を伏せたまま、両手でマグカップを強く握りしめた。  風羽はしばらく黙って鈴真を見守っていたが、やがて口を開いた。 「あのな、さっき俺にお前を探すように頼んだのは、朔月なんだぞ」 「……え」  思わぬ言葉に、鈴真はマグカップを取り落としそうになった。  朔月が、風羽に鈴真を探すように頼んでいた? あれだけ風羽を嫌っていた朔月が? 「自分よりも俺のほうがいいからって……あの朔月がわざわざ頭を下げたんだ。どうでもいいやつのためにそんな真似をするほど、あいつが性格のいいやつじゃないことくらい知ってるだろ?」  その時のことを思い出しているのか、風羽が苦笑しながら言った。  大嫌いな風羽に頭を下げるなんて、朔月らしくない。でも、鈴真はその言葉を鵜呑みにはできなかった。 「でも……あいつは結婚するって……」 「結婚? 冗談だろ? 朔月は一生結婚するつもりはないって言ってたぞ?」 「でもそれは、昔の話だろう……? 今日、確かに聞いた。縁談がまとまったって、朔月の養母も言ってた」  何より本人の口から聞いたのだ。鈴真とはただの主従関係で、朔月にとって大事なのは、神牙家と妻になる女性だけだと── 「朔月のやつ……相変わらずだな。いや、これもあいつの境遇を思えば仕方ないことか」  風羽が呆れたように溜息をつく。 「鈴真、もう一度朔月とちゃんと話をしてくれ。俺からの頼みだ」 「話って……今更何を……」 「あいつは何か考えがあってそんなことをしたんだと思う。いや……そんなことはどうでもいいか。とにかく、朔月の話をちゃんと聞いてやってくれ。あいつは本当に大事なことは自分ひとりで抱えて誰にも話そうとしないところがある。それはお前も知ってるだろう?」  確かに、朔月は幼い頃周りの大人から暴行を受けていた時も、この間嫌がらせされていた時も、誰かに助けを求めたりはしなかった。まるで誰かに頼ることを知らないみたいだ、と鈴真は思った。 「ずるい言い方だとわかっているが、朔月がそんなふうになったことに少しでも責任を感じているなら、もう一度朔月と話してやってくれ」  風羽はそう言って、鈴真の反応を待った。  ──そんなことを言われたら、鈴真としては話をしないわけにはいかない。 「……わかりました」  鈴真が頷くと、風羽は緊張を解いて微笑んだ。  マグカップの中のミルクは、いつの間にか冷めていた。それを飲み干してから、鈴真は「話を聞いてくれてありがとう」と礼を言い、心配そうなふたりを部屋に残してドアを閉めた。

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