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たとえ傷ついても

 こんな朔月を見たのは初めてだった。朔月はいつも自信に満ちていて、弱音を吐かず、それは彼が強い人間だからだと思っていた。でも本当はこんなにも弱い部分を持っていて、それを誰にも知られないように、ずっと隠しながら生きてきたのだ。  そして、朔月をそんなふうにしてしまったのは、間違いなく鈴真だ。長い間鈴真に嫌われ続けた彼は、誰よりも鈴真の愛を求めながら、自分が鈴真に愛される価値のない人間だとしか思えなくなっている。それはどんなにつらいことだろう。そして、そんな痛みも苦しみも、吐き出す術を彼は知らない。彼の幼い頃の境遇が、鈴真が、そうすることを許さなかった。きっと鈴真と取り違えられなければ、優しい両親のもとで素直に甘えることができたはずなのに。  鈴真は、黙り込む朔月に何か言葉を返そうと口を開いて、しかし声を出せなかった。  何を言えばいいのだろう。傷つけてしまったことを謝るべきか。それとも好きだと伝えるべきなのか。どれも違う気がする。今更謝ったところで朔月の傷が消えるわけではないし、多分好きだと告げても彼は信じられないだろう。  鈴真が迷っていると、朔月は何かを察したのか、またいつものように笑みをつくった。 「……ごめんね。変なこと言って。今言ったことは忘れてくれていいから」  そう言って立ち上がり、しっかりとした足取りでドアに向かって歩き出す。  ──君に必要とされている気がしたから。  いつか耳にした、朔月の言葉が脳裏をよぎる。鈴真に憎しみをぶつけられることが嬉しかったと言った朔月。そう口にした時の、どこか遠くを見つめるような瞳。 「朔月!」  叫んで、朔月の背中にすがりつくみたいに抱きついた。 「行くな……」  朔月は自分の気持ちをちゃんと話してくれた。だから、自分も言いたいことを言葉にしようと思った。 「いくらでも傷つけていい。だから、そばにいろ……どこにも行くな。僕はお前が欲しい。僕のものになれ……」  朔月が静かに息を呑む気配がする。鈴真は朔月の背中に頬を寄せて、目を閉じる。 「朔月……朔月」  好きだ、愛してると告げる代わりに、何度も名前を呼んだ。こうしてこの背中を抱きしめられるなら、このまま世界が終わったっていい。ほかには何もいらない。恋人になれなくても、ただの従者のままでもいい。 「お前がそばにいてくれるなら、死んだっていい。だから……」  続けようとした言葉は、朔月の口付けに飲み込まれた。角度を変えて、貪るように唇を食まれる。 「ん……っ、さ、つき……」  激しい口付けの合間に名前を呼ぶと、鈴真を抱きしめる腕の力が強くなる。しばらくお互いに深く求め合って、名残惜しげに唇を離すと、朔月の射貫くような瞳に間近で見つめられる。 「……ずっと、同じようなことを思ってた」  朔月が喋る度に彼の吐息が鈴真の唇にかかる。いつの間にか、朔月の服についた甘ったるい香りは消えていた。 「いくらでも傷つけていい。君がいつか笑ってくれるなら、死んだっていい。そう思ってた」  それは、幼い朔月が鈴真に対して抱いていた気持ちだった。  鈴真の瞳からこぼれ落ちた滴を、朔月の唇が優しく拭っていく。 「僕はこんな気持ちを愛だって思ってた。ねぇ鈴……君はどう思う?」  ずっと合わなかったお互いの欠けた部分を埋めるピースが、かちりとはまる音がした。 「僕は……愛だと思う。僕はお前を、愛してるんだと思う」  ああ、やっと言えた。ずっと自分の心の奥底にしまっていた気持ちを、ようやく伝えられた喜びで、胸がいっぱいになる。  朔月は、笑っていた。暗闇の中でも眩しいくらいに晴れやかで、きらきらした笑顔。鈴真の想いが、朔月の心にちゃんと届いたことがわかる。 「好きだよ……鈴。ずっと君のそばにいる。もう二度と離れない。君の中の僕への愛を、信じる」  そして、朔月は君がどうして怒っていたのかやっとわかったよ、と言って、鈴真を抱き寄せた。

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