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きみが笑ってくれるなら①

「何だこの点数は。ちゃんと勉強しないからこうなるんだ」  リビングから鈴真の父の厳しい声が聞こえてきて、朔月はまたか、と思った。  最近鈴真はテストの成績が良くないようで、毎回のように叱られていた。一方、鈴真とは別の公立の学校に通う朔月は、どうやら学年で一番優秀な成績をおさめているらしかった。どうやら、というのは家庭訪問の時に担任が鈴真の父にそう伝えたのを聞いていたからで、朔月自身は自分の成績になど全く興味はなかったからだ。  朔月にとってはそんなことよりも鈴真の前で失敗ばかりしてしまうことが不甲斐なくて、いつももっと優秀な使用人になりたいと願っていた。  だが、鈴真にとって学校の成績は大事なものらしく、毎日深夜まで勉強して朝早くに学校へ行き、学校が終わると塾に行ってまた勉強をする、という日々を送っていた。  そして、学年が上がるにつれてどんどん鈴真の成績は落ちていき、それに従って鈴真の父の彼への当たりがどんどんきつくなっていった。  逆に、朔月に対する父の態度は以前よりも柔らかくなり、朔月を気遣うことが増えた。だが、朔月は父に優しくされる度、その優しさは自分ではなく鈴真に向けてあげて欲しい、と思っていた。  鈴真は充分頑張っている。朔月がそれをちゃんと知っていることを、鈴真に伝えてあげたかった。  ある日、掃除のために鈴真の部屋に入った朔月は、机の上に広げられたノートを盗み見た。  鈴真の姿はなく、どうやら算数の問題で行き詰まっているらしい。何度も消しゴムで消した跡が残っていた。  朔月は、鈴真を少しでも助けたくてノートに答えとその求め方を丁寧に書き記した。  その夜、朔月は鈴真に部屋に呼び出された。 「なんだ、これは」  鈴真はノートを掲げ、朔月が書き足した一文を指さした。朔月は答えられなかった。鈴真が明らかに怒っているのがわかっていたからだ。 「僕はこんなこと頼んでない!」  そう怒鳴って、鈴真はノートを朔月に叩きつけた。そして、朔月の胸倉を掴んで揺さぶりながら、泣きそうな瞳で睨みつける。 「薄汚いケモノの子の分際で、僕を馬鹿にしやがって……! 許さない、絶対に許さない!」  朔月はただ黙って激昂する鈴真を見ていた。だが、そんな朔月の態度がさらに鈴真の怒りに火をつけたらしく、彼は朔月を放すとテーブルの上に置かれた飲みかけの紅茶が入ったティーカップを手にとり、中身を床にぶちまけた。 「床が汚れた。お前が舐めて綺麗にしろ」  そう言った鈴真の目は赤く充血し、今にも泣きそうだった。 「はい」  朔月は頷いて、躊躇うことなく床に伏せた。そして、床の上の紅茶に舌をつける。冷めきった紅茶の味と、ざらざらした感触が口内に広がる。  鈴真は黙ってそれを見下ろしていたが、朔月があらかた舐め終えた頃、「もういい。やめろ」と言った。言われた通りに床から顔を上げると、鈴真が苦しそうに顔を歪めてこちらを見ていた。  朔月を暴行しているほかの使用人達のように、鈴真も自分を虐めて愉しんでいるのだと思っていた朔月は、鈴真の痛々しい表情を見て動揺した。

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