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きみが笑ってくれるなら②
それから、鈴真は朔月が何か失敗する度に彼に罰を与えるようになった。罰と言っても大したものではなく、夕食を抜きにするとか、言葉でなじるとか、朔月にとっては痛くも痒くもないようなことばかりだった。鈴真はほかの使用人達のように朔月に暴力は振るわず、紅茶がぬるいと怒った時はカップの中身をかけられたが、熱すぎると怒った時は大人しくカップをテーブルに置き、説教するだけだった。
そして、罰を与えたあと鈴真は決まって苦しそうな、今にも泣き出しそうな表情で朔月を見る。まるで自分が傷つけられているみたいに。
そんなある日、鈴真は連日の徹夜で身体を壊し、階段を下る途中で貧血を起こした。たまたま近くにいた朔月が鈴真の身体を支え、何とか落ちずに済んだが、自分にしがみついて苦しげに浅い呼吸を繰り返す鈴真を見ていたら、不意に泣きたいような衝動に襲われた。
鈴真は明らかに苦しんでいる。彼のために何かしてあげたい。彼が少しでも楽になるのなら、どんなことだってするのに──そう強く思った。
翌日、目を覚ました鈴真は父に体調管理もできないのかと厳しく叱られた。鈴真は泣かなかった。いつにも増して青白い顔をして、ただ「申し訳ありません」と謝罪した。
父が出て行ったあと、朔月は部屋に入った。
「今、お前の顔を見たくない。出て行け」
そう言って鈴真は顔を背けたが、その瞳には涙が溜まっていた。朔月は彼が誰にも知られないようにひとりで泣いていることを知っていた。
「鈴真さま……」
朔月はベッドから半身を起こした状態の鈴真の上にのしかかり、その身体を押し倒した。そして、鈴真の瞳からこぼれ落ちた滴をそっと舐めとる。
「やめろ!」
叫んで、抵抗する鈴真の身体を押さえつける。貧血気味の鈴真の身体は簡単にベッドの上に縫いつけられた。
「やめろって言ってるだろ!」
鈴真が必死に振り上げた拳が、朔月の頬に当たる。骨が軋む嫌な音がして、口の中が切れて血が出たのがわかる。
鈴真が本気で朔月を殴ったのは初めてだった。彼は自分の行動が信じられないみたいに朔月を殴った手を見つめ、震えていた。朔月はそんな鈴真の手を両手で包み込んだ。
「もっと僕のことを嫌ってください。もっと本気で殴っていいんですよ」
そう告げた自分は、おそらく笑っていたのだろう。鈴真は目を見開き、やがてその瞳から幾筋もの涙が伝い落ちる。
「嫌いだ……お前なんか大嫌いだ……!」
鈴真は泣きながら、きつく握りしめた手で朔月の胸を殴った。自分の中の怒りや哀しみ、寂しさをぶつけるように。
それから、鈴真は何かつらいことがあって耐えきれなくなると朔月を部屋に呼び出し、溜め込んだストレスを朔月にぶつけるようになった。
その方法は、朔月がベッドに横になり、その上にまたがった鈴真が朔月の首を絞める、というものだ。最初は躊躇していた鈴真も、朔月が自ら鈴真の手で自分の首筋を掴ませ、絞めるように懇願すると、徐々に指に力を込めるようになった。
それはふたりだけの秘密だった。朔月は鈴真に首を絞められている間、彼の中に自分しかいないことを愉しみ、彼が自分を必要としていると確信できる。
いくらでも傷つけていい。彼がいつか笑ってくれるのなら、死んだっていい。自分はこの瞬間のためだけに生まれてきたのだとさえ思った。
──朔月にとって、鈴真は世界の全てだった。
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