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この手できみを②

 人酔いしてバルコニーに避難した朔月は、先客の姿を見つけて身体を強ばらせた。 「ん? 珍しい顔だな。君もここに逃げてきたのか?」  そこにいたのは、藤市風羽──鈴真の文通相手だった。 「俺は風羽。藤市風羽だ。君は?」 「……神牙朔月です」  作り笑いを顔に貼りつけて名乗ると、風羽はああ、と思い出したように言った。 「もしかして、鈴真の使用人の? 神牙家に養子に行ったんだったか」  朔月の頬がぴくりと震える。なぜ知っているのだろう、と思っていると、風羽は明るく笑った。 「鈴真が手紙に書いていたんだ。知ってると思うが、彼とは手紙のやり取りをする仲でな。たまに君のことを話題に出していたよ」  朔月の中に、風羽への敵愾心と、鈴真が自分のことを手紙に書いていたことへの喜びがない混ぜになった複雑な感情が芽生えた。 「……彼とは、まだやり取りを続けているんですか」  知らず、棘のある言い方になったが、風羽は気にしていないようだ。 「ああ。今はお互いに色々と忙しいから、高校生になったら会おうと約束した」 「……へぇ。仲が良いんですね」 「お前は鈴真の境遇をどう思っているんだ」  急に風羽が真剣な顔になって言った。 「あいつは両親に精神的な虐待をされてると俺は思う。どうにかして助けてやりたいとも。お前はどう思う?」  どう思うか、だと? そこまで理解していて行動に移さないやつが、鈴真の何を助けると言うんだ。  朔月の中の怒りが耐えきれないほどに膨れ上がり、思わず浮かべていた笑みを消した。 「言われなくてもわかってる。鈴真さまは僕が必ず助ける。そして、いつか僕が立派な人間になったら……立派な人間だと認めてもらえたら、その時は僕が一生をかけて鈴真さまを幸せにする。もう二度とひとりになんかしない。僕はそのために生きている」  何かに誓うように、朔月ははっきりと自分の意思を口にした。風羽は驚いたように目を丸くし、やがて微笑んだ。 「そうか……お前は鈴真が好きなんだな」  ──好き。  今まで鈴真へのこの気持ちの名前がわからなかった。けれど、今やっとわかった。 (そうか……僕は、鈴真さまが好きなんだ)  そう思うと何だか急に照れくさくなって、朔月は手にしていたグラスの中身を飲み干した。ただの炭酸ジュースだと思っていたそれは喉をカッと熱くさせ、何だか頭がくらくらしてきた。 「ん? 君、それ酒じゃ……」 「鈴真さまは、僕の世界の全てなんだ……お前なんかよりもずっと、僕のほうが鈴真さまのことをわかってる……」  風羽への苛立ちを口にしたのを最後に、その日の朔月の記憶は途切れている。  気がつくと自室のベッドで寝ていて、自分がどうやって帰ってきたのか思い出せない。どうやらあの時飲んだのが酒だったらしいこと、酔った自分が風羽に自分の半生を暴露したことを知ったのは、半年後に再びパーティーで風羽に会った時だった。  風羽は「安心しろ、誰にも言わないから」と言いつつ、それから朔月に馴れ馴れしく接してくるようになった。だが、彼から聞かされる鈴真の話は興味深く、結局彼を拒絶することはできなかった。

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