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予感

「それじゃ、鈴真くんにケモノ化の兆候が出てるってこと?」  深夜、喉が渇いて一階に降りてきた朔月が耳にしたのは、養母の戸惑ったような声だった。  リビングのドアから光が漏れて、中から養父母の会話が聞こえてくる。 「どうやらそうらしい。ずっと眠ったまま目を覚まさないそうで、医者はケモノ化の兆候かもしれないと話していたそうだ」 「まあ……」  ずっと目を覚まさない? ケモノ化? 一体何の話だ。 「どういうことですか」  気がつくとリビングのドアを開き、養父母に問いかけていた。養父母は、なぜか特に驚いた様子もなく、お互いに顔を見合わせて、こちらに視線を向けた。 「朔月、落ち着いて聞きなさい。どうやら、お前と鈴真くんは、産まれてすぐに取り違えられたようなんだ」  養父によると、同じ日に同じ病院で産まれた朔月と鈴真は、何かの手違いによって入れ替わってしまい、朔月は鈴真の母の、鈴真は朔月の母の子供として生きてきたという。  つまり、鈴真の両親だと思っていたふたりは朔月の実の両親で、鈴真の母親はケモノだということになる。 「ケモノの血を引くヒトの子供は、稀に成長途中で身体がケモノに変化してしまうことがあるんだ」  養父はそう続けた。朔月はその間、身動きひとつせずに黙って話を聞いていた。朔月がショックを受けていると思ったのか、養母が心配そうに朔月の肩を抱く。 「まだケモノになると決まったわけじゃないのよ。あくまでその兆候が見られると言うだけで」 「……鈴真さまは、どうなるんですか」  朔月は自分でも驚くくらい冷静だった。自分が一宮の息子だということなどどうでもいいと感じた。そんなことよりも、あのふたりが自分達の実の息子ではないとわかった鈴真をどうする気なのか、そっちのほうが気になった。 「……言いにくいんだけれど、多分一宮の屋敷から追い出して、施設にでも預ける気じゃないかしら」  養母の言葉に、ああ、やっぱりと思った。あのふたりならそうするだろう。もしかしたら、朔月と鈴真が取り違えられた可能性に気付いていたから、あんなに鈴真にきつく当たっていたのではないだろうか。そして、今回のケモノ化の兆候でその可能性がほぼ確信に変わった。このまま鈴真がケモノ化してしまったら、彼は本当にひとりぼっちになってしまう。 「養父(とう)さん、養母(かあ)さん。お願いがあります」  朔月はその場に膝をつき、床に頭を押しつけた。ふたりが「朔月!?」と焦ったような声を出す。 「鈴真さまをうちで引き取りたいんです。ふたりに迷惑はかけません。彼の面倒は僕が見ます。これからどんな命令にも従います。だから……お願いします」  もうこれ以上鈴真をあの家には置いておけない。鈴真を助けられるのは自分しかいない。  朔月は土下座した体勢のまま、ふたりの反応を待った。やがて、養父がふう、と息を吐き出す。 「朔月、ずっと私達の子でいてくれるかい? 一宮の本当の両親がお前を引き取りたいと言っても、ここにいると誓える?」 「はい。もとよりそのつもりです」  鈴真をずっと傷つけてきたあのふたりを、今更両親として慕うことなどできない。彼らと血が繋がっていることを疎ましく感じるくらいだ。  朔月の覚悟を感じとったのか、養父は朔月の肩をぽんと優しく叩いた。 「わかった。鈴真くんが目を覚ましたら、うちに連れて来なさい」 「……ありがとうございます」  顔を上げた朔月は、しかし微笑むことができなかった。  養父母が、今まで見たこともないような顔で笑っていた。唇を笑みの形に歪ませながら、瞳の奥に昏い陰を宿していた。

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