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すれ違い⑤

 しばらくしてようやく泣き止んだ鈴真は、朔月の手を借りずに自分で制服を着た。彼は全身から拒絶のオーラを発していて、今は何をしても彼の機嫌を損ねそうだったので、朔月はなるべく彼から距離を置いた。  そろそろ帰ろうか、と声をかけてからドアを開くと、腕組みをしてこちらを見下ろす風羽と目が合った。まさかずっとそこにいたのか、と思ったが、口には出さずに挑むように風羽を見返した。 「朔月……ああいうことをするのはやめろ」  やはり朔月に文句を言いに来たようだ。本当に、どこまでも自分を苛立たせる男だ。  そう思いながらちらりと鈴真に視線を向けると、彼は頬を染めて俯いていた。それを見た朔月の心は氷のように冷たくなっていく。 「どうしてですか?」 「嫌がっていただろう。愛しているならもっと優しくしてやれ。でないとお前の気持ちはずっと伝わらないままだぞ」  ふたりのことをよく知りもしないくせに、偉そうに説教してくる風羽に、朔月は心底腹が立った。 「……ああ、嫌がってるように見えました?」 「朔月……?」 「鈴は意地っ張りだから、嬉しくても嫌だって言うんですよ。本当は僕のことが好きなくせに。……ね、鈴?」  鈴真が自分に抱かれることを本当は嫌がっていないことを、朔月は知っている。少なくとも、彼の身体は朔月を求めている。  だけど、彼の心が自分を求めることはないということも、朔月は知っていた。それでも、風羽に負けたくないという対抗心は消えず、朔月は試すように鈴真に問いかけた。 「……鈴」  朔月が促すと、鈴真は戸惑いながらもゆっくりと頷いた。 「……っ、ああ……」 「……本当に?」  風羽が信じられないという顔で鈴真を見ている。鈴真は風羽から目をそらし、ぼそっと呟いた。 「……朔月に触れられるのは、好きだ」  鈴真から触れられるのが好きだとはっきり言われて、朔月の気分は高揚した。たとえそれがこの場をやり過ごすための嘘だとしても、鈴真の口から「好きだ」と聞かされたというそれだけで、彼への愛おしさで胸の中の氷が溶けていく感じがした。 「ね?」  朔月は内心の興奮を隠しながら風羽に笑みを向けた。だが、風羽はまだ納得していないらしく、眉間に皺を寄せたまま、呆れたように朔月と鈴真を交互に見た。 「……わかった。今回は見逃そう。でも次はない。鈴真、何かあったら俺のところに来い。いいな?」  風羽はあくまでも自分が正しいという認識を崩さなかった。そのまま、颯爽とした足取りで去っていく。  ──何も知らないくせに、どうしたらあんなに無遠慮に自分と鈴真の間を土足で踏み荒らすような真似ができるのだ。  朔月は昔から彼の自信に満ちた顔つきや喋り方が嫌いだった。そこにいるだけで他人を惹き付け、自然と笑顔にしてしまう天性の気質。それはどうやっても自分には手に入れられないもので、もしかしたら彼なら鈴真を簡単に笑わせることができるのではないかと思うと、憎たらしくてたまらなかった。  気がつくと、ガン、という鈍い音とともに、朔月はドアを蹴りつけていた。 「ああ……イライラする。昔からあいつは邪魔だったんだ……偽善者が……」  知らないうちに心の声が漏れていた。  朔月はどうにか気持ちを落ち着けて、何でもないふりを装って鈴真に微笑みかけた。 「帰ろうか、鈴」  鈴真の手を握って歩き出すと、彼は黙ったまま大人しくついてきた。  この手を誰にも渡したくない。けれど、そのために何をすればいいのかわからず、朔月は途方に暮れた。

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