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第8話「柘榴」

 モリスの体調を考えて血を飲むことを遠慮していると、ダヴィッドが渇きを覚える。やはり体液だけでは、幸福感は満たせるものの、ヴァンパイアとしての生命は維持できない。  深夜、ダヴィッドは狩りに出る。冬とは違い、この季節は動物が多い。林の中でウサギやキツネなどを素早く追いかけ、鋭い爪でとらえ、牙を立てて身動きを取れなくする。全身の血を一滴残らず飲み干す。  飢えはしのげても、やはり味のしない動物の血では、何かが満たされない。モリスに出会う前はどうでもよかった味というものに、こだわりを持つようになってしまった。  甘さが欲しい。モリスの甘い血が欲しい。真っ黒な林の中から、ダヴィッドはモリスの名を叫んだ。木の枝から、驚いた鳥たちが飛び立つ。鳥には聞こえても、モリスには届かない。血にまみれた唇は震え、ダヴィッドは明け方近くまで林の中でうずくまっていた。  “私は怖いのだ。いつか彼を殺してしまうのでは、と。人間はなぜ、ヴァンパイアよりも回復が遅いのだろう。”  “だが、彼の肉に牙が刺さった瞬間に広がる甘さは、何ものにも代えがたい。生きることなどどうでもいいと思っていた私に、生きる楽しみを与えてくれた味だ。”  ダヴィッドは書斎にこもり、小説を書き続けていた。時には寝室に原稿を持ちこみ、サイドテーブルで羽根ペンを走らせる。  調子がいいときは夢中で書き進めるが、どう表現していいかわからず、何度も丸めた紙をくず籠に投げ捨てることもある。果てには“モリス”とばかり書きなぐった紙くずまでも。  そういうときは決まって、モリスを探す。寝室にいなければ厨房か、居間か、匂いをたどる。昼間の場合、庭に出て花や野菜の世話をしているかもしれない。どこにもモリスの甘い香りがなければ、街や村に出かけているのだ。  時刻は夕方だ。日はもう沈みかけている。カーテンを少し開けて下を覗くと、赤や黄色の花が咲き乱れ、ハーブは茂みのように育っている。きれいに磨かれた噴水は透明な水を湛え、木は青い実をつけている。  モリスはいない。この時刻なら、自分の夕食を作っているはずだ。ダヴィッドは階段を下り、渡り廊下の向こうの厨房を覗いた。モリスが腕まくりをして、スープを煮こんでいる。 「ダヴィッド様、おはようございます」  振り向いたモリスを抱きしめ、キスをする。疲れを癒やす甘いショコラとして、唾液をたっぷり含んだキスを堪能した後、指でモリスの唇をぬぐいながら、ダヴィッドが尋ねた。 「鍋は大丈夫なのか?」 「はい。今、火にかけたところなので大丈夫です」  後ろ向きにしたモリスに、調理台の上に手をつかせる。腰に巻かれたサッシュを外し、ズボンを下着ごと下ろす。まだ柔らかいままの性器を手のひらで包み、揉みしだいた。 「あっ…ダヴィッド様、こんな所で…恥ずかしい…」  その恥ずかしがる姿も、ダヴィッドの欲望に火をつける。さらに恥ずかしい思いをさせたい。前はしっかりと硬さを持って勃ち上がった。先端を指先で撫でる。 「あっ…」  くびれや茎も指先で撫でる。強く擦ることはせず、指先で軽く触れながら、モリスの反応を楽しむ。茎が大きく揺れると、ダヴィッドが喉の奥で楽しそうに笑う。それが恥ずかしくて、モリスは頬を染めて身をよじる。  そのうち、先端が透明な粘液に包まれる。あふれた蜜を指で取ると、モリスに見せつけてから舐める。 「お前はこんな場所でも、私に触れられれば欲情するのだな」  そんな意地悪な言葉が、さらに蜜をあふれさせる。甘い、ダヴィッドにとってのご馳走が。また蜜を指に取る。食前のショコラの次は、アペリティフ。  甘すぎる酒の次には、体の飢えを満たす肉のご馳走。充分に熟成された肉は、極上の旨味を感じさせる。赤く色づいた繊細な門は、すでにダヴィッドを待ちわびている。慣らすことなく後ろからダヴィッドが、一気にそこを貫いた。 「ああっ!」  突然の圧迫感に声を張り上げるモリスだが、上を向いた先端からは相変わらず蜜をこぼしている。 「愛してる…モリス」  激しい抽送の中でささやかれ、モリスの頬が赤く染まる。ダヴィッドがモリスのシャツのボタンを外し、シャツをはいで肩をあらわにした。胸元や首筋がうっすらと桃色に染まり、血の温かさを感じさせる。ダヴィッドの抽送に合わせて大きく息をする肩が、動く肩甲骨が、生命の躍動を感じさせる。モリスが少し背を丸め、肩甲骨の間が広がったときに、ダヴィッドはそこに牙を刺した。 「うぐっ…!」  夢にまで見たモリスの血。ザクロのシロップに似た甘い血と、その血をまとった肉が、ダヴィッドのメインディッシュだった。  確かに肉なのだが、甘い。上等な肉の甘味ではなく、もっと違うものだ。血はザクロのシロップ。それを煮詰めたソースの味。そのソースがかかっていたのは、焼き菓子だった。  ダヴィッドは思い出した。まだ味覚があったころに食べた、ザクロのソースがかかったガトーを。母親が開いたお茶会で出されたものか。あのころは、うまいとも何とも思わず、ただ甘かった記憶しかない。  それが今では、何度も食べたくなる甘さとなって蘇る。柔らかいガトー、そんなふうに勘違いをしてしまい、ダヴィッドは牙を立てた。 「ぐあっ!」  もはやそれは、嬌声ではなかった。ほんの豆粒程度だが、牙で肉が二箇所えぐれた。ダヴィッドの喉が動いた。小さな肉の塊を飲みこんだ。それはまるで、ザクロの実をふんだんに使った焼き菓子。甘酸っぱくいつまでも口の中に風味が残る。だが、目の前には痛さに苦しむモリスがいる。 「うっ…く…」  額には脂汗が浮いている。ダヴィッドは指で額の汗をぬぐうと、それを指で取って舐めた。甘い。ザクロの風味を引き立てる、濃厚な甘さだ。しかし、今は血を流しているモリスを、何とかしてやらないといけない。  ダヴィッドは自分のシャツを脱ぎ、急いで丸めるとモリスの傷口をふさいだ。 「いたっ…!」  ただの擦り傷や、ちょっとした切り傷などではない。肉がえぐれているのだ。汗が吹き出るモリスは、苦痛に顔をゆがめる。 「すまない…悪かった…モリス」  背中からモリスを抱きしめ、ダヴィッドが詫びる。それで痛みがおさまるわけはないのだが、ダヴィッドにはほかに手立てがなかった。ヴァンパイアは、どんな怪我でも自然に回復する。そのため、手当ての仕方を知らなかった。 「…火に…乾いた布を…当てて、消毒してください…」  ダヴィッドは言われたとおりにシャツを引きちぎり、かまどの火にかざした。それを傷口に当てて止血する。 「私の…寝室に…薬箱があります」  モリスの寝室から薬箱を持って来ると、ダヴィッドは指示どおりに手当てをした。体には包帯が巻かれているが、止血が間に合わず、表面が赤く染まっている。 「血が止まらない…。モリス、どうすればいい?」 「村に…医者が…」  ダヴィッドはモリスに服を着せると、かまどの火を消し、モリスを抱きかかえて村へ走った。日が沈んでいて、ダヴィッドが活動できるので好都合だった。林の中を疾走し、家々の屋根を跳ぶ。  煉瓦と漆喰の素朴な建物が点々としている中、ひときわ立派な家がある。そこが医者の家だった。ダヴィッドがドアをノックすると、恰幅のいい、真っ白な口髭の老人が出てきた。 「怪我人を診てほしい」 「どうしたんだい、かなり出血が酷いね」  中は診察室になっていて、ダヴィッドがモリスを椅子に座らせる。どう説明していいか迷いながらも、ダヴィッドは医者の方を向く。 「その…野犬にやられた…」 「そうかい…ここは近くに林があるから。いや、変だな」  医者は眉をしかめる。 「犬の歯にしては、傷口がおかしい…」  上顎の切歯の跡が無い。ダヴィッドは灰色の目を泳がせて答えた。 「あ…それは…たぶん、上着を着ていたから…」  そうかい、と医者は納得してくれて、ダヴィッドは安堵する。 「そういや、ここより北のブルターニュだったかな。もう十五年前…だな。狼だか何だか、人間が食い殺される事件が相次いだ」  あのときの再来でなければいいが、と医者は眼孔に眼鏡をはめ、モリスの手当てを始めた。十五年前の恐ろしい事件を思い出しながら。 「あれは悲惨な事件だった。夜な夜な死体が増える、とな。人はみんな怖がって、夜に出歩かなくなった。それでも狼は家の中に上がりこんで、一家全員を惨殺した、ということもあったな」  森や林でならともかく、港や街中でも被害に遭う人が相次いだ。被害者は全員死亡、目撃者もいない。あとには死体が転がっているだけだ。そのため、何に襲われているのかわからない。食われ方から、狼ではないかという説が有力だ。  新しい包帯を巻き、医者は桶の水で手を洗う。 「高熱もないし、体の震えや嘔吐もない。病気の心配はなさそうだ。林の中には、無闇に入らんようにな。できれば、家の鍵をしっかりかけるといい」  モリスにとっての危険は、その家の中だった。モリスが助かるには、ダヴィッドをがんじがらめにするしかない。鍵が必要なのはダヴィッドにだった。

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