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息つぎの経路

「三波ってアクション映画派なの?」 「僕が恋愛映画好きに見えますか佐枝さん。この武闘派の僕が」  横で小さく吹き出す音がした。鷹尾が上品な仕草で口もとを押さえている。いつもながら少し酒の入った三波の返しはタイミングが絶妙だ。テーブルにはボードゲームのコマとカードが散らばって、壁の液晶画面では去年ヒットした恋愛映画のエンドクレジットが流れている。  藤野谷が今週仕事で海外へ行っているので、休日に俺の家へ三波と鷹尾が酒とお菓子を持参しての「メガ会」となったのだ。映画の選択は半分成功、半分失敗だった。直前に遊んでいたボードゲームが世界をゾンビの侵攻から守るという内容だったためか、俺たちは映画が始まってからも恋愛ストーリーに頭を切り替えられなかったのだ。開始十分で三波が「もしこの映画がゾンビものだったなら」といいながら真顔で実況解説をはじめ、そこへ鷹尾が悪乗りするものだから、感動巨編は爆笑のうちに幕となってしまった。 「でもね、いくら恋愛映画でも口移しはないですよ口移しは。たとえゾンビにならなくても」  と三波が不満げに続ける。映画のハイライトだったとあるシーンに不服を申し立てているのだ。 「そうかな。私はいいなと思いましたよ。色っぽくて」 「やだなあ、鷹尾もさあ。だいたい、飲み物を口移しにするなんて簡単にできないよ? あのアルファの男ぜーったい、あの前に練習してるよひとりで。この角度ならうまくいくな、とか……」 「また笑っちゃうからやめて。想像しちゃう」 「真面目な話、こぼれるでしょう」三波はグラスを揺らしながら俺のほうをみた。「液体の口移しって非現実的ですよ。ちがいます?」  どうしてこっちをみるんだ、と思いながら、俺は無難な返事をする。 「そうかもな」 「飴やチョコレートなら知りませんけど、酒を口移しにするなんてもったいないですよ。自分で飲みたいじゃないですか」  飴やチョコレート。記憶をうっすらとひっかかれて耳のあたりが熱くなる。俺はごまかすように首筋に手をあてる。 「相手によるんじゃない?」鷹尾がニコニコしながらいう。 「口移しすら許せるひと、なんて、やっぱりロマンチックですよね」  するとなぜか急に三波がむせた。 「おい、大丈夫?」 「大丈夫です……僕トイレ行ってきます……」  俺はよろよろとリビングを出ていく三波のうしろ姿を眺めた。 「三波はこういう話になると急に照れるから、可愛いですよね」と鷹尾がいう。 「俺も前からそう思ってた」 「うまくいってるのかしら」 「それって?」  鷹尾は目尻をゆるめて微笑む。 「ベータの人と付き合ってると聞いてますけど、これまでと勝手がちがうから困ってるみたい」 「そうか」 「困ってる三波は可愛すぎて困ります」 「そうかも」 「佐枝さんは抵抗なさそうですよね」 「抵抗?」 「口移し」 「え?」  また思いがけず顔が火照った。 「いや……もちろん相手によるよ……」 「ですよね」  鷹尾はにこにこ笑った。そうするとなめらかな頬にきれいなえくぼが浮かぶ。彼女には時々すべてを見透かされているような気がする。リビングに戻ってきた三波は怪訝な顔で俺をみたが、何もいわずにリモコンをとりあげた。 「さあ、次はどの映画をゾンビにしますか?」  次の映画はシリアスなサスペンスドラマだった。俺たちは新しく飲み物をつくり、今度は黙って真剣に鑑賞した。玄関で物音が響いたのはそろそろクライマックスという頃合いだ。気づいて俺が立ち上がった時にはリビングの扉が半開きになり、藤野谷が顔をのぞかせている。 「あ――」  おかえり、といおうとしたが、藤野谷は唇に指をあててそっと扉をしめた。俺は水滴で濡れたグラスを持ったままキッチンへ行った。 「早かったな。夜中になると思っていた」 「早いフライトが取れたんだ。あっち、いいのか?」 「それよりも先にただいまっていえよ」  藤野谷は頰を緩めた。背広を脱ぎ、ネクタイをゆるめてシャツのボタンをひとつあける。汗と藤野谷の匂いが広がって俺は一瞬くらりとする。 「ただいま、サエ」 「おかえり。外、暑い?」 「空港に着いたら季節外れの暑さだといわれて、すこし参った――それ、くれないか」  いうだけいって返事も待たず、藤野谷は俺が手に持ったままのグラスを素早く奪った。底に残った氷を口に含む。どこか子供っぽい動作に俺は思わず笑った。 「天、氷なんか食べなくても。飲み物は?」  藤野谷は氷を口にいれたまま首をふり、俺を手招きした。細められた眼と眼があうと自然におたがいの腕が回る。シャツの背中が汗ですこし湿っている。たった一週間の留守だったのにキスは甘く、息を吸うたびに藤野谷の匂いに包まれて俺の頭はぼうっとする。と、唇のすきまから入ってきた舌が俺の口に冷たいかけらを押しこんだ。  冷たい水が喉をくだる。藤野谷の腕は小さく震えた俺をしっかり支えていた。 「やっぱり溶けるか」 「びっくりするだろ……」 「サエの氷、甘くてさ」 「馬鹿」  俺はうつむいてつぶやき、また熱くなった顔をそむける。

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