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はじける泡の……

   * 天とサエがふたりの家で暮らしはじめてからの、ある日のひとこま。    * 「この前、駄菓子屋へ行ったんですよ」  といって三波は茶色い紙袋のなかみをざらっとテーブルにあけた。今日は俺の家で俺と三波と鷹尾の三人による映画上映会――というか映画をみながら飲み食いをする会なのだが、鷹尾が珍しく遅れ、俺と三波はリビングでのんびりしているところだった。テーブルに転がっているのは一個ずつ包装された菓子類だ。 「なんでまた駄菓子屋に?」 「たまたま通りがかりに、いい雰囲気の店があったんです」  さては峡とのデート中にみつけたのか。俺はそう思ったが、もちろん口には出さなかった。 「佐枝さん、どれがいいですか?」 「俺? きび団子かな」 「渋いですね」 「そう?」  三波はサイコロ型の包装紙をつまむ。 「駄菓子といえばやっぱりこれじゃないですか? 十円チョコ」 「そうかな。俺はきび団子か酢イカだと思うんだけど」 「うーん、やっぱり渋い」  くだらないことを話しているとチャイムが鳴り、鷹尾がやってくる。 「お待たせしました~遅れちゃってごめんなさい」  鷹尾はいつものようになめらかな白い頬にえくぼを浮かべていた。「遅刻なんて珍しい」といった俺に「忘れ物をして、一度戻ったものですから」と答えて、トートバックからこぶりの紙袋を取り出す。 「欧州のお土産です。休暇で旅行に行ったので」 「ああ、ありがとう。悪いな」 「鷹尾はどれがいい?」  三波は何の前置きもせずテーブルの駄菓子をさした。 「残ってるのは酢イカと、フーセンガムと、ラムネと、カツと、梅ジャ――」 「酢イカ」  鷹尾の即答に俺たちは顔をみあわせた。彼女の選択を意外に思ったのは俺だけではなかったようだ。しかし鷹尾は俺たちの反応などどこ吹く風で、赤く染められたイカの串をつまみながらにっこり笑った。 「残ったの、ボスとふたりで分けてください」  三波はそういって駄菓子の残りを押しつけ、鷹尾と並んで帰っていった。藤野谷が帰宅したのはそれから一時間ほど経ってからだった。リビングにやってくると、物珍しそうに駄菓子のパッケージを眺めている。 「どうしたんだ?」 「三波が持ってきたんだ。懐かしくて買いこんだらしくてさ」  藤野谷はフーセンガムの小箱を指先でつまみ、カラカラと鳴らした。箱にはぶどうの絵が描いてある。 「これ、何」 「ガムだよ。風船をふくらませられる。知らない?」 「知らない。だいたい、この手のお菓子を食べたことがない」 「え?」  俺は思わず眼をみひらいた。 「子供のころにさ、文房具売ってる店で買ったり、子供会でもらったりしなかったか?」 「なかった」  あ――まずいことを聞いてしまったかもしれない。藤野谷は子供の頃の思い出をあまり話さないのだ。俺はひやりとしたが、藤野谷は気にもしなかったようだった。フーセンガムの箱を指先で振った。 「風船ガムってあれか。映画でみるやつ」 「そうそう」俺はあわてて話を続ける。「やってみる?」  ガムは懐かしい甘さだったが、大人になって噛んでみると妙に行儀が悪く感じた。俺は柔らかくなるまで噛んだガムを舌を使って口の中で伸ばす。藤野谷は俺をみならうように神妙な顔でガムを噛んでいる。  いい年をした大人が並んでやるには妙にシュールな光景だが、俺はついにぷっと白いガムをふくらませるのに成功する。風船というよりも泡のようで、息を強く吹きこみすぎたのか、すぐにぱちんと割れてしまった。 「どうやってるんだ、サエ」  俺はしぼんだガムを口の中に回収する。 「柔らかくなったら一度丸めて、歯の裏にくっつけて伸ばすんだよ。舌で押して。膜みたいになったところに息を入れるんだ」  藤野谷は怪訝な顔をしながら唇をとがらせるようにしているが、うまくいかないらしい。 「だめだな。コツがわからない」  面白くなさそうな口調でいった。めったに聞くことのない言葉だった。 「練習したらできるようになるぜ」 「サエは経験者だろう。俺はハンデが欲しい。何しろ人生はじめてなんだから」 「大げさだな」  笑った拍子にガムを飲みこみそうになって、俺はあわてて紙の上に吐きだす。 「縁日の風船ヨーヨーは上手かったのに」 「あれは目にみえる。それに案外すぐ味がなくなるんだな」 「しょうがないさ。フーセンガムの醍醐味は味じゃない」  話しながら俺はテーブルを片づけはじめた。 「晩ごはん、作るよ」 「俺も」  藤野谷もガムを捨てた。三波と鷹尾がいたときの賑やかさとはうってかわって、穏やかな夜だった。ふたりでキッチンに立ち、夕食を作って、向かいあって食べる。他愛ない話をする。土曜にもかかわらず藤野谷がひとりで出かけていたのは名族にからんだ会合のためだが、明日は日曜で二人とも休日だ。キッチンを片づけたあとは俺も藤野谷も、リビングで何をするわけでもなくだらだらと過ごした。  一緒に暮らしていても、一週間のあいだにこんな時間を持てる日はあまりない。俺が暇なときでも藤野谷は仕事があるし、俺が締切に追われていることもあるからだ。平和な気分を抱えながら俺はソファのうえで伸びをする。 「サエ、猫みたいだな」 「んん?」 「もう寝る? 風呂は?」 「はいる……」  あくびをしたとき、鷹尾のくれたおみやげを思い出した。藤野谷が「何?」と聞く。 「鷹尾のおみやげ。彼女休暇だったって? 海外旅行に行ったってさ」  紙袋にはチョコレートの小箱や紅茶のティーバッグと一緒にプラスチックのボトルが入っていた。桃の香りがほのかに漂う。俺にはラベルの文字が読めなかったので、藤野谷にみせると「バブルバスだ」と即答する。 「シャワーで泡立てろって」 「天、よく読めるな」 「雰囲気だよ雰囲気」 「何それ」  藤野谷はラベルをまたにらんだ。何度かまばたきをして、俺の顔をみる。唐突に立ち上がった。 「サエ、風呂入るぞ。これを使う」 「泡風呂?」 「明日も休みだから、ふたりで入ろう」  え? とソファに起き上がったとき、藤野谷はもうボトルを手にバスルームへ向かっている。さては――と思ったとたん顔が熱くなった。どうしてなんだろう、いまだに照れる。一緒に暮らして、こんなに近くにいるのに。  トイレを出るとバスルームからシャワーの音が聞こえてくる。俺はバスタブのそばにいる藤野谷の横に立つ。バスルームは桃の香りでいっぱいで、バスタブの底にはもうモコモコした白い泡が湧いている。藤野谷がシャワーの湯をあてたところから雲が湧くように泡が盛り上がるのだ。 「うわ、すごい――」  俺は中腰になって手を伸ばした。みかけよりしっかりした泡だ。手のひらにのせるとパチパチとはじける。そろえた両手に桃の香りの雲をのせて吹くと、細かな泡がいくつかふわっと宙に浮く。 「サエ、遊ぶなら服をぬげ」藤野谷が笑いながらいった。 「脱がないならかけるぞ」 「なんで俺だけ――天もだろ――あっずるいっ」 「さっさと脱がないのが悪い」  湿ったシャツのボタンを外す俺を藤野谷がじっとみている――と思ったら、眼をそらしてシャワーをとめた。バスタブの中は泡の雲でいっぱいだ。濡れた服をバスルームの外へ乱雑に投げ、俺は温かい湯にひたる。ほうっと息がもれた。 「天も早く入れよ――おっと」  裸の藤野谷が俺の視界を覆い、一気に水面が高くなる。バスタブは男ふたりで入るにはぎりぎりの大きさだ。俺たちはいったい何をしているんだか。  泡の雲のしたで藤野谷は俺の腰を抱き、うなじに唇をよせてくる。とても静かな夜だった。俺の耳には泡がはじける音楽と藤野谷の呼吸だけがきこえている。

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