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7話(上)
平日昼間、真矢は髪を切ることにしていた。
数日前に予約アプリから弥生の店を検索した。本当に店長なんだ、などと実感しつつ真矢は指名ボタンをタップする。指が少し緊張する。
サイトのプロフィール写真は、メッセージアプリよりさらに軽やかで、少し、そう、言葉を選ばなければ可愛い。
そんな弥生は、自分が店に現れたらどう思うのだろうか。本人に髪を切って欲しいといえばいいものを、断られることに怯え、我ながら卑怯だったかもしれないと反省する。
「いらっしゃいませ。」
「14時から予約しました。西野です。」
真矢、西野真矢は受付で名前を告げる。
受付のアシスタントがPCの予約リストをカチカチと操作する。
「西野様、ご来店ありがとうございます。おかけになって、こちらお書きになってお待ちいただけますか。」
簡単なカルテを渡されソファへ案内される。
「あ、はい、」
アシスタントはそのまま弥生の元へ向かう。
「弥生さん、ご予約の西野様いらっしゃいました。」
「わかった」
同時に鏡を受け取る。
「今日こんな感じで仕上げてあります。バームとかを毛先につけてまとめるだけでも艶っぽくなりますよ。」
「いい感じ〜。」
少し聞こえてくる声を聞きながら、真矢はいつもと違う、予約アプリのプロフィール画像を思い出していた。あれによく合う声だ。他所行き、なんだろう。
真矢は下を向きカルテを書く。弥生が前の客を見送る。
そしてソファの方を振り返る。
「すみません、お待たせいっ、たシマシタ…」
ようやく真矢だと気づいたのだろう。
「西野様、初めまして?」
照れているような困ったような顔を弥生がする。真矢は会えた嬉しさと罪悪感に刺される。
「弥生サン、来ちゃった…。」
「…そっか。あちらの席へ。」
弥生に着いて席まで行けば、感じる余所行きの弥生の背中。ピッと伸びた背筋。崩すことの無い笑顔。ハキハキと話す姿は正に美容師だった。それから煙草の匂いもしない。
椅子に座ると、くるりと鏡の方を向くよう回される。
「今日はいかがしますか?」
ヘアカタログを差し出しながら弥生は真矢の耳元で低く唸る。
「先に言ってよ…。」
屈んだまま恨めしそうに上目で睨む弥生。
背は少し弥生の方が低いがこういう視線はされたことがなかった。
「ごめん、弥生サンのこと、驚かせてみたくなった。」
「驚いたよ…。」
真矢は嘘をついた。断られるのが怖かった。驚かせるのは罪悪感すらあった。
呆れ笑いが背中から伝わる。
弥生はカタログをパラ、とめくるのを確認しながら、真矢の髪に触れる。
店に出る日はセットされている髪が、今日は無防備だ。少し伸びてきた襟足で以前のカットやすき具合を確認する。
「前切った時は下の方刈り上げてないね。」「量は少し多めかな?でも髪質軽いしあまりすいてないのかな、」
真矢への確認と独り言の中間のようなトーンで言葉を続け、その度何度も指を通す。
必要を超えて繰り返される確認に真矢は焦れったくなる。
「ね。坊主とかじゃない範囲でさあ、」
声を潜めて話し始めると弥生が腰をかがめて顔をちかづける。それを見計らって耳元で言う。
「俺を弥生サン好みの男にしてよ。」
はっとして顔を離す弥生。
言った真矢本人の耳も赤く染る。鏡に映る二人は、似たような高鳴りと、弥生はそれに戸惑いを混ぜたような顔をしていた。
「…それなら、」
弥生の指が真矢の髪を耳にかける。瞬間耳にも指が触れる。指が冷たい。
「マヤくん、イケメンさんだから。耳とか見せるとスッキリして、好青年って感じになるんじゃないかな。」
「うん、そっか。弥生さんはそういうのが好き?」
真矢は弥生の顔を見たくなり後ろを振り返る。しかし弥生は顔を逸らして答えないので、仕方なくすぐに前を向き直る。
「………似合って、素敵だと思う。」
弥生の声は前の客と話す声には戻れない。かすれた声だった。
「ふーん、俺、好青年っぽいの似合うかな?」
自信ナイワー、と羞恥ごと茶化す真矢。
「君は、眩しいくらい好青年だよ。」
聞こえるギリギリの音量で言うと、真矢の肩越しに手を伸ばしパラパラとカタログをめくる。
「こういうのは?ワックスでぱっとたちあげればこうなる感じ。少しだけ髪の量を減らして…。
予約見ると一応カットとパーマになってたけど、カラーかパーマか相談したい、んだっけ?どうする?」
「髪型しだいだなって思って。」
前に弥生が職業病の話の時に言った、傷んでいない綺麗な髪を見ると触れたくなる、という言葉を真矢は気にしていた。だから両方とは書かなかった。端的に言って触れられたい。
「そうだなあ…。色入れるなら少しくすんだブラウンとか、どうかな。えっと、…こういう。」
またカタログをめくり、今の自然なのも素敵だけど、と付け加える。
美容師と客。今はこの関係と空間が、あらゆる褒め言葉を口にすることを弥生に許した。
「うん。」
「それかパーマならこういう、細めのパーマで下やサイドを少し刈り上げちゃう、いわゆるツーブロックみたいなのとか。」
「うん。……そっちにしようかな。」
「印象、結構変わるけどお店とか大丈夫なの?」
「何となくバーテンダーぽいし、いんじゃない?」
たしかに、と二人クスクス笑う。
「じゃあ、先にシャンプーするね。こちらへどうぞ。」
また椅子をくるりと回され、立ち上がる頃にアシスタントの女性が来る。
「シャンプーしていきますね。熱かったり痒いところあったら教えてください。」
「はーい」
シャンプー台に掛けて、椅子が倒される。シャンプーが弥生では無いことに、真矢は肩を落としたが、同時に安堵した。顔にかけられた薄いカバーを挟んで至近距離に弥生の顔があるとすればそれは今は心臓に悪いものだ。
シャンプーをしながらアシスタントが真矢に話しかける。
「弥生さんとお知り合いなんですか?」
「え、あ、はい。」
何の知り合いかと言われたら困るもので、口ごもってしまう。
「弥生さん嬉しそうでしたね」
「そう、ですか?」
アシスタントは、ふふ、と笑う。
「と、思いますよ。なんとなく。」
「そうかなあ…困ってるみたいな顔してたような気がして。怒ってないかなあ…」
真矢が本人に言えない不安を吐露すると、アシスタントは言葉を止めて、うーん、と悩ましくする。それからケロリと言う。
「本人に聞いたらいいですよ。」
「ええ……できないですよ…」
「ふふ、まあ、そういうものですよね。」
何かを知っているはずもないアシスタントの女だが、その口振りは、二人の、少なくとも弥生の心のうちは透かしているようなものだった。
「流していきますね。痒いところとか大丈夫ですか。」
「大丈夫です。」
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