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第2話

 縄魔術は高度な技で、兄のような若造はふつう使えないらしいが、僕には理由がわかっている。兄が若い頃から縄魔術に習熟できたのは、子供のころから僕を実験台にしていたからだ。  最初は僕も進んで協力していたのは認めよう。あの頃は兄が嫌いじゃなかった。それどころか、僕は彼に捨てられないように必死だった。僕が十歳のころに両親が亡くなって、ヴィクターは唯一の肉親だった。  実際、外見も能力も平凡きわまりない上にどちらかというと失敗の多い僕は、容姿端麗でなんでもできるヴィクターにすればお荷物だったのかもしれない。両親が亡くなったあと、とある貴族が兄ひとりなら引き取ると申し出たとき、彼は「ティムがいますから」といって断った。僕はものすごくほっとしたが、兄は僕が甘えるのを嫌ったし、僕は兄のためにできることはしなければならないと、まあ、あの頃は思っていたのだった。  それが二十二歳にもなった今こんなことになってるなんて、思わなかったけど。  誓っていえるのだが、兄は僕が兄を嫌いなのを知っている。嫌いなくせに自分の魔術で僕が快感に屈してしまうのをみるのがおもしろくて仕方ないらしい。兄は一種の潔癖症で、縄魔術をはじめたのだって対象に直接触りたくないからだ。しかし繊細な部分に関しては直接の実験が必要とわかった数年前から、ヴィクターの行為はエスカレートしはじめた。  魔術と腕力で兄に敵うのなら僕はとっくに家を出ている。兄は僕がこんなふうに手も足も出ないのを楽しみたいだけだ。実際兄にかかると僕は本当に手も足も出ないのだ―― 「ティム、うちが頼んだのはその箱じゃない、あっちの籠だ」  アレンの声に僕はあわてて抱えていた箱を置き、そのはずみに伝票のボードをひっくりかえしてさらにあわてた。 「疲れてるな?」 「すみません、えっと、こちらにサインを……他に補充が必要なものはありますか?」 「今日はないかな。ティム、大丈夫か? なんだかふらふらしているが」  アレンは心配そうに眉をひそめて僕をみた。  僕の勤務先は城の施設部で、担当は各部署への備品の配達と、発注だの倉庫の整理だのといった地味な仕事だ。アレンは経理部の優秀な若手で、兄のような派手な容姿ではないが、すらっとしてかっこいい人だった。  兄を見慣れている僕がそう思うくらいだからアレンも当然城の中ではモテモテなのだが、彼は僕にとても親切だ。まあ、きっかけは僕の童顔のせいらしいが(最初は「子供が働いているのかと思った」といわれて大変ショックだった)こうして配達にいくと受け取りながら世間話をしてくれるし、休憩時間だからちょっとお茶でも飲もう、と誘われることもある。  今日もそうだった。 「今から休憩なんだ。具合が悪いのでなければ、甘いものでも食べないか? 配達の残りがあとそれだけならつきあうよ」  アレンはそういうと僕が返事をするまえにこちらへ出て、カートの取っ手に手をかけた。 「すごく疲れているみたいだね」 「ええ、ヴィクターのせいで……」  僕はあわてて口をつぐんだ。兄のことは城のみんなが知っているからうっかり話すものじゃない。 「ああ、彼はお兄さんなんだってね。どうかした?」  歩きながら僕に話すアレンの口調にはどこか子供に話しかけるような雰囲気があったが、長身のイケメンがそうやって気にしてくれると、すこしいい気分だった。 「家での兄はちょっと、乱暴なところがあるので」 「乱暴?」 「いや、べつにその、乱暴ってわけじゃないんですけど、家族ですから……」 「家族のあいだにしかみせない顔というのはあるものだからね」  みせないどころか、あんなヴィクターの話をしたって城の誰ひとりとして信じないにきまってる。兄はめちゃくちゃ外ヅラがいいのである。自分に近づく人間を拒絶しないのではっきりいってモテ男で、男にも女にもいい寄られている。子供扱いされている僕とは正反対だ。潔癖症由来の手袋についても、みんな兄の魔術の道具かお洒落だと思っているだろう。 「一見立派でも裏側ははりぼてなんて、よくあることさ。でもお兄さんはちがうようじゃないか」 「チャラチャラしているわりに仕事はできます」 「はは、さすが弟、厳しいな。ヴィクターは遊んでいるようだけど悪い噂はきかないよ。魔術部の予算管理はヴィクターが監督しているようだが、きっちりしたものだ」  そうなのだ! 腹が立つことにヴィクターは魔術の腕だけを買われているわけじゃない。それに年がら年中誰かに誘われては賑やかな行事だのパーティだのに出かけているくせに、朝帰りはしなかった。魔術の練習をするためで、週に一回か二回は僕を実験台にすることも含まれる。  それでも昨夜はちょっとひどく、お察しの通り今日の僕はボロボロだった。ヴィクターが用意した強壮食と調合薬でどうにか出勤できたようなものである。午後にもなると体はだるくて仕方なかったし、僕はアレンと休憩室でお茶を飲みながらもう少しヴィクターのことを愚痴った。もちろん実験のことは話さなかった。  たいていの人は、僕がもののはずみで兄の愚痴をいっても、家族ならではの冗談のように受け取るらしいのだが、アレンはちがった。そのあとも僕はときどきアレンと休憩室や食堂で話すようになり、僕らはすこし仲良くなれたような気がした。  アレンはヴィクターと方向性のちがうイケメンで、真面目な感じがしたから、彼と一緒にいるのはけっこう気分のいいものだった。それに何よりも、アレンは僕がぽつりともらした「兄が嫌いなんだ」という言葉に賛成したのだ。 「みかけはきれいでも、裏返しにしたらとんでもないものが隠れている、なんてのはありがちだからね」  アレンはそんな風にいって、公然と非難こそしなかったが、僕は味方を得たようで心を強くした。そのころアレンと毎日会えたのは、ヴィクターが魔物退治の遠征に出かけていたからだ。遠征といっても数日で終わるのかと思ったら、その後さらに先の国境に魔物の大群があらわれたとかで兄の不在は延長された。  ヴィクターがいない間、僕の食事は外食と弁当だった。そう話すとアレンは僕を夕食に誘い、僕はますます彼のイケメンぶりに感動するようになった。 「僕もいいかげん、家を出て兄から自立しないといけないと思うんです、今の家は兄の魔術の道具でいっぱいだし、僕の居場所がない感じがするから」  ついにそんな話をしてしまったのも、アレンのイケメンぶりにつりあうようにならないと、なんて意識が働いたせいだ。  しかしアレンは慎重だった。 「そうはいっても、いきなり一人で独立するのは大変だよ。施設部なら給料もそんなに良くないだろう?」  たしかにそうだ。やはり真面目なイケメンはちがう。ヴィクターの宝石つき手袋をいくつか売り飛ばせば部屋を借りるのくらいどうにかなりそうだったが、いくらひどい目にあわされていてもそこまではやれないし、兄のことだから持ち物全部に自分のしるしをつけているかもしれない。考えこんだ僕にアレンはもっと魅力的な提案をした。 「ティム、しばらく俺の家にこないか。両親が別荘で暮らしているから、余っている部屋があるんだ。自立の練習になるかどうかはわからないが、一緒にいれば力になれることもあるはずだ。ヴィクターに問題があるのは何となくわかった。それに俺はきみが好きだ」  そのとき僕らふたりは城に近いカフェにいたのだが、最後の直球発言に僕は思わず感動してしげしげとアレンをみつめてしまった。真面目なイケメン、発言もイケメン。 「アレン、すごく嬉しいんですけど、僕は……」 「最後についてはすぐに答えてくれなくていい。部屋には鍵がかけられるし、ティムの方が好きにならなければ俺は絶対に何もしないから。ただ、その……」 「まさか、僕も好きです!」  僕はすっかり舞い上がってそう答えた。そこに、ヴィクターが遠征に行った今がチャンスだ、という意識もあったのは否定しない。  そんなわけで僕は家出した。

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