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2.異世界転移ゲートの正規使用料金は日本円で7ケタに及びます

 ことの発端は、隣人に届いた宅急便を預かったことだった。  その宅急便屋は、夜勤のシフト明けで血走った眼をして帰宅した僕をアパートのドアの前で待ち受けていた。本来なら彼は隣のドアの前にいるべきだったのだが、間違っていたのだ。 「ああーあんた。やっとつかまったよ。荷物だよ荷物」 「荷物?」  変わった制服の宅急便屋だとは思った。真っ赤な上着に、中央が尖った変な形の帽子をかぶっていた。 「時間指定してるんだからちゃんと居てくれないと困るよまったく。さっさと親指あてて」 「親指?」 「もうなにグズグズしてるの。箱持って箱」 「いや、僕は荷物なんて……」  間違いだと断ろうとしたのだ。だが宅急便屋は強引に僕の手首をつかみ、指紋を取るようにして無理矢理ラベルに僕の指を押しつけた。  眼の前がピカッと光った。  そして気がつくと僕はアパートの前ではなく、コモドオオトカゲのような中型ドラゴンの前にいたのである。 「はぁ、何? 何なのおまえいったい何?」  いきなり怒鳴りつけられた僕は、ハリウッド映画のCGみたいな光景のなかで某ファンタジーゲームのキャラクターのような服装の人々が杖の先を光らせたり空中三回転したりという、およそ人間技とは思えない行為をしている、その真っ只中に立っていた。スーツを着たサラリーマンなどどこにも見当たらず、あっと思ったときドラゴンが火を吹いた。  つまり僕は二十一世紀の日本から、なぜか異世界の荒野の真ん中へ転移したのである。  落っこちたのは魔物狩り真っ最中の冒険者一行だったから、僕はドラゴンに丸焼けにされずにすんだ。しかし宅急便屋に押しつけられた荷物(ちなみに何をしても開けることができなかった)のおかげで、その後もさらに大変だった。最初に出会った冒険者たちは親切な実力者だったからよかったが、彼らが眼を離したすきに僕を襲撃する低レベル冒険者が後を絶たなかったのだ。  どうやら原因は例の荷物、どこかで見たようなマークがプリントされた白い箱にあった。僕は何度かこれを置き去りにしようとしたが、何度捨てても箱は僕が行く先に現れた。まるで呪いのようだった。  実際この箱には「持ち主から離れない魔法」がかけられているのだとわかったのは、たどりついた町で、冒険者ギルドの受付係が軽蔑まじりのあきれ顔で僕に説明したからだ。おまけに僕は自分が考えていたよりずっと深刻な問題にまきこまれているのをこの段階ではじめて悟った。というのもギルドの受付係は、ここへ至った僕の事情を無表情に聞いたあとで、冷たくこう告げたからだ。 「なるほど。それではあなたは輸入用転移ゲートを通ってきたことになりますが、ナーガミネ・カズーミなんて名前は登録されていません。これは無断通過となります」 「は?」  荒野の旅では熟睡できなかったので、いまだに夜勤明け時と同様の赤い眼をした僕は、思わず間抜けな声をあげた。 「でもそれはひと違いした宅急便屋に……」 「タッキュウビンなど関係ない。あなたがゲートボタンを押し、こちらに来たのは間違いありません」 「ゲートボタン?」 「その青いラベルです。ごまかしはききません。無断転移はヒトモノ関係なく、厳格に扱うことになっています。あなたがた異世界人はすぐに不正を働こうとしますからね。ギルド規則によれば事前登録なしのゲート通過は正規往復料金と罰金合わせて十倍返し」 「十倍? いや、だいたいゲート料金って」 「正規料金はもちろん***です」  ギルドの受付係はゲームのキャラクターを思わせる青色の髪をかきあげながら、さらりと金額を告げた。ここにたどりつくまでにこの世界の貨幣単位を覚えた僕の頭はそれを勝手に日本円に変換し、そして耳を疑った。  え? 七桁? 「ですが中身によっては」そういいながら受付係は箱をじろりとみて、箱の側面に描かれたマークに眼をとめた。「おやそれは」  後ろから大きな声が僕の名前を呼んだのはその時だ。 「和見! 和見じゃないか!」  今度はひと違いではない……だろう。というのも「カズミ」という名前は、この世界の人間にはかなり発音しにくいらしく、僕は他の冒険者たちにもっぱら「カズー」と呼ばれていたからである。  なので僕はびくびくしながらふりむき、今度は眼を疑った。 「浜崎……日暮?」  高校卒業以来、何年も会わなかった同級生の顔がそこにあった。 「うちのミスだ。すまない。悪かった。本当に申し訳ございません」 『TEMCA』のロゴが飾られた一室で、日暮はほとんど土下座する勢いでまず謝罪した。ついで宿と食事を手配して、いまだに離れてくれない荷物の魔法をリセットした。 「謝ってくれるのはいいけど……」  僕は完全に混乱していた。あらゆることに、である。 「説明してくれ」 「えっと……何から?」 「きみがここで何をしているのか。やっと思い出したけど、TEMCAって……あれだよな、その……」  僕は口ごもったが、日暮はあっけらかんといった。 「セルフプレジャーグッズってうちの会社はいってるが、つまりオナホールだな。俺、営業なんだ」 「え?」 「株式会社天下、異世界マーチャンタイズ部の企画営業チームリーダー。こっちの世界に転勤になってそろそろ一年だ」  それから日暮が僕に話したのは、まさしく「事実は小説より奇なり」を地で行く話だった。  そもそもは一九七〇年代のアメリカで「アナザーワールドゲート」と名付けられた世界間転移装置が発明されたのにはじまるという。とあるボードゲーム愛好家が転移の原理を発見して異世界へ行き、冒険の果てにこの装置を開発して元の地球へ帰還した。装置は往復が可能で、くだんのゲーム愛好家はその後も何度も転移して、異世界での経験をもとにゲームや小説を書いたらしい。  つまり僕が転移したこの世界がよくあるファンタジーゲームそっくりの、中世ヨーロッパの偽物みたいな文化をもち、火を吹き氷で攻撃するモンスターがいて、住民の一部が魔法を使える、というのは当然なのだ。なにしろこの世界こそがゲームの「元ネタ」なのだから。  もちろんこのことは秘密だった。二十世紀の終わりまで、異世界と転移についてはごく限られた人々の間でだけ知られていた。ところが二十一世紀のはじめ、転移装置の発明者が死んだ。紆余曲折あって装置の権利はある企業の手に渡ったが、今度の経営者は異世界を創作のインスピレーションにしたり、現代社会からの息抜きに旅する場所とはまったく考えなかった。  彼らは単に、ビジネスをする場所が拡大したと考えたのだ。  こうして異世界間ビジネスがはじまったという。 「一般には伏せられているけど、日本の大企業のほとんどは異世界間ビジネスを試みている。今のところ成功例はあまり多くないけどね」  あまりに突拍子もない話に頭がパンクしそうになっている僕に日暮はまたあっけらかんといった。 「それにこちらの文化を理解しようとせず、一方的に商品を売り込んでのトラブルも続出した。ゲート使用がギルドに規制されたのはこのせいだ。以来使用料は跳ねあがり、人の移動は事前許可性になったから、通常の荷物はラベルにゲート認証魔法をかけて飛ばす仕組みになっている。和見が巻きこまれたのは新製品のサンプル輸送で、本社の魔法使いがゲート転移プログラムを書く時に方式を間違えたらしい。調べたら、俺の日本の住所から転移させることになっていたから」  本社の魔法使いという語彙に混乱しつつ、僕は問い返した。 「きみの住所? 僕のアパートが?」 「調べたよ。隣だった」  僕があのアパートに引っ越したのは半年ほど前のことだ。日暮が「転勤」になって一年というなら、隣の部屋を借りた彼を一度も見かけなかったのもうなずける。そういえば隣室はいつも真っ暗で、物音を聞いたことは一度もない。 「すごい偶然だな」  他に何もいいようがなく、僕はつぶやいた。日暮は爽やかな笑顔を見せながら「びっくりしたよ」という。 「和見とは高校以来だし、まさかと思った。実は……嬉しかった。突然日本語の名前が聞こえてきて、それが和見だなんて」 「僕も浜崎に会った時は地獄に仏って感じだったけど」 「和見」  急に日暮の声が低くなる。 「名前で呼んでくれないか。こちらはそういう習慣だ。それに昔も、そうだっただろう?」  眸がまっすぐに僕をみつめる。胸の奥の方が騒ぎ、僕はそれを隠すように首をめぐらせて窓の方を眺めた。日暮の会社の異世界オフィスは古めかしい洋風建築といった趣で、黒っぽい家具と浮彫のある白い壁がくっきりした対比をなしている。妙な気分になるのはたぶん、ノスタルジックな雰囲気のせいだ。 「日暮……がいて、助かったけど」  僕は気のきいた言葉を探したが、結局、子供がたずねるような質問になった。 「僕はどうすればいい? 仕事もあるし、帰らないといけないんだ」 「そうだな」  日暮は眉をよせて頭をかいた。 「何か方法を考えてみる。とにかく今日は休んでくれ」

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