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第2話 寛容の章

 白雪王子は十八歳の誕生日を迎えた。  その日の宮廷は静かであった。そのころ王国は、北の帝国と気の進まぬ同盟を結ぼうとしていた。王は大国の争乱にまきこまれぬよう政治の舵をとるのに忙しく、母のいない第七王子の成人など完全に失念していたのである。  王は第七王子の母を失くしたあとすぐに次の妃を迎えており、十八年が過ぎても妃との仲は円満であった。同盟を結ぶ北の帝国からは西の辺境で長く続く戦いに援軍を出すよう要請を受けていた。断れば帝国に併合されるのは目に見えており、王は頭を悩ませていた。冬の時代であった。    たとえ七番目であっても、王子が成人するというのに宮廷では生誕日の祝い事も行われない。しかし白雪王子本人は不満にも思っていなかった。王子は何年ものあいだ、王のすまう宮殿の裏側にある小さな離宮で暮らしていた。いずれ他国へ行く身として民衆の前にあらわれることもなく、貴族の多くも顔を忘れていたほどである。  しかし十八になった白雪王子の姿をみれば、きっと誰もが驚いただろう。国を出されるという理由でこんなに美しい者を宮殿の裏に閉じこめているのは正しかったのか、そう自問した者もいたかもしれない。白雪の名前はいまだに王子に似つかわしかったが、騎士に鍛えられた体はすらりと引き締まり、剣をふるうさまは凛々しく、完璧に優雅な立ち居振る舞いであった。  十八は成人であった。白雪は七人の騎士の贈り物を喜んでいた。寛容の騎士からは小口を金で塗ったノートとペンを、慈愛の騎士には真新しい防具を、分別の騎士には象牙と黒檀の駒がならぶ遊戯盤のセットを送られた。忠義の騎士は乳離れしたばかりの仔犬を五匹王子にみせ、好きな犬を選べといってくれたし、節制の騎士は水を浄化する金属の筒を渡してくれた。いつも夜にあらわれる純潔の騎士の姿はまだなく、勤勉の騎士はこの日、王の任務についていた。  日が暮れるころ勤勉の騎士が戻った。王のお召しを告げにきたのである。白雪は黒髪の映える正装をまとい、王の前にあらわれた。  王は第七王子を前にして、しばし言葉を失った。こんなに美しく、また凛々しく成長した姿に会うとは思ってもみなかったのである。前の妃にそっくりな唇やまなざしは王の心を騒がせた。自分は十八年前、とほうもなく早まった決定をしたのではないか。  しかし後悔はできなかった。第七王子の運命はもう決められていたのだ。 「白雪。おまえは北の帝国の後宮へ召される」  王族が後宮に入るとは、この小さな国が巨大な帝国に呑まれずにいるための人質であった。いならぶ宮廷貴族や他の王子、王女すべてがそれを知っていた。第七王子は動揺のかけらもみせなかった。七人の騎士の教えの賜物であった。白雪は王の前で膝を折った。 「承知しております。私は義務を果たしにまいります」  白雪が北へ向かう日取りはすぐに決められた。王国では夏の終わり、北の帝国では秋の最後の実りを収穫するころである。知らせを受けて帝国からは第七王子のための迎えが送られた。白雪は帝国から来た迎えの一行と旅立つのである。なぜなら白雪はすでに、王国ではなく帝国の皇帝に属す者だから。  供を連れていくのは許されなかった。七人の騎士も同行はできず、王国に残らなければならない。唯一、忠義の騎士の贈り物である仔犬は同伴できることになった。  帝国からの迎えを待つ日々、白雪王子の言葉数はすくなくなった。七人の騎士はいつもと変わらずにふるまい、北へ行っても白雪が鍛錬や知識を忘れないように諭した。純潔の騎士はは十八歳の贈り物として、一日遅れて紫の硝子瓶を渡した。もちろん、後宮の寝所で使うようにいい含めるのを忘れなかった。  帝国から迎えの一行が到着し、白雪王子の旅立ちは二日後に迫った。慣れ親しんだ離宮で過ごすのもあとわずかである。その夜、白雪は七人の騎士を離宮の一室へ呼び寄せた。 「おまえたちに礼をいいたい」  王子の声は揺るぎなかったが、震えるまつ毛は白い頬に影をおとした。 「王の末子である私への、これまでの献身に心から感謝する。私がいなくなったあともおまえたちは王国のために、それぞれの天分を活かして働くように」  七人は王子の言葉をうけて顔をみあわせた。最初に動いたのは分別の騎士で、彼がひざまずくと、他の者もあとにつづいた。王子を注視したまま、口をひらいたのは寛容の騎士だった。 「白雪王子。あなたが旅立ったあとも、われらはあなたの騎士です。あなたが誕生した時にわれらは忠誠を捧げました。この誓いはあなたがどこにいようとも、生あるかぎり続くものです」  王子は驚き、目をみはった。幼いころからの導き手であった七人の騎士は、自分にとって教師であり、敬愛する年長の友であったが、生涯の忠誠を捧げられようとは思っていなかったのである。返答に迷い、口ごもりつつも、そのまましばし考えた。そして七人それぞれに教わった事柄をいまのうちに皆に告げ、感謝のしるしにかえようと思った。  そこで寛容、慈愛、忠誠、分別、節制と、それぞれの騎士の教えの本質を語りはじめた。ところが純潔の騎士の番に至ってまたも口ごもってしまった。閨のとばりの内側で、時に勤勉の騎士の補助も受けながら、純潔の騎士に教えられたことの本質を、どう伝えるべきなのか。 「白雪王子」  ためらった王子に、またも寛容の騎士が口をひらき、七人を代表してこういった。 「われらは二度とあなたに会えぬのかもしれません。もしもお許しくださるなら、わたくし寛容が魔法書で学んだ知識により、守護の儀式を執り行わせていただけませぬか」 「守護の儀式?」 「北の帝国、ことに後宮には、あなたを陥れる危険がいくつもございます。われらがあなたに教えた事柄はすべて、後宮で役に立ちましょう。ですが万が一の場合に備えて、七人による最大の守護を御身に与えたいのです」 「それはもちろん……私には願ってもないことだ」 「ただし王子よ。この儀式では、われら全員があなたに触れなければなりません。これまで――純潔と勤勉が教えたような方法で」  それを聞いて、王子は寛容の騎士が意味していることを悟った。 「純潔と勤勉に教えられたように、おまえたちをわが身に受け入れるのか」 「さようです。われらの剣をあなたの内に潜ませるために」  王子は差し迫った旅立ちのことを考え、寛容に聞かされた北の帝国の宮廷政治や貴族たちのこと、分別が説明した王国とは異なる風俗や文化に思いをめぐらせた。ひとりでそこへ行かなければならないことに対して、恐怖がないというのはもちろん嘘だった。ときに夜中に目を覚まし、枕で声を殺しながら震えてしまうほど怖かったのだ。  王子はまた、寛容の騎士が魔法の知識を持っているのも知っていた。ここから遠く離れた北の大地でも、魔法によって七人に守られるのは、むしろ望むところだった。七人の騎士は他の誰にもまして、信頼する友であった。  だから白雪王子はうなずいたのである。 「わかった。守護の儀式を行おう。支度をしてくれ」

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