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第3話 王子様と俺(3)

 この展開のあと、もうトイレで王子様を見ることはないんじゃないかと俺は思っていた。ところがそんなことはなかった。翌週も王子様は向かいのビルのトイレに出没したからだ。今までとおなじように、俺の残業あけのころに。そして同じ男となにやらやっているらしい。一度は抱擁しているのもみたし、向かい合って話をしているのも見た。  さては一度破局寸前までいって、そこからよりを戻すパターンか――などと俺は想像した。まあ、うまくいってるのならいいんじゃないの。もっとも、屋上からみあげる王子様にはいまだに不幸そうな印象があった。顔も間近で見てしまったので、いまでは向こうが本当に王子顔のイケメンなのはわかっているのだが、姿勢がいまひとつイケメンでない。いや、順調なイケメンのものでない。どういえばいいのか、背中がすすけているというか、景気が悪いというか、多少上がったり下がったりしても結局はダラダラ下り坂の株価みたいな、そんな感じ。  まあ、人生ってのは――と俺は缶コーヒー片手に思っていた。いつもいつも右肩上がりじゃないにせよ、ここで一発巻き返しとか、してほしいんだけどなあ。俺の王子様だから。いや、俺のじゃないけど。  そんなある日のことだ。  暗い屋上からみあげた明るいトイレに例によって王子様があらわれた。あれ、と俺は思った。何か変だった。上着はなく、シャツが肩からずれている。ずれているというより、乱れているというか、前が開いていて――  え、と思ったとき、王子様の背後に肩幅の広い例の男がやってきた。王子様はふりむくと彼に向き直り、そして、すっと男を平手打ちした。  え?  俺はぽかんと口をあけ、その光景をみていた。平手打ちされた相手が手をのばしたが、王子様はその手をふりはらい、今度はグーで殴った。相手は殴られたところを手で押さえ、王子様をねめつけている。王子様は拳をにぎったままだ。ふたりはしばらくにらみあっていた。相手の方が先に顔をそらした。  そして、いなくなった。  俺はあいかわらずぽかんと口をあけたままだった。ふと王子様がこちらを見ているのに気づいた。ガラス越しにこっちを見ているのだ。  俺を見ている。 「おい、あんた!」  そう気づいたとき、俺は思わず叫んでいた。こちらは屋上、あっちはビルのガラスの中。聞こえるわけがないのに。 「大丈夫か?」  王子様は答えなかった。その手が上がって、ピストルの形になって、俺の方を指した。  やっぱり俺?  缶コーヒーを握った指が麻痺したようになっていた。俺はゆっくりと缶を足元に置いた。こわばった指で自分の方をさした。  王子様がうなずいた。  反射的に手をあげ、振ったのはどうしてなのだろう。俺は王子様に向かって手を振ったのだ。 「ちょっと待てよ――行くから!」  聞こえているはずはない。なのに王子様はうなずいた。  俺は屋上を飛び出し、エレベーターに乗り、外に出た。向かいのビルへと裏通りを渡り、自動ドアを通り抜けてエレベーターに乗り――  そしてトイレへいった。王子様のところまで。

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