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第4話 王子様と俺(4)
*
「お連れさん、大丈夫ですか?」
言葉の上では気遣っているものの、タクシーの運ちゃんの表情はこわばっている。俺は曖昧な笑いを返しつつ王子様の腕を自分の肩にひっかけ、なんとか車内から連れ出そうとする。王子様、シュッとして細身のくせに案外重い。しかしつぶれていてもイケメンはイケメンである。ずるい。
「どうします? 待ちますか?」
「あーそうですね、ちょっとだけ待ってもらって……」
俺は王子様を正面から抱っこしてタクシーの外へ押し出した。幸い明日は休日である。王子様の酔っぱらい加減をみるに、マンションの入り口まで連れて行けば気がつくんじゃないか。だったらこのまま最寄りまで乗っていこう。
そう思った時だった。王子様がむくっと顔をあげた。
「ウラシマさん、うちで飲みますよね?」
ウラシマさん? 誰だそれ。俺は笑った。
「いや、帰りますって」
「だめですよ……明日は休みだっていってたじゃないですかぁ……」
そんなこと話したっけ俺? とまどいをよそに王子様はすぅっと寝息をたてている。あー俺も飲んでるからあまり気にならんが、かなり匂ってるだろうし、タクシーは嫌だろうなあ。俺は大きなマンションの入り口をみる。さすが王子様、なんかいいところに住んでいるぞ。ロビーはこぎれいな植え込みときらきらした通路の先らしい。意外に距離がある。
「あーいいですよ待たなくて。行っちゃってください」
ばたんと車のドアが閉まり、俺は王子様を支えながら通路を進んだ。王子様は泥酔と表現してさしつかえない酔っぱらいようではあるが、自分の家に到着したのがわかったのか、意識はほとんど飛んでいても長い脚は目的地めざして動いている。
これぞ酔っぱらい七不思議の帰巣本能。どうせ暗証番号がないと奥には行けない建物だろうから、入口にたどりついたら捨ておくべし。こんなにマンガみたいな酔っぱらいも久しぶりにみたが、きっかけがきっかけだし、ザルの俺につきあううちに飲みすぎたのかもしれない。居酒屋で飲むのも久しぶりといっていなかったか?
「おい、王子様。ついたぞ」
やっとロビーの奥、ロックされた住人用のマンション入口に到着し、声をかける。と、むくっとイケメンが顔をあげた。
「王子様――って」
しまった。口がすべった。
「なんですかそれ」
「いいだろなんでも。中に入りなさいって」
「ウラシマさんも入りますよね」
「俺はウラシマさんじゃないです」
「何いってんですか。カメを助けたウラシマさんでしょ?」
はあ? そう思ったときイケメンはぐいっと俺の腕をひき、開いたガラス戸の向こうへひっぱりこんだ。
「た~すけたカメにつれられて~行きたいでしょ~りゅうぐうじょ~」
*
さて、どうしてこんなことになったのか。
半分くらいは俺のせいといえなくもない。
「あ――なんか、大丈夫? 大変そうだけど」
ガラス窓のむこうから指さされ、向かいの高層ビルのトイレにたどりついた俺が発した第一声はそれだった。
実をいうとどうしてここまで来てしまったのかもよくわからなかった。やはり相手が王子様だったからじゃないだろうか。ほら、王子様に呼ばれたらそのへんの家来とか通行人Aは駆けつける義務がある。
王子様は鷹揚にうなずいた。いまだ右手をグーで握りしめている。俺は口をぱくぱくさせた。
どう考えてもおかしな状況だ。たしかに俺は以前同じトイレで王子様に話しかけているし、向こうだってそれを忘れてはいないと思うが(だが通行人Aを覚えているものだろうか?)今のこのよくわからない感じを打破するには――
「とりあえずビールとかどう?」
あー何をいってるんだ俺の口!
王子様の眼が驚いたようにぱちっと開いて、すうっと細くなった。まったくサラリーマンの悪い癖――いやいや、主語を大きくしてはいけない、いつも余計なことをしがちな俺の悪い癖だ。相手が飲めるかどうかだってわからないのだ。まったくもって無礼極まる。しかしである。王子様はまっすぐ俺をみていったのだ。
「ビール? ビールか。ビール――どこかいいところ、知ってます?」
というわけで、俺は近くの居酒屋兼定食屋へ連れて行ったのである。ときどきひとりで行く小さな店だが、時間が遅かったせいか奥の二人掛けの席がちょうどよくあいていて、料理も飲み物もさっと出てきた。
「じゃ、まず飲みましょう。えっとその――お疲れさまです」
白い泡がのった金色のジョッキをもちあげてそういうと、王子様は不思議そうな眼つきになった。
「……お疲れさまって」
「ほら、グーで人を殴ると疲れるから」
「……」
「だからとりあえずお疲れさん」
王子様はうなずいてジョッキをもちあげ、ぐいっと飲んだ。ビールのCMみたいだった。こんなアイドルか俳優みたいなイケメンと飲むなんてどうも現実感がわかない。喉が渇いていたのかそういう気分だったのか、王子様は一気に三分の一以上を飲み干し、ぷはーっといった。あーイケメンもぷはーってやるんだなあ、と俺は思った。あれはやっぱり生理的反応なのか。
「いや、その――なんというか、落ち着きました」
ジョッキがほとんど空になるまで無言でグイグイやってから、やっと王子様は声を発した。
「早いな。もう一杯いきますか?」と俺はいう。
「すみません。ありがとうございます。あの……前も一度」
「ああうんその、外から見えてたんですよね、ビルのあそこって明るいから」
俺はなんと答えればいいのかわからないまま説明になっていない説明をする。
「その――休憩場所からさ。だからあの時もその――なんかあったかなと」
すると王子様はまつ毛をばしばしさせてこういった。
「ビールを飲むの、ひさしぶりなんで、美味しいです。それに僕も見てました」
「え?」
「屋上に座ってる人がいるなって」
通行人でも案外みられているものなのか。俺はへえっと思いながらビールをすする。王子様のペースは早い。すごく早い。
「見ててもなんとも思わなかったんですか」
口調はややきつめだったかもしれない。
「何を」
「その――」
王子様は言葉を濁し、俺はハッと気づいた。あわてて差しさわりのない表現を探す。
「え、いやその――最近はやりのドラマみたいだなと思ってただけで。なんか訳ありで大変そうだなって」
王子様はニヤッとした。俺は繊細な事柄を回避できそうだと一瞬だけほっとしたが、耳に届いた次のセリフは辛辣だった。
「あいにくドラマのようにはいかないですね」
「……」
「ほんと、僕が主役のドラマなら天誅をくだすんですけどね」
「……あの……次もビール?」
「ちがうのにします」
ここからはじまって、ふたりでけっこう飲んでしまったのはたしかだ。というのも、別の話題になったとたん意外にも話がはずんだからである。どちらも同じ野球チームのファンだったからだ。
もっとも俺も王子様も、試合中継すらろくに追えなくなっていて、なのにどちらもファンならではの不満をもっていた。あきらかに酔っぱらってきた王子様は愛のある辛口批評をとうとうとまくしたて、一方俺はザル体質なので平然としたまま、大学の後輩にこんなやついたな、と思いながら話をきいていた。
「だからどんなチームでも絶対ってのはもちろんなくて、偶然ですべてが変わってしまうこともあるわけですよ。元上司と会うと思ってない場所で会ったり、とかいうとそれこそドラマみたいですけど現実は逆転ホームランとはいかない……」
辛口批評が個人的な愚痴に変わったのは店が閉まるくらいの時間である。詳しいことはわからなかったが、王子様がトイレで逢瀬を重ねていたのは元上司だったようだ。
店のトイレに立った時、俺もいささか飲みすぎたと思った。外で飲んだのは久しぶりだったので、加減を忘れていたのもある。
王子様は一見大丈夫そうにみえたが、最寄り駅へ歩きはじめたとたんそうでないことがわかった。方向を聞くと同じだったので、面倒になって俺はタクシーを拾った。
で、やっとマンションまで連れて行ったと思うと、今度はウラシマさんと呼ばれているわけだ。
しかしこれも元々は俺の余計なお世話とのぞき見が原因にはちがいない。むしろ王子様が俺に腹を立てなかったことの方がすごいんじゃなかろうか、とその時俺は思ったのである。なにせ長期に渡って他人のプライベートな事件をドラマ気分で眺めていたのだ。そのツケが来たというべきなのだろう。
王子様は若さゆえか筋力が見た目以上にあるのか、それとも酔っぱらいの馬鹿力なのか、俺をエレベーターまでひっぱりこむ。しかたない、乗り掛かった舟だと俺はエレベーターが止まるところまでつきあった。止まったのは十二階。ここもなかなか眺めがよさそうだ。
扉の外へふらふら出ていく王子様に俺は手を振り「閉」のボタンを押した。ここまで見送ればさすがに大丈夫だろう。王子様の今後に幸あれ。
こうして通行人Aの役割は終わった、そう俺は思っていた。
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