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第5話 王子様と俺(5)

 翌日は休日だった。  起き抜けに前夜の出来事を思い出した俺はいささか反省はしたものの、たまにこういうことがあったっていいじゃないかとも考え、結論としては気にしないことに決めた。切り替えの早い性分なのだと自分では思っている。俺が今の会社で働きつづけていられるのもコロコロ気が変わる社長についていけるのも、良くも悪くもこの性格のおかげなのだ。それにいくらイケメンでも相手は男だし、ドラマみたいな展開があるはずもない。  あ――いや。そこまで考えて俺はハッとした。王子様の趣味嗜好はちがうんだった。しかしあっちのオフィスや見かけのキラキラ具合に対してこっちはしょぼくれた社畜である。  というわけで、翌週会社へ行ったとき、俺の頭から先週末のことはほとんど消え去っていた。なにしろ月曜日だったのだ。今日も遅くなりそうだった。外が薄暗くなったころ、俺は屋上で缶コーヒーを飲みながら、残った仕事を片付ける前に外へ飯を食いに行くか、そのへんで何か買ってくるか――と考えていたのだ。  いきなり背後から声をかけられたのはその時である。 「すみません」  完全に不意打ちだったので、俺はほとんど飛び上がった。 「なんですか?」  答えた声も裏返っていたと思う。ふりむくとシュッとした立ち姿で王子様がそこにいた。 「先週はどうもすみませんでした」  今日の王子様の外見は完璧だった。先週の崩れた感じとは比べようもない。これは女性にモテるだろうなあ……と俺はすぐさま余計なことを考えてしまい、いやいやちがうんだったと思いなおす。王子様はそんな俺に「迷惑もおかけしましたし、店の代金とタクシー代も……」等々という。  名前も知らないおっさんのことなんて忘れてもいいのに、と俺は思ったが、真面目な性格なのか、それとも借りを作りたくないたちなのかもしれない。 「じゃあ割り勘ってことで」俺は適当に指を立てた。 「こっちもその、人の事情に首をつっこむようなことをして悪かったし、気にしないでくださいよ」 「いえ、社会人としてありえないので」  王子様は大変恐縮していた。なんだか可愛いかった。  それでつい、割り勘分を受け取った俺はまたいらぬ口を開けてしまったのである。 「じゃあ残業の前に定食屋へ行こうと思っていたんだけど、良かったら一緒にどうです?」 「それならおごらせてください」 「いや、それはいいよ」  そう返したものの、王子様に下手に出られるのは悪くない気分だった。それからふたりで蕎麦屋に行った。素面の王子様と食べる飯は異業種交流会みたいだった。それはそれで悪くない。自分が食べた分をそれぞれ支払って、俺たちは別れた。  それから時々、そんなふうに王子様と飯を食うようになった。  俺としては変な組み合わせだと思っていた。だがもしかしたら俺と王子様が年齢も業種もまったく違うのが逆によかったのかもしれない。近い業界だと話が合う反面、うかつなことをいえなかったりする。  共通の好きなモノは野球しかなかったが、たがいのチェックした情報をくらべて今季の予想をしたり論評したりするのは楽しかった。よく考えるとここ数年というもの、仕事と関係なく話ができる人間が俺の周囲にはいなかったのだ。  一度か二度、俺の方から今の仕事についてうっかり愚痴めいたことをいいかけたこともあった。俺はそのたびにへらへら笑ってごまかした。 「でもまあ私生活はないも同然だから。女っけなし、三角関係もないし、修羅場もなし、何もかもお留守」  王子様は妙な顔をした。文句でもあるみたいだった。変なやつだなあと俺は思った。  むしむしする長い梅雨が明け、猛暑がやってきた。屋上で夕涼みも困難になったある日、王子様が蕎麦をすすりながら「暑気払いしませんか」という。 「いいね」と俺は何も考えずに答えた。「どこに行く?」  王子様はさらっといった。 「僕のマンションはどうです? 休みの前日に」 「え――でも」  俺はとまどった。そんな、人の家によばれるような間柄ではない。 「いや、あれです。前に醜態をさらした反省があるので」 「あのときは特別だったんじゃないの」 「ウラシマさんザルなんでしょ。つられて飲みすぎて同じことになったら嫌じゃないですか」  王子様はあいかわらず俺をウラシマさんと呼ぶ。いや実は俺もまだ王子様の本名を知らないのだ。 「録画した試合もあるし、高校野球も撮ってますよ」 「あ――それはいいね」  俺は反射的にそう答えてしまった。エアコンの効いた部屋で飲みながら知り合いと野球観戦というのは、たしかに悪くない。王子様はいい笑顔をみせた。 「じゃ、約束しましたよ」

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