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第11話 ウラシマさんと僕のさらなる進展

 何なんだ何なんだまったく!  ピンポンが鳴った瞬間の「いいところだったのに」という悔しさは『入るぞ』という声が聞こえたとたんかき消えた。ウラシマさんがうしろで何かいってるが、ひとまず後だ。僕は憤然と玄関ドアへ向かう。宅急便なら留守と知ったら管理室へ行く。だからウラシマさんがなんといおうとこのまま続けるつもりだったのだ。なんだかんだで、いい雰囲気だったじゃないか!  頭にきたまま僕はドアの外にいる男――佐竹のことを考える。トイレでの例の一件以来、彼からの連絡は一切なかった。当然かもしれない。最初は上司だった佐竹と付き合いはじめ、その後何度かもめたりごたついたあとも、最初に折れて連絡をとるのはいつも僕の方だった。  だが今回は違った。僕はスマホの履歴と同時にこの男をきれいさっぱり脳内から抹消していたのである。タチ専だったはずの自分がなぜか彼の前ではネコ一辺倒だったことも含めて。  それにしても入るぞ、だって? どうしてそんなことができる。エントランスの暗証番号を変えていなかったのは僕の落ち度だ。でも鍵がなければここに入れるわけがない。  この男、いつの間に合鍵を作ったんだ?  ドアノブが動き、外に開こうとする。僕は反射的にガードをひっかけ、ドアノブをつかむ。すこし遅かった。向こうから開けようとする力と僕が引く力が均衡する。 「貴元(タカモト)? あけてくれ」  すきまから手がみえる。指が長く、爪はきちんと手入れされている。 「どなたです」 「俺だよ」 「知りませんね」  ドアの向こうはほんの一瞬静かになった。次に聞こえたのは笑いまじりの声だった。 「貴元、まだ怒ってるのか。連絡がないから俺から来たんだ。悪かったと思って」  悪かった、だって?  進歩したらしいと僕は一瞬考え、いやちがう、と思い直した。ヴァリエーションは違えどもこれが彼の手なのだ。 「佐竹さん、ここには来れないんじゃなかったんですか」  僕はドアの隙間に声を投げる。 「もうトイレでしか会えないんでしょ? なに、全部バレちゃって奥さんに追い出されました? それとも新しい誰かにも愛想つかされたんですか?」 「ちがう。おまえが好きだから来たんだ」  殊勝な言葉とは裏腹に、僕はその口調に「来てやったんだ」という響きを聴き取った。 「いつの間に合鍵作ってるんですか」 「トイレでコソコソ逢うのは嫌だといったのはおまえだろう。なあ、顔をみてちゃんと話そう。入れてくれ」 「お断りです」 「だったらおまえがいないときに来て、待つ」  なんだって?  ぞっとして僕の頭は一瞬思考停止した。ノブを握る力がゆるんだとたんに向こうからひっぱられる。隙間から顔がのぞく。悪人の顔ではない。むしろ信頼がおけそうな顔だ。 「貴元、きちんと話そう。な?」  手のあいだに銀色の金属が光った。鍵。鍵は困る。  冷静になって考えれば鍵なんて交換すればいいだけだ。なのにその時は思い及ばなかった。ガードを外したとたん佐竹の腕と足がぬっと入りこみ、こっちの手首をつかむ。昔ラグビーをやっていたのが自慢のでかい手だ。生暖かい感触にまたぞっとした。 「っ触んなって――」僕は佐竹の体を押し戻そうとした。そのときだった。 「あの―――」  唐突にうしろで呑気な声が響いた。 「すみません、いま知り合いの家にいるんだけど、無理やり入ってこようとする人が」  ウラシマさんの声だ。僕の手首をつかむクソ男の動きが止まった。顔をねじってふりむくとウラシマさんはスマホを耳からはずしてこちらに向けている。スマホのシャッター音のあとにポン、と軽い音が鳴った。ビデオの録画開始音だ。  佐竹の手がゆるみ、僕はその隙を逃さなかった。鍵を取り戻したかったのだ。手首をひっこめたはずみにドアが大きく開き、わけがわからないうちにもみ合いのようになった。むこうの肘をよけようと体をひねったとき、僕らのあいだにぐいぐいとウラシマさんが割って入った。 「あ――その、そっちの人」ウラシマさんはスマホを振りかざした。 「いま動画撮りましたから、あんたの顔入りで」  佐竹はわけがわからないという表情になった。 「ね、聞いてましたよね? 今の撮りましたよ。だから鍵ください」  ウラシマさんは僕を見なかった。自分よりずっと肩幅も背丈もずっとでかい男を飄々とした顔でみつめ、伸びてきた腕をひょいとかいくぐる。 「鍵くださいっていってるんです」ウラシマさんは繰り返した。 「こんな動画撮られちゃうと大変ですよねえ。佐竹さんっていうんですか? きっと王子様と同じコンサルなんでしょ? 評判が大事だなあ、そう思いません? 俺の仕事、コンサルばりにいろいろ調査するたぐいのものなんですが、いまは顔認証って便利なものがあってね。動画一本あるといろいろわかっちゃうんですよねえ。ネットって便利ですねえ。すぐバックアップとれちゃうしね。あとこのマンション、管理会社から警備会社と警察へ連絡がいくみたいですよ」  驚くほどの早口で、しかも滑舌のよいはっきりした声だ。佐竹の足がひるんだように一歩下がる。ウラシマさんは畳みかける。 「ねえ、その鍵くださいよ。王子様が困ってるでしょ?」  僕は佐竹の顔をみた。佐竹は僕とウラシマさんを交互にみて、また後ろに下がった。鍵が床に落ちるとウラシマさんはさっとかがんでひったくるように拾い、バタンとドアを閉めた。  僕はウラシマさんとドアの内側に立っている。そのまま何秒か、硬直したように。  ふーっと大きなため息が聞こえて、ふいに緊張がとけた。 「あー参るな、もう。なんなの」  ウラシマさんがつぶやいた。 「あれがその――彼氏?」 「もう違いますよ」僕はあわてていった。 「どうする? 警察呼ぶ?」ウラシマさんは鍵を僕に押しつける。 「さっきの電話は?」 「フリだよ。動画は撮ったけど。鍵、替えた方がいいんじゃないの」 「そうですね」 「いやもう、心臓に悪いよ」 「すみません」 「目が怖かった。サイコパスみたいな野郎だ」 「……すみません」 「どうしようか。俺もそろそろかえ――」 「だめです」  僕は反射的に体をずらしてドアノブをウラシマさんから隠した。 「まだいてください。嫌ですか?」  ウラシマさんは頭をかく。 「その――個人的なことに首をつっこむつもりないから」 「もうつっこんでるし、僕はかまわないです」 「いや、あのね」 「最初はいいアドバイスをくれる上司だと思ったんですよ」  逡巡するウラシマさんを押しだすように玄関から離れながら、僕もついさっき彼がまくしたてたような勢いで佐竹の話をした。入社して数年、多少行き詰まりを感じていた時に出会ったこと。彼のいったようにすれば間違いなさそうだと思ったこと。信頼していたこと。たまたま(とその時は思った)ゲイバーで会って、同族だと知ったあとは雪崩のようだったこと。既婚者だと知ったあとも関係は続いたのだが、やがてトイレでしか逢えないなんて話になると、いいかげんこっちも気づく。  リビングに戻ってからもさらにそんな話をして、ふと僕はウラシマさんが服をちゃんと着ているのに気づいた。  なんということだ。佐竹が現れなければ今頃は全部脱がせていたのに。  僕はソファの前に立ったまま、ウラシマさんが取り上げたソーダのボトルを横から奪い取った。ウラシマさんは不審そうに眼を細めた。 「どうしたの」 「続き、やりましょう」 「続きって」 「さっき中途半端だったでしょ?」 「あれは―――」  ハハハ、とウラシマさんはこれまでも何回かみた、まぜっかえすようなごまかすような笑いを浮かべた。 「ともあれ鍵は替えよう。ここセキュリティはいいんだろうけど」 「ええ、替えます。それはそれとして、僕はもっとしたいです」 「あれはものの勢いで」 「助けてくれたウラシマさん、カッコよかったです」 「そりゃよかった――」 「ほんとに嫌ならしません」 「……」 「ほんとに嫌でした?」  僕は彼にずいっと顔を近づけ、壁の方へ追いつめる。ウラシマさんの頬がぴくっとひきつったが、押さえつけているわけでもないし、逃げられるのに逃げない。 「よかったんでしょう?」  ダメ押しのように僕はささやく。ウラシマさんの眼が揺れた。 「初心者には優しくしますから。最初から丁寧に」 「その、あのね」  ウラシマさんはぱちぱちとまばたきもした。案外まつ毛が長い。そっと髪を撫でると柔らかかった。 「僕のこと王子様なんていったでしょう。だったら命令を聞いてください」

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