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後日談 12月23日の俺と王子様
「ウラシマさんの会社、何かあったんですか?」
王子様がいった。
当たり前だが本物の王子様ではない。俺が勝手につけたニックネームであって、今は本名も知っている。ちなみに俺の名前もウラシマではない。
「あのさ、瀬名君……そんなことしながら訊かないでくれる?」
「そんなことって?」
「だから俺の尻ん中をいじりながらそういう話しな――あっあああっやぁ」
「ここがいいんでしょう?」
王子様は俺の背中に息を吹きかけた。ここは王子様の家だ。俺の安アパートとはちがい、入口にオートロックがあって、管理人がいる高層階のマンションの一室。俺は濃いブルーのシーツにうつぶせになっている。シーツはやたらとすべすべしているし、尻のなかをゆっくり動く何かも――指ではなく、王子様所有の尻専用オモチャらしい――すべるクリームみたいなものに覆われていて、時々スポッとかグチュっとか卑猥な音を立てる。これが俺の中のどこかに触れると、体が勝手に跳ねてしまう。
「ウラシマさんのお尻、ほんとカワイイ」
中にあったものが出て行ったと思うと右側をパシっと叩かれた。どういうわけかシーツで擦られている乳首にビンビン響いた。
「あっ……あんっ……」
「あいかわらず感じやすいですね。それで何があったんですか? 警察いませんでした?」
「あとで話すから……あとで……」
「ウラシマさん、すぐはぐらかすじゃないですか。教えてくれるまで挿れてあげませんよ」
「そんなの……挿れなくていい……」
「本気でいってるんですか?」
耳をかじられて俺は悲鳴をあげそうになる。尻の穴の周囲を熱くて堅いものがさぐってくる。王子様のアレだ。王子様だけあって(?)立派なものをお持ちである。
「嘘つかなくてもいいですよ。奥に突っこんでバコバコやってほしいんでしょ? すっかり僕に馴らされたくせに」
「そんなことな――あっはぁん、そこやめ……」
「乳首もこんなにとがらせちゃって」
耳、乳首、股間。こんなに離れているのに、一ヵ所を弄られるだけでどうして反応するのか自分でもわからない。人体の神秘だ――などと頭の中で茶化す余裕もない。胸を弄り倒した王子様は今度は尻の穴を押し広げる。刺激されつづけた俺の中はとっくに次を期待している。自分の中がひくひくうごめくのがわかる。
「嘘つき。僕のでいっぱいにしたいでしょ?」
「瀬名君……生殺しはやめて……」
「会社、どうしたんですか?」
「べつに何も――」
「何もなくてあんなに警察来るわけないでしょう。だいたい先週から出勤してないくせに」
「何で知ってるの」
「見えますからね。で、何があったんです?」
「そんな人に教えるような話――あっあんっ……」
「白状すればいいんです。僕やさしいですから」
「その……だから……タイホされたのっ――あっうんっあんっ」
「は?」
「社長がパクられて……たぶん会社潰れるんだけど――」
首のあたりで息をのむ気配がした。背中に王子様の体重がかかり、さっきのオモチャとはまったくちがう質量が中に入ってくる。全然痛くないし、わけがわからなくなるくらい気持ちがいい。何度か中を行ったり来たりしていたものがずんっと奥をついたとたん、俺はシーツにひたいをくっつけたまま喉の奥で妙な声を出す。
「あ―――はぁっ、あああああん……」
王子様は黙り、スイッチが入ったみたいに俺の体を揺さぶりはじめた。うしろだけでいっぱいいっぱいなのに、前に回った手にペニスをしごかれて、俺はもう爆発しそうだ。王子様は満足そうに俺の首筋に息を吐く。パシパシと尻をはたかれずっこんずっこん突っこまれていると、さっき王子様へ白状したこともどうでもよくなってくる。
「あっあっあっ……」
なんだかこのまま昇天するんじゃないかという気分になったが、もちろんそんなことはなく、射精してぐったりした俺の中で王子様もイって――きっとそうなのだろう――汗ばんだ皮膚が俺の背中にどさっと落ちる。尻にはまっていた圧迫が消えて出ていくと、シーツがべたべたに湿っていた。
女の子ともこんな風に激しくヤッたことないなあ、なんて俺はぼんやり思う。それどころか長いことお留守だったのに、夏以来こんなことになっているのだ。これで何度目だっけ?
おまけに今日は十二月二十三日ときている。明日はクリスマスイブだ。俺には何年も特段の行事もない日だったが、王子様、イブイブに通行人Aに突っこんでる場合かよ? 前の彼氏とは終わったにしてもモテんだろうに、なんでまた俺を呼びだして……。
頭の隅でそんなことを思っている俺の横でベッドが揺れた。
「シャワー、先にいいですか?」
「ああ」
王子様は律儀に断るとバスルームへ消えた。俺は仰向けになって掛布団にくるまり、天井をみあげる。スピーカーからずっと小さな音量で洋楽が流れている。このマンションはいつ来てもきちんとしている。王子様は給料が二十代で大台に乗るという横文字業界の住人で、家具類はみなまとも――少なくともホームセンターで買ったものしかない俺の部屋とは全然ちがう。とはいえ贅沢をしているようにも見えない。
なんて考えているうちに俺はうとうとしていたらしい。揺り起こされて目をあけるとタオルを首にひっかけた王子様がバスルームの方を指さしている。俺はありがたくシャワーを借りに行った。
バスルームのシャンプーは俺が使っているものよりいい匂いがする。服を着て出ると王子様はシーツを丸めて洗濯機に突っこんでいた。俺をふりむいていきなりいった。
「それでどうしたんですか」
「何が」
「社長が逮捕されたって」
「よくわからんが、出資法違反だかなんだか? 従業員は関係ないんだが、会社には入れないしどうしようもなくて右往左往してる」
「はぁ?」王子様は洗濯機の蓋をバタンと締めた。
「アズマさんは?」
真面目な声だった。しかも俺の本名を呼んだ。
「電話かけてる」と俺は答える。「ハローワークとか弁護士とか。自己都合でやめていいのか、なし崩しに会社つぶれたら失業保険どうなるのかとか」
「年末のこの時期に? それで見なかったんですね」
「ああ――っていうかそれで連絡くれた? そっちも忙しいんじゃないの?」
「忙しいのは年中ですよ」
「いや仕事の話じゃなくて、時期的にさ」
王子様はきゅっと眉をあげると「飲みますか」といった。
「そうだな、うん……なんかあるなら」
「クリスマスまでとっておくつもりでしたけど」
「え? そんなことしなくていいよ。ふつうの酒で」
「ふつうの酒なんか飲んでる場合ですか」
王子様は肩をいからせて廊下に出るとキッチンへ入った。何やらごそごそ音を立てているが、背中がいささか剣呑な雰囲気である。俺は少しばかり焦ってたずねた。
「急にどしたの。なんか怒ってない?」
「アズマさんがおかしいんですよ。いくらウラシマだからって、浮世離れするのもいいかげんにしたらどうですか」
「浮世離れなんかしてないぜ」俺は呆れていった。「慣れてるし」
「社長が逮捕されることに?」
「あ、いや、勤務先が突然潰れるとか、明日から仕事ないとか、そういうの」
ハァっと大きなため息が聞こえたが、それ以上王子様は何もいわず、グラスをふたつにアイスペール、それにチーズだのナッツだのがのったつまみの皿を手品のようにカウンターの上に乗せた。「運んでください」と命令されて俺はトレイを捧げもった。
リビングのローテーブルにトレイをのせると王子様は封を切っていないウイスキーのボトルをどかっと置いた。おおっ……と俺は歓声をあげそうになったが、王子様の目つきに威圧されて「これはいい酒ですね」というに留めた。
「いいでしょう」
「いいんですかほんとうに。クリスマスまでとっとくって、誰かと予定があるんじゃないの」
「ありませんよ」
「え、じゃあなんで」
「クリぼっち用に決まってるじゃないですか。アズマさんこそどうなんですか」
クリぼっちなる単語を王子様から聞くとは思わなかった。どう反応すればいいのかわからず、俺は首をすくめる。
「失業するかしないかの瀬戸際の男に何があるもないでしょうが」
「はぁ」王子様は呆れた目つきで瓶の口をあける。とたんにふわっといい香りがした。
「変な遠慮するんじゃなかった。転職先は?」
「ぼちぼち探すよ」
ウイスキーは某高級ブランドの〇十年もの、俺ははじめて拝む代物である。王子様はテレビのリモコンを握ったが、番組表を眺めただけでまたテーブルに置いた。俺はナッツをつまんでひとつ齧った。あけたばかりの瓶から王子様より先に注ぐのは、おそれ多くてちょっとできない。
この部屋で時々――月に一度くらい?――こんな風にすごすようになって何か月か経つ。なんだかよくわからない関係だと思う。まかりまちがっても「お付き合い」をしているような間柄ではない。体の関係ありの友達、というのがぴったりするが、女性とはそんな関係になったことがないので、これが「アリ」なのか、俺はどうもよくわからない。男同士の場合はよくあることなのか。
ともかく夜の早い時間にこの部屋で会うと、毎回最初はベッドであれこれやるところからはじまる。王子様はテクニシャンだ。最近俺はすっかり開発されてしまい、誘いがくると断れなくなってしまった。いまだに嫌味半分で言及されるが、ED気味だとか勃たないとかいう話はたしかにどこへ行ってしまったのか、自分でも不思議なくらいだ。
おわったらシャワーをあびて、ソファで少しだらだらして、終電前に帰る。いつもなら。
「大丈夫なんですか?」
王子様は俺の横にクッションひとつぶん離れて座り、じろりとこちらをみた。
「何が?」
「その……仕事がないときついでしょう。心理的にも」
「いや、それほどでも……家族もいないし、それに今ちょっと余裕があるんだ。この際だから、いい転職先みつからなかったら、しばらくのんびりするか、どっか行ってもいいかと思ってる」
「どっかって」
「海外。ベトナムとかスリランカとか」
「ベトナム? スリランカ?」
「あっちで仕事してる知り合いが何人かいるんだ。何度か誘われたことがあって」
「移住ってことですか?」
「そんなすぐにはないだろうけど、仕事があるならしばらく住んでも……」
「ちょっと余裕があるっていうのは日本を出るから?」
「そいつは別の話。むかし金を貸した知り合いから連絡がきてさ」
それは先月おわりのことで、最初から説明すると長い話になるので俺ははしょって話した。正確にいえば貸したのではなく友人の海外事業へ出資した金で、俺は回収するのをとうのむかしにあきらめていた。それがいまさら返ってきたのだ。十倍になって。
王子様はまた「はぁ?」といった。
「あなたわらしべ長者ですか?」
「俺はわらしべの交換はやってない。金を出したんだって」
「それならいいんですが」
王子様がまたじろっと俺をみた。何を考えているかよくわからない目つきだ。たぶん呆れられたのだろうと俺は思った。浮いたり沈んだりの人生に慣れていると、一般常識というものがわからなくなる。
「悪いな。心配してもらって」
「心配なんかしていませんよ」
王子様はテーブルに向き直り、トングで氷をふたつのグラスにひとつずつ落とし、ウイスキーを注いだ。うん、これは高級な匂いだ。
「だったらウラシマさんは今、暇ってことですね」
また「ウラシマさん」呼びだ。俺はうなずく。
「まあ、暇じゃないけど暇っていえばひま――」
「僕すっごくいい勘してますよね。今日呼んだのは正解でしたよ。明日まで飲みましょう。奇遇ですけど、僕も明日と明後日仕事休みなんで。明日はウラシマさんに予定があるかもしれないと思って遠慮したんですが、何もないならちょうどいい」
「え、でも明日はイブだし、明後日はクリスマスだろ? 王子様のことだから誰かみつけようと思えば――」
しまった、口がすべった。
「瀬名君のことだから」
俺はあわてていいなおしたが、遅かった。王子様の整った顔がニヤリと崩れた。
「僕が王子様なら、ウラシマさんは家来ですよね」
「うん、いや、ちがうって」
「なんだかもう一回やりたくなってきましたよ」
「え?」
俺は目をぱちくりさせた。
「待って。元気よすぎだろ。俺まだぜんぜん飲んでないし――」
「だからいいんじゃないですか。それとも口うつしで飲ませてあげましょうか?」
「そんな、だめ、もったいない、おそれ多い――」
立ち上がりそこねた俺の上にウイスキーの香りが迫ってくる。柔らかすぎるソファは素早い行動に向いていない。王子様はクスクス笑いながら俺にキスをした。もう酔っぱらっているみたいな笑い方だった。あきらめて俺もキスを返した。王子様の唇はアルコールで濡れてうまかった。
この調子なら俺も酔っぱらいそうだ。最近の俺はなぜか以前より酔うのである。トシのせいか。 ちらりと見えた時計は二十三時を回っている。もう少しでクリスマスイブになる。おいおい、いいのかよ。日付が変わってもこんなことをしていたら、まるで恋人同士みたいじゃないか。
ちらっとそんな考えが頭をよぎるが、俺は結局王子様の首に手を回してしまう。とりあえずはこれでいい。今の俺たちは。理由もわからないままにそう思った。
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