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後日談 願い事を100個
「……ウラシマさん」
裸の背中に唇をつけてささやくと、余裕のない声が「う…ん?」と返ってきた。
「ぁ、あん、なに?」
「僕に隠していることがあるんじゃないですか?」
つながった部分がきゅっと締まり、うつ伏せに押さえつけた相手の首がかすかに揺れた。もっと動いてほしいのだろう。わかっていて僕はわざと動かずにいる。この人をいじめるのは楽しい――そうじゃない、いじめるというのは語弊がある。だって気持ちよくさせてるわけだから。
「ないよ」
うつぶせになったままウラシマさんはくぐもった声でいう。
「なんでそんなこと聞くの」
僕は腰を少しだけ浮かせ、角度を変えてウラシマさんの中をえぐる。とたんに「あぅっ……」と年上の男は声をあげ、もっと欲しいというように腰をずらした。ふん、甘い。
「あああっ、瀬名君っ、そこ……」
「だめですよ、そんな声出したって。答えは?」
僕はウラシマさんの背中に体重をかける――また角度が変わって、内側の襞が僕に絡みついては離れる。下にいる男はふぅっと大きなため息をもらす。
「ないっていうか、あるけど」
「やっぱり」
「あっ…あっ」
「で、何ですか?」
「……んな……ひとにいわない事くらい…あるでしょ……」
「ずいぶん余裕ありますね。もっと奥突いてほしいくせに」
耳をかじると背中がわかりやすく反応して、うう……とくぐもった呻きがもれる。話をはぐらかすのが得意な人間がこんな風に悶えるのはなかなかそそる。おかげでウラシマさんとのセックスは回数を重ねるほど長くなっている。時間にゆとりがあるときにのんびりセックスするのがいいなんて、これまで思ったことはなかったのに、おかしな話だ。
アメを与えるようにくいっと奥を一度突くと、ウラシマさんはあふんっと色っぽい声をあげ、内側がきゅきゅっと締まる。
「あっ、あっ、そこもっと――」
「もっと?」
「……お願いしたく……」
ウラシマさんはつながった部分を揺らし、僕は不覚にも自制を忘れて腰を打ちつけてしまった。ウラシマさんがああんっと色っぽい声をあげるとついつい続けて腰を振ってしまう。やばい、いきそう。もっと焦らして苛めたかったのに、一度リズムが乗りだすと止まらない。
「あふっ、うんっ、ああんっああああ!」
ウラシマさんの体から力が抜け、首がかくんと下がると同時に僕にも射精の瞬間がやってくる。荒い息を吐きながらウラシマさんの中に欲望をうちつける。快感だけでなく深い満足感が湧いてくる。きっとこのせいなのだ。この人とここ数か月、こんな感じになっているのは。
はぁっとウラシマさんが息をつく。こちらを向いて目を閉じているとふだんより若くみえる。
「で、何を隠してるんですか?」
「何も隠してませんって――」ウラシマさんはもごもごといいながら目をあけた。
「最近はどうしてるんです? アパートにこもってたりするんですか?」
「それが結構忙しくてさ」
かったるそうに体を起こして「シャワーいい?」とたずねたので、僕は素早くウラシマさんの手首をつかんだ。
「失業中なのに?」
「それがね、引越の用意してるんですよ。アパートにシロアリでちゃって」
ウラシマさんは飄々とした口調でいい、僕は予想外の言葉につかんだ手を離した。シロアリだって?
ウラシマさんは僕のオフィスの向かいにある雑居ビルで働いていた。業種は知らない。過去形なのは彼の勤務先がトラブルで閉業することになったためで、僕はこの話をクリスマスの直前に聞いた。
急に仕事がなくなるとはさぞかし困っているのでは、と聞いた直後は思ったのだが、本人はあまり困っているような雰囲気でもなく、超然としているというか飄々としているというか、ともかく焦っているようにはみえない。こんな調子だからウラシマさんと呼んでしまうのだ。
ウラシマは本名ではなく僕が勝手につけたあだ名である。本名はアズマさんという。まあ、むこうも僕に「王子様」などというあだ名をつけていたからどっちもどっちではあるが、年下にあだ名で呼ばれてもウラシマさんは怒らない。で、ベッドで何をすることになるか承知のくせに、休日に呼べば僕のマンションにやってくる。
ノンケのEDを標榜していたウラシマさんを最初に襲ったのは僕の方だ。数か月たった今も彼は僕の誘いを絶対に断らない。しかし、セックス中もおわったあとも、僕らの会話はピロートークというより漫才に近いんじゃないか。
「シロアリで立ち退きなんていまどきあるんですか」
シャワーを出ると僕は冷蔵庫をあけた。ウラシマさんは渡された缶ビールのプルタブを押しながら「どうかねえ」とのんびりした声でいった。
「引越回数は多い方だけど、シロアリ出たからアパート立ち退けっていわれたのは初めてかな。古かったけどな」
「立ち退きって、保証があるんですか?」
「敷金全額返ってくるし、引越代は大家がもってくれる。紹介された不動産屋で探しているところだけど、保証人をどうするかがネックだな。社長がアレだから」
「社長? 保証人?」
「前に借りた時は社長に頼んだんだよ。俺家族がいないからさ。だからねえ。あわてて探して変なところになるのも嫌だし、しばらくウイークリーマンションにでも住むか、迷ってるところ」
ハハハ、と笑ってビールを飲んでいるウラシマさんに僕はかなり呆れてしまう。繰り返しになるが、こんな調子だからウラシマなんて呼んでしまうのである。
それにしても、ちょっとした不倫をのぞけば特になんの波風も不便もない日常を過ごしてきた僕とちがって、ポロポロとウラシマさんが漏らす彼の人生は波乱万丈だった。クリスマス前に聞いた失業騒動しかり、今回のシロアリしかり。この調子ならうっかり玉手箱をあけてしまっても、本人はヘラヘラ笑っているんじゃないか。
そうか。急に僕は腑に落ちた。こんな風に自分の身のまわりにあれこれ起きる人なら、もののはずみで男に襲われるのもたいしたイベントではないのかもしれない。つまりウラシマさんにとって僕は、カメに乗って竜宮城へ向かう途中のヒラメだかアジだか、まわりをヒラヒラ泳いでいる雑魚にすぎないのかも。
面白い想像とはいえなかった。僕は缶ビールのシックスパックをリビングのテーブルにどんと置いた。
「ずいぶん余裕あるじゃないですか」
「余裕? ないよない。いまは金がちょっとあるってだけ」
「まあ、住むところは慎重に決めた方がいいですよね」
「そういうわけでもないんだけどね。どこでもいいっていうか……家っていうのはどうも落ち着きにくいからね。瀬名君はずっとここに住んでるの?」
またヘラヘラ笑いだ。そしてまたはぐらかしにかかるつもりだ。僕はウラシマさんの真横に座る。
「そりゃ、持ち家なんで。いつか売るかもしれませんけど」
「売る? あ、そうか。不動産投資とかやってんの?」
「いずれやるかもしれませんね。今は会社に集中したいからやってませんけど。不動産投資も副業にするとなるといろいろ手間かかりそうですから」
「ああ、うん。そうだよ。下見もいるし、いい出物があるからってのせられて変な物件掴まされたりもするから」
「まさか経験あるんですか?」
「俺はないよ。聞いた話」
「でも」僕は意地悪な気分になって続けた。
「家を建てようとしたことあるんですよね? ウラシマさんがEDになったきっかけの」
昔の女。掴みどころのないウラシマさんがすこしだけ本音を感じさせる話題だが、正直聞きたいわけではない。むしろ逆で、ものすごくイライラする――僕は女性にまったく興味がないので不思議なくらいだ――それなのに口から出てしまった。
「ああもう、瀬名君。勘弁してくださいよ」
恨めしそうな目線がチラッとこちらに流れた。
「俺はね、深く深く反省してるんです。いろんなことをね。とにかく、相手が誰だろうと願い事100個書くのになんて、つきあっちゃいけない」
は? 新たに飛び出した言葉に僕はまた毒気を抜かれてしまう。
「願い事100個?」
「叶ってほしい夢をできるだけ細かく丁寧に100個書くといつか叶うってやつ。知らない?」
「目標の具体化戦略ですか? よくあるライフハックですけど」
「その一種なんだろうな」ウラシマさんはビールをぐいっと飲み干した。
「一見叶いそうにない、突拍子もない願いでもいいっていうんだけどね。ほら、宝くじ当たりますように、みたいな。だけど欲しいものに関しては具体的にリアルに思い浮かべるのが大事なんだと。家を建てるならこんな土地で間取りはこれでカーテンの柄はこれで窓から何がみえるとか。そこまで聞かされると、こっちもだんだん、それが大事なことみたいな気がしてくるわけですよ」
「大事なことって?」
「願いを叶えてあげることがですよ。それこそが俺の目的だって気が……するんだけど、結局つきあってあげられないの。これが。どうしようもなくね。俺、自分勝手なんで」
ナンデスヨネーとウラシマさんは語尾をのばした。この人はですますとくだけた口調の混じった話し方をする。
「べつにいいじゃないですか」僕も新しいビールの缶をあける。
「願い事100個か。100個は多いな」
「え、瀬名君もやってんの?」
「願いっていうか、目標設定ならやってますよ。毎年期初に書くんです」
「へええ。どんなこと?」
「どうってことないですよ。僕の夢は四十歳までに一億円貯めてセミリタイアすることなんで、そのための目標設定です。ただのライフハックですよ」
「へえ、そうか、すごいなぁ」ウラシマさんは感嘆の声をあげた。
「さすが王子様だなぁ。俺にはない思考だなぁ」
なんだこの人、と僕は思う。本当に調子が狂う。
「王子様って?」
「あああ、ごめん瀬名君。あのね、これは馬鹿にしていってるんじゃなくて、凄いって思ってるからこそこう……出てしまうんです」
失言にあわてたウラシマさんの頬はぽっとピンクになって、そそるものがある。この人はこんなふうに迂闊なところを僕以外の誰に見せるんだろう。そんな考えが頭に浮かんだとたん、ムラムラとたぎるものを感じた。
「馬鹿にされてるなんて思ってないですよ」
「そうですか。それはよかった」
「実際のところ、僕を王子様と思ってくれてるのはありがたいですね」
え? という表情になったウラシマさんを僕は押し倒し、キスをした。
二人ともビール臭いが、まだ役立たずになるほど酔ってない。そういえばクリスマス前もおなじパターンじゃなかったか? まあいいか。さっきは早く終わりすぎたし、成人の日まで連休だし、この人だってやる気じゃないか。
僕は舌を入れてねちっこいキスを続ける。願い事100個ね。そのうちのいくつかは僕のために使ってもらおう。
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