29 / 30

終章~第29話 譲位~

 暗殺者はジェスロン兄の依頼だった。  そこまでかと、ため息を吐いた。  他の兄たちはせいぜい密偵くらいだった。  私たちはジェスロン兄に面会を求めた。  意外なことにすぐに面会の場が与えられた。暗殺の件はまだ報告はしていない。 「久しぶりだね。もっとも、私は個人的に会うことはできなかったから、仕方ないのだけどね。」  久し振りにあった兄を見ると、目の下に隈があった。眠れてないのだろうか。  お茶の支度をした側仕えが部屋を出ると、出されたお茶には手を付けず、話を切り出した。 「夕べ暗殺ギルドを潰してきました。」  ピクリ、とカップを持つ手が震えたのを見た。 「そこで、こんなものを発見しました。私たちを暗殺せよ、との契約書です。依頼人は、貴方の名前です。」 「……」 「なぜ、こんなことを? それほど、私が憎いのですか?」 「……」  答えない兄の手が震えているのを見た。 「もう、いい。行こう、クエン。然るべき措置を取ってもらおう。」  ドナートが私の肩に手を置く。それを見た兄が、表情を一変させた。 「おい、クエンティンに触るなよ。」  低い声で、ドナートに言う。 「兄上?」 「お前は騙されている。」 「何を言ってるんだ?」  ドナートが目を眇めて、兄を見て私に立つよう促す。私は立ち上がって一歩兄に距離を取る。 「そんなにドナートがいいのか。兄の、私より。」 「え?」 「いつもお前たちは一緒にいたな。兄の私がほとんど会えないのに。」 「何を言って……」  兄上は、いきなり何を言い出すんだ?虐められる者の前にのこのこ会いに行くやつはいないだろう。  それに私たちは遊び相手兼側近候補にと一緒に育てられただけ。ハディー同士が仲が良かったせいもあるけれど。  そもそも王子はそれぞれのハディーの元で育てられる。幼いころは顔を合わす機会も作られていたがハディーに事情を言うと配慮してもらえた。  それにドナートも自分の兄弟とはめったに会っていない。ドナートの兄たちは領地で育てられていたからだ。 「そもそも、兄上が私を嫌っていたのではないですか? 散々私を虐めておいてその言い草は何ですか? 虐められる相手に虐められに行くほど、私は被虐趣味ではないですよ。」  私の周りの温度が下がった。  あまりにも勝手な言い草に頭に血が上る。子供の駄々のような言い訳を成人のメイルがしていいものか。 「……ぐ……」  魔力で威圧をかけていく。 「クエン……」  ドナートが手に力を入れて握ってくる。ハッとして魔力を散らした。 「私ではない。……多分ハディーだろう。」  兄は絞り出すように、言って顔を覆った。 「お前たちが羨ましかった。王太子にふさわしくあれ、と言われ続け、自分を律してきた。ところがだ。お前のハディーが後宮に入ってからは彼を目の敵にした。彼の子に負けるな、と私をけしかける。私は、クエンティンが、可愛かったんだ。側にいて優しくしたかった。だが、できなかった。なのに赤の他人のドナートはあんなに傍にいる。ボ-トだって本当は私のボートにのせたかったんだ。でもあの事故が起きた。クエンティンを湖に落とすつもりはなかった。」  俯いて、言い訳をする兄の言葉は、いつもと違って、静かに事実だけを述べているように思えた。 「髪の色まで変わったのを見て後悔した。私はクエンティンのふわりとした茶色の髪が好きだったのに。いっそ、あの時、毒杯くらい飲んだってよかったんだ。なのに、お前は私には一切興味がなかったね。」  そうだ。私は無関心だった。命は助かったのだから、もう面倒事は避けたかった。王配の憎しみをこれ以上ハディーに向けたくなかった。だから。 「ただ日々を過ごすだけの私に白いワイバーンで空をかけていった、クエンティンは眩しかったよ。ああ、英雄がいると、そう思った。どっちみち、あの事件以降は私を次期王に推すものもいなかったよ。私は別に王位を望んではいない。ふさわしいものが付けばいい。その契約書も王に差し出せばいい。」  私も、この兄を拒絶していた。歩み寄る気持ちがなかった。だから、ここまで拗れた。  私はドナートを見た。  ドナートは苦笑して、ふうっと息を吐いて頷いた。 「兄上は、調査に協力してくれたんでしょう。おかげで暗殺ギルドを釣り出すことができて、感謝しています。これは協力の証拠の品。また、お礼は後程。」  兄は信じられない、という顔で私を見た。 「私も、2人の子の親です。子育ては難しい。二人はもう8歳です。学院にちゃんと行けるか心配してるんですよ。兄上の子供も、8歳ではありませんでしたか?」 「あ、ああ。いま14歳と、12歳と、8歳の子が、いる。」  私はにこりと笑って頷いた。 「そういえば子供たちとの交流は公式のお茶会や行事以外ではありませんでしたね。うちの子が生まれたこともあまり公にしてませんでしたからね。同い年の子供同士、学院では仲良くしてください。では、調査協力ありがとうございました。行こう、ドナート。」  二人で連れ立って、部屋を出た。  締まる扉の向こうから、かすかな嗚咽が聞こえた気がした。その後、私の周りは静かになった。  しばらくして、王の寝室に、兄弟全てが呼び出された。  ベッドに身を起こした王のそばに、顔を出し、正装に身を包んだ大魔導士がいた。  それに、皆驚いていた。 「皆、よく集まってくれた。今日は、余の進退について話をするために集まってもらったのだ。」  では、王太子を今日指名する、ということか。 「そして、今後のアルデリアの王を本当に決定するのは、王でも、貴族でもない。ここにいる、ヒュー・クレム殿と……」 『私が決める。私が王族に加護を与えるための契約の決まりごとの一つだ。』  王のベッドの後ろの窓に龍の顔が見えた。私と目が合うとにんまりと、金の目を眇めた。 「守護、龍」  ジェスロン兄が呟いた。 「守護龍は、わかりますが、その、ヒュー・クレム殿は……」  メッシーナ兄は疑問を口にした。  それよりも、大魔導士の名前が違う。グレアムじゃ、なかったのか。 「私はアーリウムの王族、ヒュー・クレム。以後お見知りおきを。勇者召喚を行ったことは、覚えているね? この世界の理から外れた異界の人物を喚んだ。それがどれほどの罪か、わからないかな?」  静かに笑顔を浮かべているが相当に怒っている。アーリウムと言えば伝説の国。ハイヒューマンという長命の……。 「私はね。二度とその罪を、この世界の誰にも、もう犯させないつもりだ。そのために王と契約を結んだ。以後二度と、召喚陣は使わないと。勇者は充分働いた。魔物は減り、王国は平和になった。竜騎士団の力で、戦争も勝った。もういいだろう? 王の交代時には私が必ず王たる人物か確認し、私が認めない限り、玉座に座ることはできない。これは既定事項で、覆すことはない。覆す場合は、私と龍がこの国を亡ぼすから、そのつもりで。私は少なくともあと5000年は生きるから頑張ってほしい。」  絶世の美形の恐ろしい笑顔。  貴族以上は知っている。アーリウムのハイヒューマンの伝説を。 【ハイヒューマンに手を出すな】  一国を滅ぼした伝説は今もなお、語り継がれている。 「さて、次代の王はクエン。君だ。」 「わ、私が? その、私は5番目で……」  何を言ってるんだ、師匠。やめてくれ。私は子供たちと湖のほとりで平和に……。 「お願いするよ、クエンティン。子供たちも、守るから。」  穏やかな目で見つめられた。  ああ。そのつもりで大魔導士と勇者は私たちを鍛えていたのか? 「はい、仰せのままに、ヒュー・クレム殿。」 「では、誓いの儀を。」  王が掠れた声で宣言する。 「次代の王はこのヒュー・クレムと守護龍と契約を結んで初めて、アルデリアの王となる。勇者召喚の儀を永劫放棄することを、この国の王族の末まで守ること、破られた場合、私と龍がこの国を滅ぼす。ヴァンサン王の子、クエンティン、誓約するか、否か。」 「私、ヴァンサン王の子、クエンティン、勇者召喚の儀を永劫放棄することを、誓います。」  私の身体が光り、左手に龍の刻印が刻まれた。 『誓いが破られない限り、私はそなたらを世界の理に背かぬ程度に守ってやろう。』 「ありがとうございます。」  私は、跪いた。龍は神龍だ。大魔導士は長命種のハイヒューマンだった。  ああ、勇者の悲しそうな顔が納得できてしまった。  短命種と長命種の恋は長命種を悲しませる。  でも、それを覚悟して二人は笑い合っていたのだ。そういうことだ。ならそれは彼らの選んだ道で、私が何も言うことも思うこともない。 「では、私と龍はこれで失礼する。」  大魔導士は、瞬時に消え、飛び去る龍の背に、はためくマントと人影が見えた。  沈黙が落ちる室内で、ぽつりと呟く。 「我が王家が背負う罪ということか。」  それなのに、二人は王族の私をかわいがってくれた。子供たちも。  では、私はそれに応えなければ。 「ダッド、これからのことは私が決めてよいですね。」 「ああ。もう、この国の王はそなただ。」  それからは目まぐるしかった。  戴冠式、住まいの引っ越し。体制変更や、公務の引継ぎ。  子供たちは王子となってしまって、少し窮屈な生活に変わった。  ただ、ハディーはまだ若く、全面的に引き受けてくれたので安心している。  兄たちの子供たちと交流も持たせて、仲良くするよう配慮した。  何故なら私の子供たちが王になるとは限らない。  王争奪戦など、これからはあり得ない。彼のお眼鏡に適うものが王だから。  王は全て終わったのを見計らったようにひっそりと身罷られた。  国民は悲しみに暮れた。  国民にはいい王だった。それが大魔道士の監視ありきだったとは国民には知られなくていい事実だった。  帝国は何度か、戦争を仕掛けてきた。その度に追い返し、国境が広がる。  竜騎士団の噂は遠くドワーフやエルフの国、聖皇国や南の商業国まで届いた。  私は比較的早く譲位して、結局ルディンが王になった。  ルディンに任せると私は竜騎士団の顧問になった。  私とドナートが聞いた、勇者たちの武勇伝を本にして、世間に出すことを勇者と大魔導士に許してもらった。写本が出回り、それが吟遊詩人たちに歌われ、様々に脚色されていった。  アルデリア王国は少しずつザラド帝国に代わって大国の道を歩み、そしていつかは滅ぶだろう。  精霊湖は私が没した後は、精霊の住む禁足地として人の出入りを禁じるようにした。  それもまた、時が移り行けば忘れられてしまうだろうか。  願わくば、守護龍と大魔導士に見限られないような、人々に優しい国であらんことを。

ともだちにシェアしよう!