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【第1部 書物の影で】11.ソール

 翌日、日が高くなるのを待って僕は王城へ出かけた。  最近外出のたび気分が悪くなったり、立ちくらみが起きるのは眼鏡のせいかもしれず、昨日クルトに話したように調整が必要だった。アダマール師は気づいていたようだ。この眼鏡を作ったのも、師が知人の回路魔術師に声をかけたのが発端だった。  師団の塔は王城の外れにある。周囲は大手のギルドの出店がそろい、活気のある一角だ。そっけない灰色の塔だが、季節のいいころはつねに、正面の大きな観音開きの扉を開け放してある。そこを職人や騎士が頻繁に出入りしている。  いつものように塔には門番もいなければ受付もいなかった。僕は勝手に奥の回廊をぬけて、機械がぶんぶん唸っている部屋や、暗色のローブを着た魔術師たちが大声で議論している部屋の前を通りぬけ、階段をのぼる。師団は四六時中人手不足で忙しいらしく、ほとんどの扉は開けっ放しで活気と騒がしさに満ちている。それなのに不思議とここは僕を苛立たせなかった。  セッキの研究室は二層上だ。作業台の列を通りすぎ、奥の部屋をのぞくと、セッキは助手をかたわらに早口で喋りながら黒板一面に数式を書き殴っている。しばらく後ろで眺めていると助手の方が先に気づき、彼をつついた。  チョークの指をローブでぬぐい――彼の着ているローブはおかげであちこち白くなっている――セッキはこちらをふりむいた。ひょろりと背が高く、四角いあごには毎度無精ひげがのびている。 「おお、ソール。なんだ、いいところにきたじゃないか。連絡しようと思ってたんだ」という。  僕は眼鏡をはずし、彼にさしだした。 「最近調子が悪いようだ。調整してもらおうと思ってきたんだが」 「そうか――いや、ちょうどよかったよ。実は改良機を作っていて、そのテストをな……あ、ソールにお茶をいれてやってくれ」  助手に声をかけながらセッキは足元にちらばった紙をひょいひょいとよけ、窓際へいく。乱雑に積み上げられた紙の層をくずして、何か探しているらしい。 「モノは隣にあるんだが、ここにメモを……ああ、これこれ」 「いつもながらすごい部屋だね。よく必要なものをみつけられるもんだ」  ほとんど感心しながら僕はいった。この部屋のちらかりようはひどいなんてものじゃない。  俊才の回路魔術師として知られるセッキは、僕よりひとまわり年上で、もう引退した彼の師匠がアダマール師の友人だった。その縁でこの眼鏡の製作に最初から関わっていて、だからつきあいも十年近くになる。  しかしセッキの研究室をみただけでは、彼がどれほどの俊才なのかなんて、さっぱりわからないだろう。作業台や機械がならぶ手前の部屋こそ、助手の努力で整理が行き届いているが、セッキ本人が籠っているここは、整頓の神様に完全に見放されているからだ。  書棚には紙束が無造作につっこまれ、くしゃくしゃになった暗色のローブが何枚も、あちこちに放り出されている。テーブルはこぼれた飲み物のしみだらけで、その上をチョークの粉がうっすらと覆っている。さらに床には書物と紙の山がある。セッキ本人が「地層学的な山」と冗談で呼ぶしろものだ。一度積んだ書物が崩れた上に、さらに積まれた書物が崩れて、これが何層にも積み重なっている。  はっきりいうが、僕のような人間には悪夢の部屋だ。だがセッキにとってこれ以上居心地のよい巣はないらしい。 「探し物か? いや、みつからないこともある。むしろみつからない場合が多い」 「だったらどうするんだ?」 「この部屋にあるものなんて、どうせ一度考えたことだからな。もう一度考えるんだ。どうにかなる。でもソールはいいよなあ。本でもメモでも、どこに置いたか全部覚えていられるだろう?」 「僕にいわせると、この部屋で覚えていても無駄だね。地層の下にいってしまえばないも同然だろう。掘り出すだけで一苦労だ」 「いえてる。だからもう一度考えるんだよ。なに、たいていその方がもっといいことを思いつく」  たぶんこんなところが彼の俊才たるゆえんなのだろう。僕はというと、回路魔術の技術はたいして理解していない。本を読んでごく単純な回路の原理を知っているだけだ。だから僕の眼鏡についてもどう動いているのかはまったくわからず、ただセッキに使い勝手のよしあしについて話し、調節してもらうだけだった。しかしセッキによるとこれで十分役に立つのだという。 「ええっとだな……今日は時間あるか? 新型をな、頭骨に合わせて調整するんで、テストしてもらいたいんだ。この前の結果が……」  ぶつぶついいながらセッキは続き部屋に向かい、僕にお茶を運んできた助手の若者があわててその後を追う。  新しい眼鏡を調節するのに午後いっぱいかかった。今度の眼鏡は前より軽く、頭をあまりしめつけない。だがセッキは不安そうだった。 「うーん、実験環境では大丈夫だが、外部環境で気分が悪くなったら外して、休むんだ。すぐにここへ来なくてもいい。これまでの眼鏡に戻して、都合のいいときに返してくれ」 「もったいないな」と僕はいった。「少なくとも付け心地はいいよ。軽いし」 「そもそもの狙いはそこだからな。とにかく気をつけてくれ」  廊下に出ると、レムニスケートの紋章を身につけた使者が歩いていた。回路魔術は意匠や設備に組み込まれる形で王城の防備に使われているから、師団は同じく防備を担当する貴族のレムニスケート家と関係が深かった。  この家は代々騎士団長を輩出している。つまりレムニスケートは回路魔術師団のバックにつくだけでなく、騎士団と師団をつないでもいるわけだ。  ふだんレムニスケート家は王宮でそれほど目立たない。だが有事の折は常に実力を行使して、この国の方向を左右する。宮廷政治に関わる貴族にはこれを目ざわりに思っている者もいた。  そんな背景もあって、精霊魔術師が所属する王立魔術団と回路魔術師団の関係はお世辞にも、よいとはいえなかった。宮廷で政策顧問を担う精霊魔術師にもさまざまな立場がある上、もともと精霊魔術師には、我こそは古来から存在する正統な魔術なりと主張して、回路魔術を下に見る傾向があった。回路魔術は――すでに二百年以上の歴史があるとはいえ――新興の技術だったからだ。  白状しよう。僕も昔はそうだった。  だからアダマール師が師団に協力を求めたとき、もっとも反発したのは僕だったのだ。今となってはお笑い種である。この眼鏡がなければ、僕の生活はもっとひどいものになっていただろう。  師団の塔を出る。魔力の線が前よりもはっきりわかる。最初のうちは頭も軽く、調子が良かった。いつもよりすばやく動けるようで、それがうれしい。だがその気分は長く続かなかった。  突然耳鳴りがはじまった。高いところから一直線に頭蓋を刺しつらぬくような音が鳴り、ついで、頭の芯がくるくるまわりはじめる。  僕は目を閉じる。間に合わなかった。平衡がくずれ、膝がくだけた。  地面に手をついて眼鏡をはずした。まだめまいが続き、つんざく耳鳴りもそのままだ。膝をつき、無意味と知りつつ頭をかかえ、両耳を覆った。つめたい汗が流れ、首筋におちていく。 「おい、大丈夫か。どうした」  声がきこえる。背中に手があてられているらしい。僕は耳を覆っていた手を地面につく。視界がモザイク模様のようにバラバラだ。汗がしたたりおちるが、ひどく寒い。 「気分が……悪くて」 「ここは危ない。道の脇に寄せたいんだ。立てないか? 抱えるぞ」  肩と背中を支えられ、僕は体をおこしたが、尻もちをついたようになった。城門でよく会う警備隊の騎士がみおろしている。 「ソール? おい、大丈夫か」 「ああ……大丈夫だから――少し……休ませて」  視界のモザイクが一枚ずつ黒く塗りつぶされ、やがてすべてが真っ暗になった。  意識を失っていたのはそれほど長い時間ではなかったようだ。なにやら声高に話す声に僕は目をあけた。  警備隊の詰所の奥で、長椅子に寝かされている。体を起こすと少なくとも今は、耳鳴りもめまいもしない。セッキが懸念していたように、新型の眼鏡による一時的な不調なのかもしれない。  残念だと思った。立ちあがろうとすると話し声がやんだ。あわただしい足音が響く。 「ソール! 大丈夫か」  ラジアンの声だ。  ぼうっとした頭でも反射的に、まずいことをした、と思う。僕にとってはめまいで倒れるなど年中行事だが、彼には知られたくなかった。 「大丈夫だ。世話になってすまない。帰るよ」  僕は彼を見上げていった。まともな声で話せて内心安堵した。大丈夫そうだ。とにかく店まで帰りつけばその後はなんとでもなる。調子が悪いのはいつものことで、僕はこの状態に慣れていた。  だがラジアンはそうではなかった。 「まだここで休んでいろ。俺があがるときに送っていく」  彼の言葉の響きに含まれた何かに僕は急に苛立ち、そっけなく言葉を返した。 「大丈夫だといっただろう。いつものことだよ」  ラジアンはそれを聞いて目をむき、ついでため息をついた。 「ソール、自分がどんな顔色をしてると思う? 死人みたいだぞ」 「うるさいな。自分の体調ぐらいわかる。とにかく店に帰る」  僕はゆっくり立ち上がった。大丈夫だ。立てるし、歩ける。そのまま外に出ようとして、ラジアンの手が後ろから僕の両肩をつかんだ。 「ソール、まだ休まないと――」 「大丈夫だよ。何度いえばわかるんだ」 「おまえが大丈夫というときはたいてい、そうじゃないんだ――」  その瞬間、唐突に胸の底が怒りで煮えたぎった。どうしてなのか自分にもわからない、カッと火を噴くような圧倒的な怒りに襲われて、僕は体をねじって肩にかけられた手を振り払う。ラジアンを正面から見上げ、怒鳴った。 「いいからほっといてくれ!」 「ソール……」 「保護者づらするのはやめろ。いいかげんそんな眼で僕をみるな。僕はそんなに哀れか? かわいそうか?」 「――ソール、俺はそんなつもりじゃ……」 「僕はもう――」  吐き捨てながらラジアンから目をそむけ、通りへ出ていこうとしたときだった。僕の視界へ一直線に、明るい緑色が飛びこんできた。栗色の髪と、見間違えようのない美貌。緑色の眸が僕をみている。  おかしな偶然が続くものだ。まるで物語みたいに。 「いったいどうした?」  クルトがそういった。

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