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【第3部 雲のなかの星】4.ひつじ
『どうしておやじに話したんだ、アレク』
『どうしてもなにも、当たり前だろう』
『なにが当たり前だ――』
「ハスケル」
その場にいないアレクを念話で問い詰めようとしたまさにそのときだった。声をかけられてクルトはふりかえる。学院の塀を囲むようにしてならぶ欅の大木の横に大柄な男が立っていた。埃っぽく暑い真夏の道ばたでも、襟元をとめた騎士服をきちんと身につけている。警備隊騎士のラジアンだ。
知り合いなら声をかけられるまえにわかりそうなものだが、どうして気づかなかったのだろう。アレクへいいたいことで頭がいっぱいだったせいか。
『クルト?』
いぶかしげにアレクが聞いてくる。クルトは『――悪い、急用だ』と伝えた。『後でまた話そう』と念話を打ち切る。
「騎士殿。何か用か?」
ラジアンは眉をしかめてクルトをみた。わざわざ呼びとめたのはそっちなのに、気が進まない――気に入らないという気分がはっきり感じられる。汗がうっすらとひたいに浮かんでいた。
「二日前の午後、ソールを城下で保護した」
「え?」
「街路でうずくまっていたところを警備隊に発見された。日射しのせいだと本人はいうんだが、学院から治療師を呼んだ。例によって魔力欠乏のせいだというので店に帰して、今日もさっき、様子を見たが、一応大丈夫らしい。だが気になることがあって――で――」いいながらラジアンはさらに渋い顔をした。
「おまえのことを思い出した」
「思い出したって……おい、ソールは大丈夫なのか?」
ラジアンはかすかに鼻を鳴らした。
「おまえも魔術師になる人間なら、俺の内心くらい簡単にわかるだろう。深刻な事態なら俺がここで呑気に待っていると思うか?」
たしかにそうだとクルトはほっとしたが、ラジアンの威圧的な態度はなんとなく癪にさわった。威圧されるからではなく、恩着せがましい感じを受けるからだった。
「わかった。でも治療師を呼んだのはなぜなんだ?」
「保護されたとき、どうしてそこにいたのかをソールが覚えていなかったからだ」
騎士は短く答え「おまえと立ち話はすかん。目立つからな」と歩きはじめた。木陰をたどるようにして街路を進む。
「ハスケル、今日はソールの店に行くか?」
「もちろん、今から行く」
ラジアンはちらっと周囲をみて、商店街へつながる大通りへと足を進めた。ラジアンとこんなふうに並んで歩いたことはないとクルトは気づいた。顔をみなかったわけではない。ソールが森の施療院へ遁走し、戻ったあと、クルトはラジアンと王城付近や城下でたまに行き会うようになった。最初は偶然だと思ったが、何度かつづくにつれ、これはラジアンの故意だとクルトは悟った。ソールの監視者だから――なのだろうか。真意はわからなかったが、この騎士はクルトの所在を把握しておきたいらしい。
もっともラジアンはとくにクルトへ介入してくるわけでもなく、道端ですれちがっても話しかけてくるわけでもなかった。とはいえ街中で行き会ったときの態度にはどこか、俺は見逃してやっているんだぞといわんばかりのところがあった。ソールに下手なことをしたらただではおかないぞといった気分をあからさまに示してくるのだ。ラジアンはソールとクルトの関係を知っているが、結局のところソールの庇護者という役割を手放したくないのかもしれない。
午後も遅くなり、長くなりはじめた騎士の影はクルトとつかず離れずの距離を保っていた。夕暮れの喧騒が聞こえはじめた街路を大股に進みながら早口でいう。
「ソールが何かを忘れたなんてことは俺の知るかぎり一度もない。具合が良かろうと悪かろうと、あいつは自分がやったこと、見たことや聞いたことは何でも覚えているし、正確に話せる。だから何が起きたか覚えていないなんてのは、おかしい」
「それで俺を?」
「認めたくないが、ハスケル、おまえはいま一番ソールが気にかけている人間だ。俺があいつと知り合ってから、おまえほどソールが……気を許している相手には会ったことがない」
ラジアンはクルトの顔をまったく見なかった。
「最近は調子がよさそうだったが、あいつの具合が悪いのはよくあることだ。だが昨日はかなり弱っているようだった。気をつけてやってくれ」
クルトはほっとして息をついた。ラジアンが声をかけてきたときはてっきり、また妙な釘をさされるのかと思ったのだが、そんなわけではないらしい。強引に自分の将来を決めようとする父のおかげで苛立っていただけに、ソールを庇護対象とするこの騎士が多少とも自分を信頼しているのは嬉しかった。
「もちろん。了解した、騎士殿」
「あいつに何かあったらただじゃおかないからな」
「こっちこそ」
曲がり角までくるとラジアンはちがう方向へ行き、何もいわずふたりは別れた。さてどうしようか、とクルトは思った。今晩は屋敷で食事をするようにと父から連絡があり、そのときクルトには予兆が見えた。おそらくラブレス一家も招待されているのではないか。ということは、すっぽかせば父は内心激怒するに違いない。だが今夜ならまだ聞いていないといい逃れもきく。
なによりソールが心配だった。街中で倒れるほど具合が悪かったというなら、ソールの好きな果物か、冷たい飲み物を差し入れなければと思う。だいたいソールはこの前会った日――父が結婚について持ち出した夜――も、熱が出たと話していた。
もっとソールのそばにいて彼をみていられたらいいのに、と切実にクルトは思った。できれば前のように朝まで一緒にいたい。それに、教養として学院で通り一遍に習っただけの施療師の技術をもっと知っていれば、ソールの体調にあわせて何かできるかもしれない。進路の件がおちついたら一度アダマール師に聞いてみよう、そう頭にとめる。
商店街へつくと、カリーの店に通いはじめて以来なじみになったいくつかの店をまわり、食べ物や冷たい菓子を買った。店番の少女や店主はだいたいクルトに親切だ。品物の包みと引き換えに金を払いながら、こんなふうにすごせるのもあとどのくらいだろうかとクルトは思った。政策部の顧問団へ入ればどのくらい頻繁にソールに会いに来られるだろう。王宮の仕事はもとより激務が多いが、政策部はとくに、しばらく家に帰れないこともあると聞いている。会いたくても会えないようになったとき、自分とソールの関係はどうなるだろうか。ソールの体調が悪くなったとき、誰が自分に知らせてくれるのか。
皮肉なことにソール以外の誰かであればこんな心配は不要なのだ。クルトが気にかけていさえすれば、どこにいるかもわかるし、何かが起きたらすぐにわかるくらい魔力の絆を強めておくこともできる。だがソールの場合はそうはいかない。だいたい倒れて保護されたのに、クルトが気づかないなんてことも……。
そう考えて、突然ぞっとした。ソールに何かあってもクルトには「わからない」のだ。彼がどこかで倒れたとしても、もとより身分がちがい、ソールの家族でもないクルトに、いったい誰が恋人の状況を知らせてくれるというのか。今日のようにラジアンが教えてくれれば御の字だが、それも、たまたまラジアンに時間があり、加えてクルトが学生で、まだ暇な身分だからだ。
おまけにクルトがしばらく会えないでいるあいだ、ソールが他の誰かに興味を持ったり、友人をつくっても、それはクルトが今後入っていく世界とは縁のないひとびとになりそうだった。最近カリーの店を手伝っているイーディの方がまだ、学院を出た後も回路魔術師のセッキを通してソールとかかわりを持てるのではないか。
「お兄さん、釣銭は?」
「ああ、いいよ。とっといてくれ」
怪訝な顔をした店主に小銭を押しつけ、クルトは速い足取りでカリーの店へ向かった。急にいろいろなことが心配でたまらなくなった。ソールの健康もだが、自分の将来についても――目標どおり顧問団へ入れたとしても――すべてがあやふやな雲のなかにあるように思えた。周囲の風で簡単に押しながされ、揺れうごき、集合しては離散する、形のさだまらない雲のなかでふらついているかのようだった。
焦るクルトの心情など気にしないかのように、カリーの店は路地の奥にいつもと同様、ひっそりとたたずんでいる。
暑さのせいだろう、最近は金物屋の老婆も路地で休んでいるのを見ない。店の正面から入るのはひさしぶりだ。片手に買い物を持ち、片手でひらいた扉の意匠を押すと、中から快活な話し声が響く。
「さすがの私もこれは食べられないと思いましたよ。何しろひどい匂いだし、腐ってるとしか思えない。でも先方は体にいいし美味いんだという。鼻をつまんで食べるわけにもいかない」
長身の男がソールのいつもの作業机の前にいた。身振り手振りをまじえながら話していて、彼の影になったソールの姿はみえない。
「それでいったいどうしたんです?」と、ソールの声だけがきこえた。
「だからね、こうやって――」
男はなにやら身振りで演じたらしく、ソールがこらえきれないような笑い声と共に顔をあげる。その拍子に視線が男の影からそれて、クルトをみた。
ぱっとその眼が輝き、クルトはなぜかほっとした。
「クルト! 来ていたのか」
ソールは明るい声を出し、立ち上がった。
「ああ、申し訳ない。お店の邪魔をしてしまったようですね」
長身の男もふりむいてクルトをみた。日焼けした黒髪の男で、精悍な顔立ちだが、物腰や口調はていねいだ。みるからに上質の服で貴族とわかるが、語尾に不思議な抑揚があった。
「ああ、彼はふつうの客ではないので」とソールがいう。「あなたに例の書物へ出資していただくきっかけとなった……友人です」
「というと、ハスケルのご子息ですか?」
それを聞いてわかった。彼はニールス家の当主だ。
はっとしてクルトは居ずまいをただした。
「クルト・ハスケルです。ええ、父を介して紹介させていただきました。はじめてお会いしますね」
長身の男は微笑した。若いクルトを見下すでもなく、かといって持ち上げるでもない、感じのよい笑顔だった。
「レナード・ニールスです。たしかに初対面のはずですが、ハスケル家の当主は王宮でよくあなたの話をするので、あまりそういう感じがしない」
「それは……お恥ずかしい。きっとらちもない話ばかりでしょう」
クルトは頬が紅潮するのを感じた。父親が王宮で自分を印象づけようとしているのは知っていたが、本能的に、レナードのような男にあまりそういう話をしてほしくない、と思う。首をふってさりげなく話を終わらせ、抱えた袋をソールの方へ見せるようにした。
「奥へ置かせてくれ」
「ああ」ソールは店の奥へ眼をやり「レナードが持ってきてくれたお茶とお菓子がある。大陸のめずらしいものだそうだ」という。
胸の底にちりりと引っかかるものを感じながら、クルトは反射的にソールからレナードへ視線をうつした。黒髪の男はいまは小さな椅子に腰をおろしている。ソールとふたりでいるとき、そこはクルトが座っている場所で、またかすかにクルトは苛ついた。
そんなクルトにレナードは眼をあわせてくる。そこにはどこか、楽しんでいるような、興味深そうな表情があり、実際もれてくる感情もそうだった。この店やクルトの存在に向けた好奇心と、ソールへの興味――かなり強い好意――がないまぜになっている。
ふいに負けてはならないとでもいうような対抗心が湧きあがり、クルトはソールの横を通って奥へ行くと、テーブルに持ってきた袋を下ろした。手慣れた動作で中身を取り出しながらレナードに笑顔を向ける。
「こんな下町までわざわざいらっしゃるとは、貴族にはめずらしいですね」
「それはあなたもでしょう」
「俺は学生ですし、ソールとは友人なので」
話しながらクルトはレナードが持ってきたらしい金属の壺をとりあげた。風変わりな意匠が浮き出して、大陸の言葉で書かれたラベルが貼ってある。
「それにしても大陸のものはたしかにめずらしい」
「人づてに、店主が具合を悪くしたと聞いたのでね。先日うちの屋敷へいらしたとき喜んでくれたのを覚えていたので、ちょっとした見舞いがわりです」
またもクルトの中でちりちりと引っかかるものがあった。人づてに聞いた――とは、誰に聞いたのだろう。自分は今日の午後まで知らなかったのに。
「ではあなたも飲んでみてください。人によっては合わない場合もありますが」
「ソールが大丈夫だったなら、俺も大丈夫ですよ」
何気なく口に出した言葉にすぎなかったが、レナードは思慮深げに腕を組んだ。べつだん強い魔力の持ち主でもないのに何もかも見透かされているような気がして、なぜか焦りを感じる。だがソールはクルトの気持ちに気づいた様子はなかった。彼はまた椅子に座り、レナードとクルト双方のちょうど中間に体をむけている。
「レナードの大陸の話はとてもおもしろいぞ、クルト。今度きみも聞かせてもらうといい。いずれ役に立つかもしれない」
「ソールはああいってくれますが、私の大陸話は王族の方々もうんざりさせているくらいでね」レナードは快活にいう。「あなたはまだ私のおしゃべりを楽しんでくれますが、いつまでもつかは保証できません」
「いや、本当におもしろいですよ。また聞かせてください」
「そうですか? だったら次は南洋の島の――」
「――ソール」
クルトはソールの肩に手をかけた。なんだか慣れない感じがした。みょうに――薄い、とでもいうような、前に触れたときとちがう感触がある。
痩せた? いや――?
違和感の正体はあとで考えることにして、クルトはソールの髪に近いところへ顔をよせた。低い声でささやく。
「冷たい菓子を持ってきている。食べないとぬるくなってしまう」
「クルト」ソールはかすかにふるえたようだった。「だが客人も――」
と、レナードが立ち上がった。
「お気づかいなく。私はそろそろ帰らなくてはならない」
ソールがあわてたように立ち上がる。するとレナードは胸に手をあてながら一礼した。一介の書店主に対するにはていねいすぎる礼だった。だが、学者相手の礼儀だと思えば的をはずした感じもなかった。
なるほど――とクルトは不本意ながら感心した。ニールスが外交で評価される理由がわかったと思う。この男は相手の単なる外見や身分だけで自分のふるまいをきめていない。相手の本質を見通して、適切な態度をとっているのだ。政策顧問となったとき、このような洞察はクルト自身にも必要となるだろう。味方につけておきたい人間なのはたしかだ。たしかだが――
今はむしょうに苛立つので、早く行ってほしい。
そう内心が叫ぶのを抑えて、クルトも手をさしのべる。
「またお会いしたときは、どうぞよろしく」
「こちらこそ」
店の扉が閉まると、ソールが不思議そうにクルトをみた。
「レナードとは初対面だったんだな。なんだか、きみらしくなかったぞ」
「そうかな。何もないよ」
こたえながらクルトは店の扉をじっとみつめ、ソールはまったく鈍いんだな、と思った。自分に向けられたレナードの興味――あやふやとはいえ明白な好意だ――にも気づいていないようだし、クルトが勝手にレナードへ対抗心を、ほとんど嫉妬にも似たものを感じたとも思っていないらしい。
「ソール、まだ店はあけておくのか?」
「ん? ああ、こんな時間か……」
かすかにため息のような声が聞こえたように思えた。「そろそろ閉めてもいいな」つぶやきながらソールは鍵や鎖を取り出し、立ち上がったが、直後、ガチャンと音がした。
「どうした?」
クルトはあわてて走り寄った。のぞきこむとソールは顔をしかめながら床にしゃがみ、落とした鎖を拾い上げている。クルトを見上げて自嘲めいた笑いをもらした。
「なぜだかわからないが、昨日から物音に敏感でね。うるさいのがつらいから、あまり扉に近寄らないようにしていた」
「ラジアンから道で倒れていたと聞いたよ。大丈夫なのか?」
「ああ、それなんだが――」
ソールはしゃがんだまま、鍵を手の中でもてあそんでいる。
「覚えてないんだ。どうしてそんなことになったのか。とくに何か失くしたりもしていないし、単につまづいたのかと思うんだが……まったく、僕のくそったれな記憶力までポンコツになったのかと思うと、気が滅入るよ」
「ソールはポンコツじゃないし、鍵は俺が閉める」
クルトはソールの手から鍵一式と鎖を取り上げようとした。と、下の方を引っ張られる。ソールのもう一方の手がクルトのシャツをつかんでいる。
「クルト……来てくれてよかった……」
心細げな声がソールの唇からもれ、クルトは細い肩に腕をまわした。
「前も熱が出たといっていたじゃないか。調子が悪いときもあるよ」
クルトは床に膝立ちになって、ソールのひたいに唇をつけた。鍵を取り直すと「俺が閉めるから」とささやく。
「まずは食事だろ。それから上で休もう」
「クルト、もし――」
ソールは何かいいかけて口を閉じた。
「ん?」
クルトは問い返したが、ソールは無言だった。ただ首をふる。砂色の巻き毛が揺れた。
「なんでもないんだ。食事、ありがたいな。きみが来てくれて助かるよ」
その夜、寝台でソールを抱きしめ、愛撫をかさねながらも、クルトは頭の片隅で、どうすれば離れているあいだもソールとつながっていられるのかと考えていた。いまのように体をかさねているときなら問題ない。魔力などなくても、どこを刺激すればソールが喜ぶか、悶えるか、安心するか、クルトはもうすみずみまで彼のことを知っている――と思う。
もっとも今日のソールはすこしいつもと違っていて、平常の静けさがなかった。倒れて保護されたことに関係しているのか、クルトとふたりになってからは不安な気配をずっとたたえていたのだ。そのせいか夕食後はめずらしくソールの方からクルトを求めた。
まだ夜も早い時間にふたりは寝台に倒れこみ、深く口づけをかさねる。舌を絡ませあうと、ソールの腕がクルトの首にすがりつくように巻きつけられる。口づけながらクルトはボタンをあけてソールの胸をさらし、指でつまむようにしてこする。足をからませ、離れた唇を喉におしつけ、甘噛みする。
悲鳴をこらえたような気配があった。吐息があふれ、細い体がしなる。片手でソールを下まで一気に脱がせながら、肌と肌を重ねあわせていると、まるで声にできない言葉でソールに話しかけているようだ。乳首を舌でねっとりとなめあげると、ソールは「あっ……あ――」と高い声をあげそうになり、あわてて両手で口をふさぐ。クルトにしたって、ソールの声をききたいのだが、あけ放した窓から入る風が日よけをぱたぱたいわせているからそうもいかない。その一方で、声を殺して悶えているソールはクルトの欲情をもっと煽りもして、クルトは舌と指の愛撫をもっと下の方へ、ソールの中心へのばしていく。
「ああ、クルト――」
覆いかぶさりながらソールをうつぶせにすると、尻のあいだを割ってそっと潤滑油をなじませる。ソールは枕に頭をおしあて、クルトがすべる油で濡らした指で背中をたどるたび、ふるえながら吐息をつく。クルトが彼の内部へ指を侵入させるだけで、いつしか前も立ち上がり、しずくをこぼしている。指をふやし、中をまさぐるたびに、ソールは枕に顔をおしつけるが、それでも泣くような声がもれるのをとめられない。クルトはさらに焦らすように内側をまさぐり、指を抜く。
「あっ……」
ソールから失望のような、驚きのような声がもれる。クルトは自身の怒張をソールにおしあてながら背筋を噛む。こらえきれないとでもいうようにソールがふるえ、クルトを求めて腰をふる。
「クルト……ほしい……きて……」
年上の男の細い腰をとらえ、クルトはゆっくり彼をつらぬいていく。ソールは息を吐き、クルトをむかえいれる。ソールの中は熱く、性急に動いて傷つけてはならないとわかっているのに、体はクルトの意思のままにはならない。もしかしたらソールも同じなのかもしれない。快感を重ねるようにたがいの腰が自然に動き、だんだん激しくなる。
「クルト……好き……あっあああ」
ソールの声に胸がいっぱいになりながら、クルトはさらに激しく彼を追い上げていく。いつもこうやって、肌と肌で話していられるほど近くにいるのならいい。そうすればソールがどこかで倒れているのではと心配することもないし、別の男に気を取られているのではないかとよけいな嫉妬をすることもない。
いったいどうしたらいいのだろう?
ふたりとも汗に濡れながら絶頂に達し、はあはあと息をつく。クルトはソールのぐったりした体を横抱きにして、髪の生え際から首筋へ手をすべらせる。自分ではない存在とこんなに近い距離でいられるなんて、いったいどんな奇跡なのだろう、という思いが心に浮かぶ。奇跡というのは儚いものだ。どうしたらこれを留めておけるのだろう。
「朝までいられるといいのに」ぽつりとソールがいい、次の瞬間息を飲んだ。
「今のは、聞かなかったことにしてくれ……」
「俺もそうしたい」
クルトはソールの首筋に唇を押しあて、強く吸った。
「ソールが眠ったら帰る。それまでいさせて」
「噛むなよ」
ソールはクルトの腕の中でもごもごという。
「痕になるっていったろ……」
腕の中の体は汗が乾いて、すこし冷えてきたようだった。背中をさすりながらクルトはささやく。
「ソールは俺のだから、しるしをつけておく」
「必要ないよ、そんなの……」ソールの声は眠そうだった。
「しるしなんてなくても、僕はきみのものだ」
そしてことんとクルトのほうへ頭が落ちた。すやすやと寝息が聞こえる。
クルトの中にこらえようのない愛しさがこみあげてくる。これはまちがいなく奇跡の一種だ。そうとしかいえない何かをいま、与えられたような気がする。
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