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【番外編】ゆらぎの影

「ソール……」  僕の胸の上にのしかかって、クルトがささやく。  僕は寝台の上で彼の腕に腰を抱かれ、足をひろげてクルトをむかえいれている。この姿勢のままどのくらいの時間がたつだろう。クルトはほとんど動かないまま僕の胸の突起を舌でなめ、そのたびに僕の内側がもどかしい感覚にわななく。もっと激しく動いてほしくて勝手に腰が揺れる。つながった部分から濡れた音がするが、クルトはじっとしたまま僕の胸をまさぐりつづける。さっきから、もう我慢できないと思うのにクルトは許してくれない。かたく閉じた目尻から涙がこぼれる。自分の意思ではどうにもならない。喉から恥ずかしいほどの喘ぎがもれる。 「クルト……んっ……もう……許して……」  僕は懇願する。いつもなら聞いてくれるクルトなのに、今日は低くささやきがもどってくる。 「だめだよ」 「クルト……お願い……」 「俺も我慢してるんだ。もっとソールが可愛くなるまで――」 「そんな――あっ……」  胸をいじられているだけなのに僕はびくびくと反応する。突き入れられたままの硬さがわずかに奥へ動き、たまらず叫び声をあげてしまう。 「あああ――だめっだめ――」 「ほんとに?」  どうしてこの年下の男はこんなに余裕たっぷりなんだ。涙にぬれた眼をひらくとクルトの美貌が僕をみつめている。その視線は怖いほど強くてまっすぐで、からかうようでもないし、微笑んですらいない。それで僕は悟る――少なくとも僕の理性は、上にいる男にも余裕なんてないのだと悟る。 「ソール、だめだよ……もっと我慢しないと……」 「どうして……あ―――」 「俺が戻ってきたのに、ソールがいなかったからいけないんだ」 「だって嵐で……仕方な……きみだって戻れな……あっ――」 「そう、仕方なかったんだ――だからいいだろ? もう少し……」  吐息を首筋に感じる。軽い痛みがチリっとはしり、歯を立てられたのだとわかる。ぴちゃりと音がして、クルトは僕の胸にキスをかさね、舌でたどり、吸い上げる。それだけでさざなみのような快感が湧きたち、僕は突き立てられた楔から自由になりたいのか、僕をもっと引き裂いてほしいのか、わからなくなる。強い快感ともどかしさの狭間に浮かんでいるのに自分ではどうしようもなく、クルトがうらめしい。 「ほら、ソール……可愛いよ……すごく…」  腰をぐいっと持ち上げられ、すでにぐちゃぐちゃに濡らされ、つなげられた部分にさらに潤滑油が流れる。奥へ、僕が待ち望んでいたものが与えられると、自分が切れ切れに叫び声をあげているのがどこか遠くで起きていることのようだ。クルトの息が荒く、激しくなり、ささやきも消え、僕の頭の中は真っ白になる。はるか彼方から波の音が響く。    *  そもそもの発端は、隣町で発生した伝染病だった。  クルトが隣町の診療所で治療師として働きはじめて一年が過ぎた。もはや見習いでもなくなって、時々は当直で帰れない日もある。  僕はというと、朝クルトを送り出した後、王都のカリーの店から届く問い合わせや書物の調査、レナードが隣町に開く予定の新店舗の準備をしていて、さらに子供たちを教えたり、村人にちょっとした用事や助言を求められたりで毎日それなりに忙しかった。時々はアルベルトの手伝いのために岬へ行く。博物学者の塔は資料に埋もれていて、整理や口述筆記など、作業はたくさんあった。  海辺の村の生活はきまったリズムで動いている。半円の浜のひとつの端には小さな港があり、漁師たちは早朝から海へ出る。舟は日が高くなる前に戻り、浜はいっとき人で賑わう。午後はまた静かになり、子供たちが僕の住む別荘へ勉強を教えてもらいに来る。夕方クルトが隣町から馬か乗合馬車で帰ってきて、僕らは一緒に夕食をとる。家事は村のおかみさんたちが手伝ってくれるし、差し入れもあるので、僕が準備する食事も多少ましになった。  村人はクルトのことを若先生と呼び、僕に対するものとはちがう種類の敬意を払っている。本来彼らにとって治療師のクルトは、別荘の管理人兼教師として子供に勉強を教えている僕とは別次元の存在だろうが、彼がもつ天性のひとなつこさや美貌はこの村でもやはり有効で、敬意を払われつつも親しまれているのはたいしたものだと思う。おまけにクルトは貴族なのだ。  伝染病の一報が入ったのは、そんなふうに僕らの生活が安定したサイクルで回っていたころだった。その日もクルトはいつものように診療所へ発ち、僕はふだんと同じように仕事をしていた。海辺は春の気配でいっぱいで、天気もよく、波はおだやかだった。早馬が別荘の表玄関につけられたのはまだ昼にもならない時刻だ。  見慣れない男が馬上で帽子をとり、「ソールさんですね?」という。 「どうしたんだ?」 「伝染病が発生しました。診療所からの知らせです」 「伝染病? 流感ではなく?」 「いえ、大陸からの病気です。ハスケル先生がソールさんなら対処の方法を知っているからと……これを預かってきました。この村には念話で連絡できないからと、私が使いに出されたんです」  僕は布にくるんだ封書を受け取った。男は馬から下りなかった。 「封書は防疫していますから大丈夫です。私はすぐに診療所へ戻ります。先生の見立てでは二十日程度でおさまるという話ですが、連絡があるまで、直接の人や動物の行き来をできるだけ避けてください」 「二十日?」 「ええ。村役場への手配をお願いします」  男は慌ただしく去った。僕は封書をひらき、大陸帰りの男から発症し、すでに何人かが感染したという病についての知らせと、万が一にも同じ病気がこの村に到来していないかどうかの確認や予防措置が書かれた項目を読み、ついでしばらく帰れなくなったというクルトの伝言を読んだ。冬から春にかけて発生する空気感染の流行り病ではないから、下水と人の流れさえ把握して管理すれば、拡大することはないという。  しかしどのくらいの期間、クルトが隣町に足止めされるのかはわからなかった。仮に隣町の病気が二十日でおさまったとしても、病に直接触れる診療所の治療師たちが戻るのは、病が消えたと十分に確信がもてるだけの期間をおいてからになるだろう。  クルトは大丈夫だろうか。その思いで一瞬胸が焼きつくようになったが、僕の足は自動的に動いて、村役場へ向かっていた。急遽取り組む必要のある仕事がたくさんできたのだ。  続く一週間ほどは、村人の健康状態の確認や、不審な人間が村の周辺に迷いこんでいないかを調べたり、隣町との行き来ができない間の迂回ルートの確保などの作業で、村役場を手伝うことについやされた。ついでに村人に手洗いやうがいといった日々の衛生の重要さを話して、これで例年猛威をふるう流感も多少やわらぐといい、などと虫のいいことを考えもした。そうこうするうちに、迂回したルートで到着した郵便馬車からどっさり仕事の書類が届き、きっと隣町で働きづめになっているだろうクルトのことを心配しながらも、僕も仕事に忙殺されていった。  幸い、治療師の予言通り二十日で隣町の病はおさまったとの報が来て、馬車も人の行き来も再開した。だが案の定、クルトの戻りは少し先になるという知らせがふたたび届き、僕は念話ができない自分に苛立ちながら彼の帰りを待った。  そんなとき、頃合いをみすましたかのように、沖合に嵐がやってきた。  海辺の村におとずれる嵐は、被害を防ぐため村人が総出で協力する一大事業のようなものだ。僕もすでに秋に二度、春に一度経験済みだった。嵐が来ると港につないだ舟を避難させたり、家の窓に目張りをしたり、非常食や灯り、避難所の確保などで大人も子供も忙しい。僕は力仕事はできないので、おかみさんたちの間で働いていたのだが、そこへ誰かが大声をあげて飛び込んできた。 「ソル先生! アルベルト師は?」 「アルベルト? 彼は旅に出ているんじゃなかったか?」 「塔に明かりがついているんです!」村人は汗だくだった。 「だったらいいじゃないか」  僕は不思議に思い、思わず問い返した。 「何を心配している? 彼に嵐のことがわからないはずはないだろう?」  何しろあの老学者は、海や波、それに気象の研究もしているのだ。 「だからですよ」男は僕に怒鳴り返した。 「嵐の時期にあの人が岬にいると、いつも無茶苦茶するんです! ここ最近はいなかったから安心していたのに……一緒に来てください! ソル先生のいうことなら聞いてくれるかも」  なんだそれは。  僕は唖然としたが、すでにひどくなっていた雨と風の中、村人とふたりで岬へ走った。 「おお、ソール――いいところにきたなぁ」  岬の塔につくと、アルベルトはのんきな声をあげた。塔は石造りで雨風には強いが、隙間を吹き抜ける風の音が笛のように鳴ってうるさい。石の床の上でアルベルトは自分の身長ほどもある枠に布を張り付けていた。 「何をしているんです?」 「凧を作っているんだ。嵐の時期に岬にいるのは久しぶりだからな。いいデータがとれる」 「もしかしてこの雨風のなか、これを飛ばそうとでも?」 「ああ、雷雲も発生しているからちょうどいい。塔の上からできるだけ高所へ飛ばすんだ。手伝ってくれ」 「アルベルト師! 無茶はやめてくださいっ」  僕を連れに来た村人のサンダーが眉を逆立てて怒鳴った。彼はふだん、アルベルトの馬や農園の世話をしているという。 「三年前の嵐で塔から落ちそうになったのを忘れたんですか!」 「結局落ちなかったぞ」 「俺の寿命が縮まるんです! だいたいいつ帰ったんですか」 「つい数時間前だ。嵐が来そうなのでいそいで帰ってきた。あきらめかけていたデータがとれると思ってな」  アルベルトはしてやったりという風ににやりと笑い(かなりの高齢のはずなのに、こんな表情をするとほとんど壮年に見える)サンダーは対照的にがっくりと肩を落とした。僕はアルベルトに近寄って、彼が準備している凧を観察した。木組みに計器が取り付けられている。 「アルベルト、無茶はやめましょう」 「ん? ソールだって興味あるだろう?」 「村では被害を出すまいと必死なんです。何かあったらどうするんです?」 「だがソール、老い先短いのに自然の秘密を知りたいというこの老人の希望はどうする? 第一、こんな素晴らしい嵐に出会えるなど――」アルベルトの笑みが大きくなる。「残りの人生で何回あるかわかったものか」  僕はためいきをついた。なんというか……この老人は手に負えない。 「この天気で塔の上に行くなら、凧だけでなくて人間にもロープを巻かないと」 「おお、ものわかりがいいな」アルベルトはカラカラと笑った。「それなら手伝ってくれ」  嵐はそれから二日間吹き荒れた。  僕とサンダーは村に帰れずそのまま岬に足止めされていた。塔には食料も燃料も灯りもふんだんにあったが、石の床に敷いた予備の堅い寝床のおかげで僕の背中は痛んだ。二日目の夜、アルベルトは自分の寝台を僕に貸し、一晩中サンダーと怒鳴りあっていた。どうやらサンダーは単なる世話係ではなく、アルベルトが岬にいるときの助手――僕がたまに頼まれる資料の整理とは違う、主に肉体労働系の――らしい。  結果として、嵐が過ぎ去ったとき、安全を期してはりめぐらしたロープのおかげで人間は誰も塔から落ちなかったが、アルベルトの凧はロープをちぎって飛んで行った。おそらく粉々になってどこかに落ちたのだろう。  波風がおさまったからとサンダーがあたりを探しに行き、唯一無事だった計器を持って帰ってくると、アルベルトは満面の笑みを浮かべた。 「ほら、うまく行っただろう」 「例によって、間違えれば死んでますよ」サンダーはぶつぶついう。「このわがままじいさんが」 「なんだって?」小さく付け加えられた悪態をアルベルトは聞かないふりをしたらしい。 「おまけに悪い知らせがあります」 「なんだ?」 「村への道が土砂崩れで通れません」 「それで困ることでも? 食料も水もあるだろう」 「俺はいいですよ。ソル先生が帰れないじゃないですか!」 「ああ――そうか」はじめてアルベルトの顔が平静になった。 「それは良くない」 「大丈夫ですよ」僕は慌てて口をはさむ。「歩いて帰れるでしょう。近いんだし」 「いやそれが……」サンダーがいいにくそうに口ごもった。 「以前も嵐でこの岬は孤立したことがあって……土砂崩れで道がふさがれると水の流れが変わり、あふれた川も渡れなくなるんです。ひどいときは一週間くらい村と連絡がとれません。しまった――俺の落ち度です。連れてくるんじゃなかった。どうせ師は殺しても死にそうにないんだから」 「サンダー、それは聞き捨てならん。聞き捨てならんが……」アルベルトは渋面でサンダーと僕を交互にみた。 「ソールが塔にいることは村の者は知ってるな?」と、サンダーがうなずくのを確認する。 「だったらあきらめてしばらくここにいなさい。なに、あんたの仕事はたくさんある」 「はい?」  僕とサンダーは顔を見合わせた。  嵐から五日、岬と村の間を分断した水はまだ完全に引いていない。 「おお、村から誰かくるぞ」アルベルトの呑気な声がする。「あれはソールの客だな」  アルベルトは窓へ走り寄った僕に遠望鏡を渡した。 「クルト!」 「ソールの治療師か。精霊魔術師も泥まみれになるのは避けられんらしいな」  アルベルトは悠然とつぶやいている。膝の上まで汚しながら馬を引き、水を渡ったクルトが塔へ向かってくる。まだ遠いのに、僕の居場所がわかっているかのように、ちらりとこちらを見上げる。 「ソール」  呼ぶ声が聞こえた気がした。僕は塔の下まで走っていく。なかばびしょ濡れになったクルトへ飛びつくと、腕がつよく僕を抱きしめた。 「ああ……クルト。心配していたんだ」 「それはこっちのせりふだ」声は固く、みあげるとその表情は仏頂面もいいところだった。 「ソールがいなくて心臓が止まるかと思った」 「伝染病は?」 「もう大丈夫だ」クルトの表情がやわらぐ。 「ソール、帰るよ」 「せめて濡れた服を変えるくらい……」 「だめだ、すぐに帰る」  駄々っ子のように首をふるクルトの肩に腕を回したまま、ふりむくとアルベルトとサンダーがいた。アルベルトの顔にはにやにや笑いが張り付いている。 「悪かったな、若いの。ソール、落ち着いたらまた手伝いに来てくれ。今回のデータを整理して計算しなければならん」 「すみませんでした!」  サンダーが頭を下げるのを僕は制した。クルトはろくにふたりと話もせず、引いてきた馬の背に僕を乗せ、慌ただしく村へ連れ帰った。    *  というわけで、伝染病も嵐も過ぎ去った村で、僕は寝台にはりつけられている。クルトに翻弄されるまま、震え、叫び、眠って、ふと目覚めると、昇った月の光が四角く切り取られて、寝台におちていた。  敷布のうえに空を流れる雲が影となってゆらいでいる。クルトは僕を抱きしめたまま健やかな寝息を立てている。考えてみると僕らがこんなに離れていたのはひさしぶりのことだった。クルトが治療師となってこの村に来て、はじめてのことだ。  クルトを起こさないようにそっと腕をはずす。体を起こすと筋肉が悲鳴をあげてあちこち痛むけれど、気にならない。月あかりにうかぶクルトの若い美貌を僕はみつめる。いまだに信じられないと思うことがある。僕が王都を離れてまだ二年にもならないのだ。  この先僕らはどうなるのだろう? ここにどれだけ落ち着いているようにみえても、仮住まいでしかないことは僕にはわかっていた。ここで暮らすことができるのはレナード・ニールスの好意にすぎないのだ。クルトがハスケル家の嫡子であることに変わりもなく、僕の中のどこかにある〈本〉の問題も、また再燃するかもしれない。  指先が僕の顎をかすった。 「起きてた?」とクルトがささやく。 「月が出てる」と僕はいう。 「まぶしいか?」 「いや。雲も出ている」  こたえる合間にも薄い雲が月の上を横切って、部屋の光は薄くなった。ここでは月は、王都よりもはるかに明るく感じられる。地上の光が少ないせいだ。揺れ動く雲でその光はさっと薄くなり、またすきまから現われる。この光は昼間とはちがう色であたりを照らす。 「安心して」と、突然クルトがいう。 「なに」  僕はどきりとする。自分の内心を見透かされたのかと思う。いや、ふつうならクルトは他人の内心など容易に見透かせる。彼は魔術師なのだ。それもとても強力な。 「ソールがどこにいてもみつけるから、安心して」  クルトはそういって僕の肩に腕を回す。 「冷えるよ」  毛布の中に引き戻され、背後から抱きしめられ、首のうしろに口づけが落とされる。僕は眼をとじ、流れる雲の影を締め出す。この先になにがあっても、またお互いを見つけ出せればいいと思う。最初に彼と会った時のような、最悪の出会いでもいい。ゆらゆらと月が空の遠くで漂っている。

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