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【番外編】冬の花(2)

 アルベルトの版元は迷路のような路地の奥にあった。見た目は小汚く、内部も乱雑に書物が積み上げてある小さな書店だ。王都のカリーの店の整然とした様子とは比べるまでもない。クルトがざっとみたところ、扱っているのは古本が七割で分野もばらばらだった。大陸の言葉で書かれた書物も多いようだ。  ソールが声をかけると勘定台にいた男はぶっきらぼうにうなずき、後ろの扉に向かって叫んだ。 「サージュ!」  返事はなかった。だが勘定台の男は気にした様子もなく、そのまま自分の仕事を続けている。しばらくその場で待つが、誰も現れない。ソールが居心地悪そうに体をゆらし、クルトは思わず口をひらきかけた。  そのとき「ああ?」と奥から声が聞こえた。 「――の使いだ」  勘定台の男は早口で何かいったが、クルトには前半が聞き取れなかった。大陸の言葉のような気がした。扉がぎいっときしみながら開き、人影があらわれる。かがむようにして戸口をくぐり、バンっと扉を背後に叩きつけた。 「ふざけんな」  長身の男だ。レナードよりも背が高い。それほど年をとっているわけでもないのに、恐ろしくしわがれた声だった。ソールをじろりと眺め、吐き捨てるようにいった。 「アルベルトのくそ野郎、自分で来いといったのに使いを寄こすなんて舐めてやがる」  クルトは反射的に前に出ようとしたが、ソールはクルトの腕に手をかけて制した。仕方なく後ろに下がるが、激しい口調と裏腹に男からは感情の放射がまったく感じられないし、魔力もほとんど伝わってこない。魔術師だな、とクルトは思った。それもかなり強い力、または技術を持っているはずだ。クルトと同様に、外部に放射される魔力を制御できるのであれば。 「アルベルト師から話は聞いていますよ」  ソールが静かにいった。 「必要なことは僕が伺います。ここで解ることなら説明しますし、アルベルトに伝える必要があることはすべて伝えます」 「はあ? あんたに何がわかるというんだ。第一、ややっこしすぎて紙にでも書かないと伝えられるもんじゃ――」 「校正刷りを見せてください」  ソールはきっぱりといった。クルトがみても有無をいわさぬ迫力があった。男は一瞬毒気を抜かれたような表情をし、ついでふりむいて校正刷りの大きな束をもちあげる。 「こっちへ入れ。そこじゃ見せられん」  勘定台の男がはた目にもはっきりわかる大きさのため息をつくと、どっこらしょ、とつぶやきながら束になった書物を奥へずらし、通路を作った。ソールが内側へ入り、クルトがついていこうとすると、すっと腕を伸ばして止めた。 「ひとりだけだ」  クルトは眉をあげたが、ソールはふりむいて「大丈夫だから」という。 「――ああ?」  奥の男は今度はじろりとクルトを見下ろした。髪は短く、吊り目がどことなく危険な印象をあたえる。そぎ落とされたような鋭い顔立ちで、レナードのような黒髪に浅黒い肌色だった。ソールやレナードと同年代だろうか。 「なんだ、魔術師じゃないか。あんたいい年してお守りつきか」  なんだこいつ。  クルトはカチンときたが、相手の心を覗きたい衝動を必死で抑えた。理由もなく他人の精神に干渉するのは精霊魔術師には絶対の禁忌だ。なのにソールが関わるとクルトの自制はいつも怪しくなる。  しかし当のソールは静かに相手を見返して、ついでクルトの方をふりむく。 「やはり時間がかかりそうだ。先にきみの用事を済ませてくれないか。またこの店で落ちあおう」 「わかった」  ソールにいわれれば仕方ない。クルトは心を落ちつけると大人しく店を出た。ソールは守護の足環をつけているから、何かあればすぐにクルトは駈けつけられる。  店から路地を抜け、広い通りに出ると、途端に呼び売りの声がやかましかった。ともあれ、今のうちにソールへの贈り物を探さなければならない。クルトは足早に街路を歩き回ったが、これはと思う品物はなかなかみつからなかった。  クルトの心の中にあるのはソールのイメージにぴったりした特別な何かだが、漠然としすぎて店に並ぶ品物と合致しないのだ。それでも祭りを前に特別にしつらえられた店のウインドウや屋台を覗いていく。身につけるものといえば、指輪や腕輪、ネックレス……どれもぴんとこなかった。  もっともさがし歩いているうちに余計なものならみつけてしまう。  たとえばこれだ。 「何を探しているんだい? 贈り物かい?」  歩きながら居並ぶ屋台を冷やかすクルトに太った女が声をかけてくる。その店も他と同様小さな出店で、仕切りには色とりどりのリボンやスカーフがかけられ、風にゆらゆらと動いている。深い青色をしたリボンがクルトの目に止まる。リボン――ソールは女性ではないからリボンなどいらないというだろう。しかしこのリボンは…… 「それをみせてくれ」  あまり上質なものではなかった。迷うクルトの顔をみて「いいものがみつからないって顔だね」といいながら店主の女はにやりと笑った。 「でもあんたみたいな若い男が最後に恋人を満足させるならこれだよ」と、小さなガラス瓶を取り出す。  クルトは一瞬迷ったが、小さな出店をじろじろと眺めた。けばけばしい見かけに反して意外に商品は清潔だった。女は似たようなガラス瓶をいくつか並べる。 「いつもと違う夜にしたいならおすすめだね。なにしろ祭りだ。好きな香りを選ぶといい」 「おかしなものは入ってないよな?」 「おや、心配かい? 媚薬じゃないから大丈夫だよ」  クルトはしばし迷ったが、結局そこからひとつを選び、リボンと合わせて買った。  ようやくみつけた「ぴったりの贈り物」は小さな宝石商のウインドウにあった。幅広に編んだ白金の鎖の先にカットした石が下がるペンダントだ。  ひと目みただけでこれだとクルトにはわかった。宝石は一見したところ青にみえたが、よくよく眺めると表面は緑色で、中心は深い青、さらに底に尖った星が沈んでいる。 「明かりに透かしてみて。ほら、まるで海底のようじゃありません? 謎めいていて、隠されていて、美しいですよね?」  この店主は若い女性だった。 「贈られる方も、贈る方も、この石に出会えて幸運ですよ」 「いくらだ?」  法外な、とはいわないがけっこうな値段だった。とはいえ祭りの記念だし、価格交渉はほどほどにして、クルトはついにソールへの贈り物を手に入れた。  版元の書店へ戻ると、ソールはまだ例の男と校正刷りの確認を続けている。 「この指摘はわかるが、内容が間違ってる。ここの注釈は――」ソールは例によってアルベルトの著書からすらすらと暗誦した。「指摘されていることはわかる。アルベルトに伝えるよ」 「おい」  ソールの前に座る男は完全に呆れた顔をしていた。 「あんたなんで、そんなの覚えてるんだ。熱狂的なファンか? マニアか? 元弟子の俺だってあのじいさんの書いたもの、丸暗記なんかしてないぜ」 「元弟子?」  クルトは思わず声をあげ、ソールとかぶったのにはっとする。 「そう。元弟子」  男はクルトの方をみてニヤリと笑った。笑っても感じがよくなるどころか、不敵で用心ならない印象がますます強まる。長身をかがめ、校正刷りを几帳面にそろえているソールに乗り出すようにして、ぐいっと顔を近づけた。即座にクルトの足が一歩前に出る。 「十年以上昔の話だけどな。あんたが現在の弟子か? それとも助手?」 「僕はただの雇われだ。近くに住んでいてね」  ソールはなめらかな動作で体をすっとうしろに引き、立ち上がった。 「確認はこれでいいだろう。聞いたことはみなアルベルト師に伝えよう」 「たしかか?」男は座ったままソールを見上げる。「書きとめてもいないのに?」  ソールはじっと男の眸をみつめた。特に何の感情もみえないが、クルトが嫉妬しそうになるくらい長い凝視だった。 「僕は忘れない」とおだやかにいう。 「あなたのことは知らないが、サージュ・ロウという名前なら、王都の審判の塔の書庫で記録を読んだ。二十二年前、ある貴族の誘拐事件の証言をした少年の名前だ。僕は記憶力がいいんだ。安心してくれ」 「あんた――名前は?」 「ソル」  ソールがこの地方の発音で名乗ったのをクルトは聞き逃さなかった。  男はニヤリと笑った。猛禽を思わせる笑顔だ。 「ソル、ね。また会ったらよろしくな」  ソールは目礼してきびすをかえした。校正刷りの大きな包みをかかえ、クルトを眼でうながして店の外に出る。扉を閉めるなり「おかしなやつだ」とクルトはつぶやいた。 「そうだな」とソールも同意する。 「きみの用事は終わったのか?」 「ああ」 「それなら食事にしよう」

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