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第2話

人のまばらな電車を一駅で降り、徒歩10分程で古くも新しくもないアパートに辿り着く。 道すがら、ぽつぽつと互いの近況を話しながら、恐らく二人とも頭では全く別のことを考えていただろう。 「……お、お邪魔します」 「どうぞ。ちょっと散らかってるけど、すぐ片付けるから、適当に座ってて」 夕方、出てくる前に取り込んだ洗濯物が出しっぱなしだったはずだ。おっかなびっくりといった様子でまごまごしながら靴を脱ぐ香介(こうすけ)を横目に通り過ぎ、先にリビングへ入る。ソファの上に出ていた服と、洗濯物から仕分けた服をまとめて自室へと運ぶ。 廊下ですれ違った香介が、目を合わせる直前でふいっと横を向いた。耳の縁が真っ赤だった。 適当にクローゼットへ衣類をしまい込み、ついでにベッドの下をチェックする。必要な物が揃っていることをしっかり確認してから、浮き足立つのを抑えてリビングに戻った。 居心地悪そうにソファの端に腰掛けている彼の姿は、まるで借りてきた猫のようで少し面白かった。 「ごめん、お待たせ」 「っ……おう」 明らかに挙動不審な香介に、思わず苦笑する。先程とは真逆だ。(はる)は文字通り自分のホームにいることもあって、先程よりは随分と落ち着いていられた。 「そんなに緊張しなくても」 「分か、ってる。分かってんだけど」 プレイルームと他人の家とでは、勝手が違うのだろう。やることは変わらないと頭では分かっていても、感情を上手く整理できないらしく、落ち着きなさそうに視線をさまよわせている。 「……ちょっと休憩しようか。お茶淹れるね」 「悪い……」 今日だけで何回、香介から謝られただろう。高校の時と比べて丸くなったと取るべきか、弱くなったと取るべきか。 「いいよ」と軽く返してキッチンへ向かい、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出す。 そろそろ、謝罪よりも前向きな言葉が聞きたくなってきた。俯いている彼に麦茶のグラスを手渡す。 「はい」 「……さんきゅ」 ああこの感じ、懐かしいな。 そんなことで春が密かに笑っていることにも、まるで気づかないくらい香介は動揺していた。 何か雑談でもして気を紛らわせるべきなのだろうが、気の利いた話題がサラッと出るほど春の側に余裕がある訳でもない。会話の糸口を探して、テーブルの上に散乱したゴミが目に入る。朝方、家を出る直前に苛立ちながら飲み下した錠剤のシートだ。 「香介、あのバーにいたってことは、そろそろ危なかった?」 ダイナミクスバーに来る客は、大体が出会いを求めている。誰かはパートナーを、誰かは恋人を、誰かは友人を。そして、春や香介のように一晩だけの割り切った関係を求めている者もいた。その目的の客が大半だと言い換えても差し支えない。 「……ん、ああ。お前もそうだろ?……そこに薬があるのが何よりの証拠だしな」 「そうだな。薬に頼るのも限度があるし」 DomやSub、Switchといったダイナミクス性を持つ人々は、その本能から来る欲求を定期的に発散しなければ、日常生活に著しい支障をきたす。 抑制剤と呼ばれる薬である程度コントロールすることは可能だが、サプリメントだけで食欲を満たすことが出来ないように、薬だけで一生やり過ごすことは絶対に不可能だ。 長期間欲求不満の状態が続くと、頭痛や目眩、発熱、吐き気といった自覚症状が現れ始め、最悪道端で倒れて病院送りに、というケースもある。だからこそ、パートナーという存在が重要性を増しているのだ。 「……俺さ、付き合った人から毎回『重い』って言われて振られてたんだ」 「相性が悪かったんだろ。お互いのニーズが一致してないとか」 「うん……だから、最近はなるべくいい距離感を保って、薬でどうにか抑えるようにしてたんだけど……」 「……上手くいかなかった、と」 頷く。適切な距離を保とうと我慢していたら、今度は『寂しい』と言われた。寂しいのはこちらも同じだったのに、言ってくれればもっと構いに行ったのに。 コミュニケーションを怠っているつもりはないのに、お互いの欲求がなかなか噛み合わないのだ。ここ数回は同じ調子で、心地よい距離感を測りかねて別れを切り出されている。 ただでさえ欲求を抑えているのに、それでも満たされることはない。 「もうダメなのかな、って思ってたら、まさか香介と会うなんて……なんか、運命感じたっていうか」 「…………お前、そういう所が重いって言われんじゃねえの」 自覚している分、ストレートな物言いが余計に胸に刺さる。あからさまに傷ついた目をすると、香介が気まずそうに目を逸らした。 「だって、高校の時からずっと好きで……結局言えないまま音信不通になっちゃったから。あんな所で会うなんて、凄い確率だと思わないか?」 「関係ないだろ。ただの偶然」 「……でも、相性は良かっただろ」 「………………まだ分かんねえだろ」 この期に及んでまだそんなことを言うのか。春の手でSub spaceに入っておいてよく言うものだ。相性が悪いのなら、Sub spaceまで行けるはずがないのに。 しかし、これで退路は塞がれた。 「……それを、今から確かめるんだよな?」 そのつもりで着いて来たんだろう。ソファの上に投げ出された右手をそっと絡め取る。ようやく腹を決めたのか、香介は目を逸らしたまま頷いた。繋いだ手に緩く、だが確かに力が込められる。 鼓動がどんどん速くなる。ついに始まってしまう。 「先にセーフワード決めないと」 「もう決めた。……『離せ』」 「……本当にそれでいいのか?」 セーフワードはSubがプレイ中に身の危機を感じた時に使う言葉だ。切羽詰まった時でも咄嗟に出やすいように短い単語を、なおかつ記憶に残りやすいように、あるいはコマンドとの統一感を出すために、英語を使う場合が多い。 『離せ』なら短くて言いやすいだろうが、プレイの最中にセーフワードとしてではなく普通に言ってしまう場面が出てくるのではないか。そんな春の懸念を、香介はいとも簡単に一蹴した。 「今は、離して欲しくないから、いい。これで」 「…………分かった」 思わず握る手に力が入った。急に素直になられると、こちらの方が先に参ってしまいそうだ。 「………………いい?」 左手は繋いだまま、右手を香介の顎に添えて親指で唇をなぞると、柔らかい感触が指先に伝わる。それだけで動悸がますます激しくなった。 はく、と何かを言いかけた口は空気を吐き出しただけで再び閉ざされ、無言のまま瞼が下りる。 触れ合わせた唇は、想像していたより柔らかくて少しかさついていた。ああ、ようやく叶ったのか。身に余る程の実感に感極まって唇が戦慄く。 香介が薄目を開けて、春の様子に気がつくとゆっくりと唇を離した。 「……何、泣いてんだよ」 「ごめん……嬉しくて……」 泣き笑いながら、次々と溢れてくる滴を指で拭う。彼は呆れたような笑顔を浮かべると、涙で濡れたままの左手を取って繋ぎ直した。 「ばか、キスぐらいで泣いてんじゃねえよ。何回でもすればいいだろ」 「うん……」 あやすように香介の方から優しく唇を重ねて、時折ちゅっ、と可愛らしい音を立てて離される。 堪らず顔を離して目を開くと、彼は悪戯っぽい表情で笑っていた。 泣いたままやられっぱなしは性に合わない。負けじと下唇に吸いつくと、香介も歯を立てて応戦してくる。甘えるように噛みつかれて、堪らず舌を割り入れた。後頭部を押さえて、熱い口内に入り込む。自分ががっついているのは分かっていたが、もう止まれなかった。 「っ、はぁ、ん……ン」 息継ぎの音と水音に紛れて、堪えきれなかったような悩ましい声が微かに耳に届く。度々、縋り付くように左手を握り締められた。辛抱堪らなくなって口付けたまま押し倒そうとすると、確かな力で肩を押し返されたので渋々身体を離す。 香介は濡れた口許を拭うと、薄く涙の溜まった瞳で春に請う。 「身体痛くなるから、ベッドがいい」 「っ、うん」 足が縺れそうになりながら、彼の手を引いて寝室へ連れ出す。 電灯のスイッチを入れると、香介がその場で立ち止まって春に抗議の視線を向けた。 「……電気点けんの?」 「香介の顔見たいから。ダメか?」 ムード重視なら消灯するが、今回は相性を確かめるという名目である以上、視界は良いに越したことはない。という建前よりも先に本音が口から飛び出た。言葉を選べなくなっている辺り、相当余裕が無い。 香介は返事を聞くと眉根を下げて「……分かった」と小さく頷いただけだった。 腕を引いてベッドに乗り上げた所で、はたと気づいて動きを止める。 そう、今日は相性を確かめる必要があるのだ。ただ普通の恋人同士のように、何も考えずにセックスしたいのは山々だが、それでは意味が無い。春のDomとしての欲求と、香介のSubとしての欲求が噛み合うかどうか。それを見極めなければならない。 「……香介、ちょっとそこに立って」 「……ん」 自分はベッドの縁に腰掛けたままで、彼に自分の目の前に立つよう促す。床の掃除は幸い今朝したばかりだ。 爪先から頭の天辺までざっと眺め、彼の希望を思い出しながら慎重に『命令』する。 「……服、下着以外全部、脱いで」 コマンドを使えるなら『Strip』の一言で通じる命令だ。支配感は薄れるが、屈辱感はもしかするとこの言い方の方が上かもしれない。 じわ、と春の熱が上がるのに呼応するように、香介の瞳がとろりと蕩ける。命令されること自体が嫌いな訳ではないと言っていたが、本当にそうだったのか。これでようやく、彼のSubとしての顔を見ることができる。 命令を受けた香介は、そろりとシャツのボタンに手を掛けた。上から一つずつ、ゆっくりと時間をかけて外していく。一番下まで外すと、焦らすように片方ずつ肩を抜いて袖を落とす。パサ、と乾いた音を立ててシャツが床に落ちた。 続いて黒いインナーの裾に手を掛け、見せつけるように少しずつずり上げていく。括れた細い腰が、形の良い臍が、浮き出た肋骨が次々と顕になる。煽られるのと同時に、見るからに痩せ細った身体が少し心配になった。 「香介、ちゃんとご飯食べてるのか?」 「ん……何、急に。食べてる」 「あんまり細いから、ちょっと心配で」 「……今する話じゃないだろ、そんなこと」 香介は興が削がれた、と言わんばかりに脱ぐ手を早め、インナーを首から抜いて床に捨てる。さっきまでノリノリで焦らしていたのは何だったのか、と言いたくなる程あっさりと脱いだ。 その後も乱雑にベルトの留め具を外し、ジーンズから両足を抜いて、あっという間に下着と靴下のみの姿になる。やっぱり細い。 「……靴下は?」 「……んー、いいや。そのままで」 変態、とすぐさま毒づく彼に妙な安心感を覚えた。従順なのも悪くないが、少し反抗的なくらいが彼らしくて良い。 「よく出来ました。こっち来て、座って」 「ん」 褒められて満足気な表情を浮かべながら、春の足元にぺたんと腰を下ろす。Subの基本姿勢とも言われる『Kneel』の状態、所謂女の子座りだ。香介は学生時代から身体が柔らかかったから、この姿勢も特に難なく出来ているようだ。 春の開いた両足の間に入り込み、じっと見上げて次の言葉を待っている。次にすべきは命令か、それとも褒美か。 少し迷って、彼の方に手を伸ばす。 「……偉い、ちゃんと出来たな」 褒めたい、可愛がりたい。自分の欲求を優先して、髪の毛を梳くように優しく頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細めた。香介も、褒められて喜んでいる。互いの欲求はしっかり一致していた。 「香介は、褒められる方が好き?」 「……べつに……」 素直じゃない所も可愛い。が、そこで濁すのは、今は駄目だろう。 髪に触れていた手を下ろして顎を持ち上げ、軽く上を向かせる。視線がゆらゆらと揺れて、不安げな双眸がこちらを見た。乾いた唇を無意識に舐める。 「……正直に、言って」 香介の喉がごくりと上下したのが分かった。返事を急かすように喉元を撫でる。は、と吐息が震えているのが指を通して伝わる。 「おれ……は、褒められる方が……好き」 「そっか。俺も褒める方が好きだな。じゃあ叱られるのは、あんまり好きじゃない?」 「ん。怖い、から、怒鳴られんのは……やだ」 「うん、分かった。教えてくれてありがとう」 いい子、と微笑んで頭をボンポンと撫でる。Domに自分の意見を伝えるのは、Subにとっては少し勇気のいる行動だ。ネガティブな内容であればますます気が引けるだろう。安心したように表情を綻ばせた彼に、春の心も満たされていく。 「春……」 「うん、なに?」 太股に頬を擦り寄せて、うっとりとした顔のまま香介が呟く。 「春は、ちゃんと俺のペースも考えてくれるし、無理矢理怖いことしたりしないし、いっぱい褒めてくれるから……すげー、落ち着く」 気持ちいい。少し頼りない呂律で並べられた言葉に、熱いものが込み上げる。Domとしてはこれ以上無いくらい、最上級の褒め言葉だった。 Sub spaceにこそ入っていないが、春のことを信じきって身を委ねている彼の姿を見ているだけで、満たされなかった渇きが癒えていくのを感じた。 「……良かった。俺も、香介が気持ち良くなってくれて嬉しいよ」 「……でも、俺は、春に何も出来てないだろ」 「そんなこと……」 ないよ、と言おうとしてふと思い至る。少し前にも、似たようなやり取りをしなかったか。 香介の目はじっとりと熱を孕んで濡れている。春の言葉を、次の命令を、待ち望んでいる。チリチリと腰の辺りが灼けるような、軽い痺れに襲われた。 「じゃあ、俺も気持ち良くなってもいい?」 「ん。俺、頑張るから」 そんな健気な台詞を言われたら、気遣う余裕が吹き飛んでしまいそうだ。 「俺の、口でしてくれる?」 疑問形だが、お願いではなく実質命令だ。彼に拒否権は無い。全て、春に委ねてくれたのだから。 香介はこくり、と頷いて春のベルトに手を掛ける。金具を外すのに苦戦する彼を、落ち着かせるように頭を撫でる。 悪戦苦闘してようやくジーンズの前を寛げると、香介が春の股間を凝視して絶句した。 「でっ…………」 「……香介?」 完全に手を止めた彼に、逸る気持ちを抑えながら声をかける。情けない話だが、興奮し過ぎて触れられた訳でもない前が張り詰めて、既に痛みすら覚えているのだ。 とりあえず下着だけでも先に脱がせてほしい。と内心で思っていると、怖々と香介が春の下着に手を掛けた。勢いよく飛び出た屹立に、香介がたじろぐ。 「……な、なぁ」 「ん?」 「これ……全部入んなくても、怒んない?」 すり、と頬擦りしながら上目遣いでこちらを見る彼に、一瞬意識が遠のいたような気がした。視覚の暴力だった。血が巡りすぎて頭がクラクラする。こんな所で暴発したら、格好悪い上に勿体ない。気合いで堪えた。 「……うん、大丈夫。無理しなくていいから」 「ん」 やっとの思いで搾り出した返答に頷いて、何の躊躇も無く先端に口付ける。ちゅ、と挨拶代わりにキスを落として、そのまま上から頭を落としてゆっくりと呑み込んでいく。 (う、わ……何だこれ、ヤバい) 上顎の裏に亀頭を擦りつけるように、頭を小刻みに上下に動かしながら、徐々に春の陰茎を口の中に収めていく。顎の裏と頬と舌、全てを器用に使って、完全に密着させて扱く。 3分の2程まで来た辺りで、香介が苦しそうに呻いて動きを止めた。先端が喉の奥の方に当たった気配がする。口いっぱいに頬張ったまま、涙目の香介が見上げてくる。 「んんぅ」 「っ、うん……いいよ、全部入らなくても。はー……充分、気持ちいいよ」 上手、いい子。頭を撫でながら褒めると、苦しそうにしながらも目元が和らいだのが分かった。再開された奉仕の快感に、短く息を吐いて耐える。 腰が勝手に震えて、頭を押さえつけて自分勝手に動き出したくなる衝動を必死に堪えた。じゅうっと音を立てて強く吸われるたびに、下肢がビクビクと跳ねる。限界はすぐに訪れた。 「はっ……ごめん、もう出そう……」 「ん、んぅ、ん……っ」 「あ、は……っ香介、中に、出していい?出すよ……っ」 「ん、ん゛ー……っ」 早く出せ、と言わんばかりの強い吸い上げに急き立てられる。思わず頭を押さえつけながら、苦しそうに締まった喉の奥に射精した。頭の中が真っ白になって、無意識に腰をゆるゆると打ちつけて精液を香介の中に吐き出す。香介は嫌がる素振り一つ見せず、喉仏を大きく上下させて春の出した精液を飲み下した。 ずるりと性器を引き抜くと、口を開けて全部飲み込んだことを誇らしそうに証明する。射精の余韻で上手く働かない頭を叱咤して、脱力した手で彼の頭を撫でた。 「はぁ……すっごく気持ちよかった。俺が出したのも全部ちゃんと飲めたな。偉いな香介、よく出来たな」 「っ……」 香介は感極まったように言葉を詰まらせて、春の膝に頭を擦り寄せて俯いた。泣いているのかと思いきや、ガクガクと身体が震えているのが分かる。顎に指を掛けて上を向かせると、真っ赤になった頬と焦点の合わない潤んだ瞳が露わになる。 「んぁ、ぅ」 「香介……ここ、おいで」 腕を引いて彼の身体をベッドへ上げる。力の入らない身体を押し倒してシーツに縫いとめ、腕をついて上に覆い被さった。 真上から見下ろす春の顔を、香介が不思議そうにぼんやりと見つめ返す。 「はる……?」 「うん。ちゃんといるよ」 耳元に顔を埋めて囁くと、香介は鼻に掛かったような甘ったるい声で鳴いた。耳が弱いのかもしれない。 赤くなった耳の縁を、べろりと舐め上げる。香介が快感から逃げるように背中を丸めて横を向こうとするのを、脚の間に身体を割り入れて阻止する。ついでに膝で股の中心をぐりぐりと刺激してやると、腰が跳ねて足の指がシーツを引っ掻いた。 「んあっ、やあぁ」 「どこ行くの。こんなに気持ちよさそうなのに、やめちゃうの?」 「ぅ、ちが……くて」 「ん?」 言葉の続きを促すと、香介が消え入りそうな声で呟く。 「…………後ろが、いい」 「…………うん、分かった」 どうして彼は、こうも煽るのが上手いのだろうか。あまりに興奮し過ぎて、血管が何本か切れたのではないかと錯覚するほどだった。 「体勢変えた方がいいよな。後ろ向けるか?」 「あ……」 基本的に男同士の行為は身体の構造上、後ろからの方が何かとやりやすい。 春が身体を起こして香介の上から退くと、香介は戸惑ったように春の腕を掴んだ。春が動きを止めて香介を見下ろすと、ハッとして腕から手を離す。 「どうしたの?」 「い、や……えっと……」 「……いいよ、ちゃんと聞かせて」 嫌がることはしたくないし、して欲しいことは何でもしてやりたい。 香介は言いにくそうに口を閉ざしていたが、根気強く待っていると意を決したように口を開いた。 「……後ろからだと怖いから、前からがいい」 「怖い?」 「何、されるか見えないし、分かんねえから……春は別に、大丈夫だって、頭では分かってんだけど」 微かに震える声に、過去の傷痕が見え隠れしている。興奮が一瞬にして冷めた。 彼は今まで、どれだけ傷ついて、傷つけられてきたのだろう。誰にも安心して身体を預けられなくなるような、非道な仕打ちをどれだけ受けてきたのだろう。セーフワードも決めていなかったのならSub dropするまで、もしかするとdropしてもやめて貰えなかったかもしれない、なんてこと、想像さえしたくない。自分の無力さが憎い。 (……俺があの時、無理矢理にでも探し出して捕まえておけば……) 彼がここまで傷を負うことにはならなかったかもしれない。後悔しても遅かった。 黙り込んだ春に、香介が僅かに怯えた表情になる。舌打ちしそうになるのを堪えて、目の前の小さな身体をそっと抱き締めた。耳元で息を呑む音がする。 「ごめん、また怖い顔してたな。分かった、そういうことなら今日は前からしよう。俺は、香介が望むことしかしないよ」 何度でも、彼が信じられるまで繰り返し言い続けよう。今度はもう、後悔したくなかった。 腕の中の体が小さく震えて、春のシャツの背中を両手でくしゃりと握り締める。 「……っ、春」 「ん?」 香介は目元を春の肩に埋めて、ただ名前を呼んだ。か細い涙声で、何度も、悲痛な叫びを上げるように春の名前を口にする。 「春、春っ……はる、ぅ」 「……うん」 彼の声は助けを求めているようにも、春を非難しているようにも聞こえた。壊れた玩具のように春のことを呼び続ける彼を、何も言わずに抱き締める。柔らかい黒髪を梳くように撫でると、その感触を呼び水にふと懐かしい記憶が蘇った。 まだ彼のことをSubだと認識さえしていなかった中学生の頃。 あの頃の香介はまだ気性が荒くて不器用で、他人から何か言われる度に一々反応しては神経をすり減らしていた。そうして摩耗した精神が限界になった時、今と同じように春に縋りついて泣いていた。 『……おれは悪くない』 『うん』 『あいつらがガキなだけだ。おれは絶対に間違ってない』 『うん。大丈夫だよ』 ぐすん、と鼻を啜る音が聞こえてそっと背中を擦る。今のは一体どちらの彼だろうか。過去と現在の情景が重なる。 「……大丈夫だよ」 高校に上がる頃には滅多に涙を見せなくなっていた。強くなったと思っていた彼の本質は、その実何も変わってなどいなかったかもしれない。強い振り、気にしない振りが上手くなっただけで、ずっと心無い言葉に傷つき続けてきたのかもしれない。 「……ん、もう大丈夫」 下から肩を押されて身体を起こし、シーツの上に向き合って座る。泣き腫らした目は赤くなっていたが、どこか吹っ切れたような穏やかさが漂っていた。 緩く弧を描いた唇に、誘われるようにして口づける。触れるなりかぱ、と口を開けた彼に甘えて、すぐに舌を差し入れてゆっくりと絡め合う。 「ん……んふ、うぁ、んんぅ」 「……はぁ、っ、ん……」 互いに熱を高め合って、そろそろキスだけじゃなく身体に触れたい。 一度顔を離そうとするが、足りないと言わんばかりにぐっと頭を引き寄せられた。思わぬ行動に動揺するが、香介は気づかないまま舌を出して続きを強請った。 「んぇ……?」 可愛い。無防備に舌を突き出して、さもそれが当たり前であるかのようにキスを強請っている。くすりと零れた笑みをそのままに、物欲しげに揺れる瞳を見つめる。 腕を動かして、差し出された舌に自分の指を乗せて、一言。 「舐めて」 彼の反応は早かった。溶け出すのではないかと思うほど目を蕩けさせて、香介が一生懸命春の指をしゃぶる。 三本の指を爪の先から指の股まで、性感を煽るように挑発的で、それでいて主に奉仕する従者のように恭しく丁寧に、舌を這わせる。ついさっきの口淫ともまた違う、ゆったりとした動き方だ。 「ん、いいよ……ありがとう」 充分に濡れた指を口内から引き抜いて、腫れぼったくなった赤い唇に軽く口付ける。小さく喉の奥で喘いだ彼の肩を押して、再びシーツの上に倒した。濡れていない方の手で下着のゴム部分に手を掛ける。 「脱がせていい?」 返事は無かったが、腰を浮かせたのが何よりも明確な答えだった。するりと手早く足から引き抜いて、ベッドの下に落とす。その手で枕を掴むと彼の腰の下に挟み込んだ。これで色々とやりやすくなる。 「っ……」 「こーら、ダメ。ちゃんと見せて」 膝を閉じて前を隠そうとする彼の間に、身体を割り込ませて強制的に脚を開かせる。 緩く勃ち上がった陰茎の先から、トロトロと透明の粘液が溢れ出していた。目を引くそこを一旦スルーして、その下にある孔の縁に、濡れた中指の腹を宛てがう。反射的にキュッと締まったそこを、唾液の粘性を借りて滑らせるように縁をなぞると、強請るように吸い付いてくるのが堪らない。 「んあ、あ、ぁ」 「まずは一本からな。入れるよ」 こくん、と頷いたのを見て、ゆっくり、内側を傷つけないように中指を埋めていく。バスルームである程度解してあったのか、難なく付け根まで飲み込んだ。 「ん、は、あー……」 「痛くないか?」 「ん……だいじょぶ」 だが引っかかりこそしないものの、やはり唾液だけでは滑りにくいのか、中で動かすには少し窮屈そうだ。 「ローション足すから、一旦抜くぞ」 「うぁあ、っ……」 返事を聞く前に胎内から指を抜くと、不意を突かれた香介の口から高い声が飛び出た。しまった、と言うように口元を押さえて、不本意そうに頬を赤らめる。いじらし過ぎる様子に何か言ってやるべきかとも思ったが、興奮が一周回って結局無言になった。 ベッドの下からボトルを取り出して、掌にローションを出す。液体を体温で温めているうちに、一つ思いついたことがあった。 「指入れるから……脚、自分で持ってくれるか?」 「っ、ん……」 春の言葉に恥ずかしそうに一瞬息を詰まらせてから、恐る恐る口に当てていた手を下ろす。命令できて、かつ自分も視覚的な興奮を得られる一挙両得な案だ。両膝の裏に腕を回して脚を広げる、つまりM字開脚の体勢になる。 抱えられた膝頭に口付けを落として、2本に増やした指をそっと宛てがう。 「ん、いい子。入れるよ」 ずるりと押し込むと、背中が大きくしなって震えた。溶けるように熱い内壁が、柔らかく春の指を包み込む。質量は増えたが、ローションの滑りでやはり難なく2本指を咥え込んだ。 「はぁん、っあ、あー……」 「2本、キツくないか?痛くない?」 「ぃ、たくな、きもち、気持ちいいから……」 まだ動かしてもいないのに、余裕無さげに腰をくねらせて快感に悶えている。ちゃんと春の言いつけを守って脚は抱えたままだ。 「入れただけなのに、もうイきそう?」 春が意地悪く問うと、短く息を吐きながら必死に頷く。許しを請うような視線を向けられて、更なる嗜虐心が首を擡げた。ぐにぐにと内壁を触って、彼の反応を見る。 「あ、ん〜……っ、ふう、ぅ」 指を動かすたびに甘い鳴き声を上げているが、イけそうでイけない、物足りないという顔で自ら腰を揺らしていた。それもそのはず、わざといい所を外して焦らしているのだから当たり前だ。 「自分で脚広げて腰振って、やらしいな」 「んんぅ、うぅ……っ」 懸命に首を振って否定するが、まるで説得力がない。しかし、どろどろに溶けかけた瞳の奥には未だ辛うじて理性が宿っていた。支配されてもなお、完全には堕ち切れない気高さにぞくぞくと背筋が震える。 「……イきたい?」 「……ん。イき、たい」 だからこそ、屈服させたくなる。身も蓋もなく喘いで、快楽の奴隷に成り下がった姿を見たくなる。 「いいよ、いっぱい気持ちよくなって」 「ん……」 中に入れた指をしこりに軽く触れさせると、それだけで内壁がきゅうっと締め付けてくる。期待に揺れる眼差しを慈愛に満ちた目で見つめ返すと、その無防備な喉元にナイフを突きつけるように囁く。 「ただし、俺の許可無く勝手にイくのは許さないから」 頑張ってね。何か言いかけた彼の言葉を遮るように、指の腹を上に向かって押し上げた。 「ッア、うぇ?」 待ち望んだ快楽とは相反する命令に頭が追いつかないのか、きょとんとした表情のまま身体を跳ねさせる。 構わずに指を動かすと、ようやく言葉の意味を理解したのか、驚愕に瞳を見開いて春を見つめてくる。 「やぁ、あ、っうぅ、なんで、ッう」 困惑する香介を余所に、遠慮なく内側を責め立てる。しこりを押し潰すように捏ねると背中を反らせて感じ入ったが、前に受けた“命令”を忠実に守って脚を崩さない所が途方もなく愛おしい。そのせいで快感を逃す術が分からず、縋るようにこちらを見上げてくる。 「いい子だね。脚、そのままだよ」 「ッんん、ふうぅー……ッ!」 褒める言葉すら今の彼には責め苦にしかならない。中の締めつけが段々と強く断続的になって、陰茎の先から溢れ出した先走りが腹の上に水溜まりを作った。 嬌声が跳ねるような甘い声から、余裕のないすすり泣きに変わる。 「ッ、はぁ、んぅ、はる、はーっ、も、むり」 「無理?本当に?」 「むり、ハ、ん、むりぃ」 「……じゃああと10数えるまで我慢できたら、イってもいいよ。我慢できる?」 「〜〜……ッ」 早く、と何も考えずに頷く彼に、内心でほくそ笑んだ。余裕のない彼につけ込んで、酷いことをしている自覚はある。それが余計に興奮を煽った。 「10」 「あッ、ぅ」 人間という生き物は、ゴールが見えると不思議とどれだけ限界が近くても耐えられるように出来ている。 逆に言うと、そこまでしか耐えられないように、そこに向かって上り詰めるようになってしまう。 「9、8、7」 「う、んうぅ、う〜っ」 カウントをつけることで解放するのではなく、追い詰めているということに、彼はまだ気づけない。 「6、5、4」 「はッ、あぁ、あ」 ぎゅ、と瞼をキツく閉じて、あと少しの責め苦、耐え抜いたその先の解放に手を伸ばす。 「3、2……1、」 「はあっ、あぁあ、あ゛……――ッ!!」 単調な責め方を続けていた指が突如ぐ、と一際強く腹を抉った瞬間、息を詰まらせ、電流が走ったように全身を激しく痙攣させる。ベッドが軋むほどガクガクと身体を震わせ、喉を晒して声もなく達した。 「っは……ひ、っう……?」 「あー、イっちゃった。惜しかったな」 何が起きたのか分からない、という顔で余韻に浸ったままぼんやりと虚空を見つめる。 指を抜いて視線を合わせると、ゆっくりと春の瞳に焦点が結ばれる。そして、自分が命令を遂行できなかったことを理解して、みるみる怯えた表情になった。 (……そんな顔、しなくていいのに) 「……あ、春……俺、ごめん、なさい」 「いいよ、急に言った俺も悪かったし。あ、脚、もう下ろしていいよ。よく頑張ったな」 出来た分はしっかりと褒める。額にキスを落とし、安心させるように笑いかける。 恐らく今までも、無茶な命令を言われるがまま受け入れて、達成できずに仕置きをされる、ということを繰り返していたのだろう。それが彼のコマンドに対する苦手意識に繋がっている可能性もある。 ひとまず今の春に出来ることは、出来たら褒めることと、過剰に叱らないことくらいだ。 「う……で、も俺、春の言うこと、ちゃんと聞けなかった……」 香介は涙目になりながらも、健気に春の言葉を待つ。 そう、言いつけを守れなかったのは事実だ。甘やかし過ぎるのも、それはそれでSubに悪影響を与えかねない。香介のようなプライドの高い人は特にそうだ。守れなかった自分を許せない。だから、仕置きを通して代わりにDomが許してやる必要があるのだ。 「……そうだな。じゃあ、お仕置きしようか」 「っ」 自分から求めておいて、いざDomから言い渡されると酷く怯える。歪な反応が、彼の抱える闇の一端を現していた。 「ただし、痛いのも怖いのもなし。香介が嫌だと思ったら断っていい。違うのを考えるから」 きょとんとして春から投げられた言葉の意味を噛み砕いている。少し子供っぽく見えるその表情が、実は結構好きだ。 「…………それじゃあ全然お仕置きにならなくないか?」 熱に浮かされていた目が、正気のそれになっている。こうなってしまうと、一時的にプレイを中断するしかない。 一度上体を起こして――プレイの後なのでとても目のやり場に困るが――向かい合ってベッドの上に座る。白いシーツの上に、白い肢体と黒い爪先のコントラストが目立つ。靴下を履かせたままなのが今になって効いてきた。 「うん、まあ。でもほら、痛くなくても怖くなくても、あんまり進んでやりたくないことってあるだろ?」 たとえば、と例を挙げるまでもなく、聡い香介は春が言わんとすることを理解したらしい。 「……ああ、なるほど」 「それも嫌なら、軽い命令をこなすような感じになる、かな……お仕置きとはちょっと違う形になるけど」 ずっと苦虫を噛み潰したような顔をしているので、代替案を提示してみる。しかし、彼は覚悟を決めたように首を振った。 「……いい。ほら、お仕置き、するんだろ」 ご主人様、と煽る挑発的な口調とは裏腹に、不安そうな顔の香介が、何も言わずとも自然にkneelの姿勢で待っている。従順な態度に、春の中のDom性が呼び戻される。 「……よし。じゃあ、俺が見てる前で、一人でしてみて」 「っ…………」 思い切り「は?」と言いかけたのが分かるくらい口を開けて、すんでの所で呑み込んだ。命令をした時点でプレイは始まっている。口答えは許されない、と体が先に反応したのだろう。 「嫌なら、他の命令にするけど」 「…………い、やでは、ない、けど」 「じゃあ、出来る?」 羞恥に顔を歪めながら、苦々しげに頷く。壁に背中をつけて、膝を立てて脚を開いた。先までのプレイの名残がある身体に視線を注ぐ。 香介は若干戸惑いが見える手つきで、萎えていた性器に触れた。そういえば左利きだったな、とどこか場違いな感想が浮かんだ。 「いつも前触ってるのか?」 「……いつも……?」 「え、まさか自分ですることないのか?」 「や、前はしてたけど……考えてみたら、ここしばらく、してなかったな」 「…………性欲どうなってるんだ、香介」 「……多分、薬の副作用で落ちてた、と思う」 「ああ、そっか」 抑制剤の影響で、ダイナミクス性の欲求のみに止まらず性欲が減退することは割に多い。香介の場合は他に心因的な理由もあるのだろうが、深い追及は後に思う存分することにする。 「勃ってきたね」 「っ……」 春が指摘するとぎゅ、と唇を固く結んで頬を赤らめる。屈辱に堪えかねたように目を伏せて俯いているが、命令を守って手は動かし続けている。羞恥が興奮材料になったのか、みるみるうちに硬くなった。上擦った呼吸と衣擦れの音に時折クチュ、と小さな水音が混ざる。 「恥ずかしいのが興奮する?」 「っ……!」 また何か言いかけて、息を詰まらせたように喉が鳴った。理性をほぼ手放していたさっきまでとは違い、完全にSub性に身を任せることも出来ず、しかし平素のように軽口を叩けるような状況でもない。 口数が減ったのを少し寂しく感じて、恐らくDomとして矛盾が生じるのを承知の上で、新たな命令を口にする。 「……いいよ。思ってること話して」 「っはぁ……怒んない?」 「怒んないよ」 命令を受けた彼は、たとえ胸の内で何を思っていようとも隠し立ては出来ない。伏せていた目をギュッと閉じて、震える唇を開いた。 「っ…………変、態」 掠れた声に口角が上がるのを抑えきれなかった。Subに罵倒されて悦ぶDomなど、己の他にいるのだろうか。ただ、香介以外の他人に罵倒されても、同じように興奮できるとは思えなかったが。 「あはっ……可愛い」 「はぁ、んとに、馬鹿じゃねえの……っ、ん」 「どんどん濡れてきたよ。可愛いって言われるの、もしかして意外と好き?」 「ぅううー……っ好、きなわけ、ないだろ」 「え?嘘ついちゃダメだろ」 顎を掴んで、項垂れた顔を無理矢理上向かせる。快感に濡れた黒い瞳が、羞恥と恐怖に揺れた。上気した滑らかな頬を、丸い水の玉が一粒伝って零れ落ちる。 「ッ、嘘、じゃないっ」 「じゃあなんでこんなに濡れてるの?」 春の問いかけにぐ、と一瞬唇を噛み締めて、心底悔しそうに再び口を開く。 「……お前、だからに、決まってんだろ……」 てっきりお得意の照れ隠しかと思っていたのに、斜め上の角度から心臓を射抜かれた。 「お前以外に、可愛いなんて言われても、嬉しくも何ともねえのに……っ」 どうして、と訊くまでもない。そうか、彼は、彼も同じ気持ちだったのか。そうだったらいいという期待は、紛れもない確信へと変わる。 「……香介。可愛い」 「うぅ、可愛く、ないっ」 「可愛いよ。すごく可愛い」 「っ、ばか、ばかぁ」 余裕の無い罵倒は砂糖菓子よりも甘い。耳に声を吹き込む度にビクビクと震える身体が健気で愛おしかった。 「っあ、はる、もういく、いきたい」 「うん、いいよ」 「は、んっ、いく、イくから、イくとこ、ちゃんと見てて……」 「っふふ、何それ。可愛いなぁ……うん、ちゃんと見てるよ」 切羽詰まった表情を浮かべながらも、いじらしく春の様子を窺ってくる。前の命令をこなせなかったことが、まだ不安の種になっているのだろうか。安心させるように頭を撫でてやると、ほんの一瞬ほっと顔を綻ばせて、すぐに瞼をきつく閉じた。グッと全身に力が入る。 「あぁ、う、んあ、いく、イく、あっ……!」 ビクビクと身体を震わせて、手の中に勢いよく射精する。ドロリとした濃い精液が指を伝って零れ落ちそうになったのを、手首を掴んで舌を這わせた。息を整えていた香介が目を瞠る。 「……ば、かお前、何して……っ」 「ん?勿体無いなと思って」 目を合わせたまま手のひらから指の股までを舐め上げると、彼の顔が恥辱に歪む。それでもその手を振り払わない、振り払えない様子が春に愉悦を感じさせた。全て綺麗に舐め取ると、すっかり逆上せあがってしまった彼の頭をそっと撫でた。 「ちゃんと最後まで出来たな。よく出来ました」 「う、あ」 すごく可愛かったよ、と続けて褒める言葉を掛けても、彼は反発する素振りさえ見せなかった。Domに褒められるという、Subにとって至上の悦びを享受して、どろどろに溶けた瞳が春を虚ろに見上げるだけだった。 「いい子にはご褒美あげような。何がいい?」 今の行為が彼にとってお仕置きになっていたかどうかはともかく、終わったら褒美を与える必要がある。それを聞いた香介は、ごくん、と口の中の唾液を飲み込んだ。しばらく悩んだ末に、おずおずと要望を口にする。 「……抱き締めて、頭、撫でてほしい」 何だ、その可愛過ぎるお願いは。 「…………いいよ、おいで」 両腕を広げ、自らも身を寄せて彼の身体を抱き締める。頭に手を置くと、彼の両手が弱々しくシャツの背中にしがみついた。 「お仕置き、あんまり好きじゃないんだろ。よく頑張ったな。後はもう、香介の好きなことしかしないから、安心して」 「んんぅ、んー……」 穏やかな口調で語りかけながら、丸い頭を撫ぜる。香介は春の肩口に顔を埋めて、ぐりぐりと額を擦り付けてきた。猫が懐くような仕草に愛おしさが込み上げる。 「あ、ぅ、はる」 「何?」 「ん、気持ちいの、きた……っ」 「ああ、spaceかな。大丈夫、力抜いて」 まだ慣れない感覚に怯える彼を、宥めるように優しく背中を擦る。 「っ、あ、あぁー……んぁ、は」 やがて全身の力が抜けて、ぐったりと春の身体に寄りかかる。一度目のspaceとは違って、ほとんど意識が朦朧としているようだった。 「…………はる」 「うん……ちゃんといるよ」 「もう、勝手に、行かないから……」 「……?うん」 何の話だろう。一瞬先程の情事が思い起こされたが、声のトーンからしてそのことではなさそうだ。うつらうつらしながら、耳元でなければ聞き取るのが困難な声量で呟く。 「そばに、いて」 そう言ったきり、パッタリと電池が切れたように動かなくなった。 頭を撫でていた手を止めて、いつの間にか溢れていた涙を袖口で拭う。 『じゃあな、春』 最後に見た時の彼の顔は、やけに寂しそうに笑っていた。あれがまさか、生涯決別するつもりの言葉だとは思っていなかった。 「……今度は絶対、離さないからな」 二度と彼から離れない。この奇跡を離さない。安らかな寝顔に、涙を流したまま固く誓った。

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