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4.事件の夏②

 それからは――雪彦に、ひどいことをした。パシリのようにこき使ったり、約束をすっぽかしたり、当てつけのような、子供じみた行動を繰り返した。  けれど彼は(すぐる)を見捨てず、その立場に甘んじて受け入れてくれた。それが余計に秀を腹立たせるのだが、それを告げるのは何だか(しゃく)だ。妬みと憧れと自己嫌悪と負い目と——絡み合った複雑な感情が、秀から素直さを奪い去って、なおさら雪彦にあたってしまう。  そんな関係に終止符が打たれたのは、秀が雪彦と同じ高校へ進んだその年のことだ。  彼は卒業後、経営を学ぶために進学することになっていた。目的の学部のある大学はバスと電車と新幹線を乗り継いだ先にしかない。  このままでは、大好きで小憎たらしい親友と、わだかまりを抱えたまま離れ離れになってしまう。雪彦が、傍からいなくなる。いつか他の誰かのものになり、秀のことなんて頭の片隅においやられてしまうのだ。  当然の事実にやっと気づいた秀は、愕然とした後に猛省した。一緒に遊びまわるのも、他愛のないやり取りで騒ぐのも、今年が最後になるかもしれないのだ。  ――俺が始めたことなんだから、俺からちゃんと謝らないと。  秀は迷った挙句、彼を隣町の小さな花火大会へ連れ出すことにした。雪彦は昔から花火が好きだったからだ。断られるかもしれない。廊下から見飽きた中庭を見下ろしながら、つい不安で、自分より背の高い彼を何度も伏目がちにちらちらと見やった。 「今度、写真撮りに行くから。お前は助手な」 「はい、分かりました。シートやキャンプ用の椅子を用意します。場所取りは必要ありませんから、家族には内緒で現地で集まりましょう」  小さな打ち上げ花火をダイナミックに映し出すだけの技術と機材は、当時の秀には無いのだが、それを知らない雪彦は何も疑問を抱かないのだろう。カメラと共に譲り受けた広角レンズを試すぐらいしか出来ない。説明も面倒で、小さく頷く。 「……ああ」 「デートみたいですね」 「な……」 「ああ、ポートレートの撮影はどうします? モデルが必要なら、それらしく浴衣でも着ますが」  昔から冗談が分かりにくい奴だったと、赤らめた顔を背けて舌を打つ。 「……好きにしろよ」  本当は、写真なんてどうでもいい。バイトと勉強と家事の手伝いで奔走する雪彦に、少しでも息抜きをしてほしかったのだ。そのついでにそれとなく謝罪が出来たら、今一度、昔のように素直に接することができるようになる気がした。けれど最大の目的は雪彦の気分転換にあったから、もし約束をすっぽかして、他の友人たちと祭りを回ったとしても、文句を言うつもりはなかった。  もちろん、雪彦がそんなことをしないのは、誰よりも秀がよく知っている。しない、ではなくできないのだ。雪彦は秀の、ひいては富久澤家の下僕だ。養育されている身分で、主に逆らうことなんて許されない。雪彦の従順さが、優しさ、とか友情、の一言では片付かないことに、愚昧(ぐまい)な秀も気づき始めていた。逆らえないだけで、秀のことを快くは思っていないはずだ。  いや、むしろ家族の誰よりも秀を憎んでいるかもしれない。こちらを見る澄んだ宝石のような黒目が、妖しげな輝きを放っていることがある。本音を聞く機会は生涯訪れないかもしれないが、妄信していた雪彦に嫌われていることを想像すると、吐き気を催すほど胸が痛んだ。  花火大会当日は、やきもきする秀を駆り立てるように颯爽と訪れた。  一足早く待ち合わせ場所に着いた秀は、そわそわと落ち着かない様子でカメラをいじくりまわしていた。適当に見繕(みつくろ)った甚兵衛を着て少し浮かれていた。驚くことに、二人きりの外出はこれが初めてだったのだ。常に両親のどちらかか兄、または友人が同席していたし、旅行の際には雪彦は留守番することが多かった。一人で出歩けるようになってから彼を避け始めたので、当然の事でもあった。 「秀さん」 「……あ」  少しして姿を現した雪彦は、相変わらず、飄々(ひょうひょう)とした感情の読めない顔をしていた。普段から風呂上りに着替える、よく見慣れた浴衣を纏っているだけなのに、別人のように華やいでいて見惚れる。夏でも真っ白い肌に、着物の濃灰色がよく映える。素がいいのはもちろんのこと、照明と臨場感でこんなに変わるとは。通りすがりの女子や出店のおばさんが、何度も振り返って突然現れた和装の美丈夫に息を呑んでいる。端正な顔立ちに、背が高くしなやかな細身の体躯。どこかのモデルと勘違いされてもおかしくはない。 「遅くなりましたか、すみません」 「別に」  待っていない、と言ったらまたデートみたいなどとほざくだろう。視線を彷徨わせて口を(つぐ)んだ。  それからはもくもくと写真を撮って回った。話しかけようとしたが、うまくタイミングが掴めなかった。盗み見た雪彦も秀に視線を合わせようとはしない。たまに秀の様子を窺って、屋台からお好み焼きや焼き鳥を調達してくる。基本的に雪彦が傅くかたちだから、同年代の友達らしいやり取りはない。まるで罰ゲームか何かでいやいや行動を共にしているように見えただろう。  この時の雪彦は珍しく不機嫌そうだった。野郎二人きり、女の子もいない。  ――俺なんかと二人じゃ、そりゃあ楽しくないか。  なんて卑屈な感情が脳裏をかすめてしまう。

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