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5.事件の夏③

 落胆しながらも、最初から自分のエゴに過ぎないことは気づいていた。彼は花火を見たいなんて口にしていない。自分が強引に連れ出したに過ぎないのだ。  気もそぞろに撮影を続けていると、すぐに花火の打ち上げ時刻がやって来た。人気のない山の裏手に回り込み、三脚にカメラをセットしてシャッターチャンスを待った。すぐ傍らで夜空を見上げる雪彦の白い肌に、色鮮やかな光が照り返してほのかに色づいていたのを、何年経っても夢に見る。  そのまま時が過ぎ。すくった金魚を花火に透かしながら、どうにか他愛もない話を振った刹那のことだ。  カメラに収まりきらないほどの大輪の花が、夜の闇に咲き誇ったのは。 「……よく見るとこいつ、目が出てるな。デメキンの雑種かも、な、あ——」 「……」  突然、綺麗な顔が間近に迫ったかと思うと、雪彦に唇を塞がれていた。  目の前が真っ暗になった。  雪彦との関係は(いびつ)だった。時には親友で、時には主従。彼は秀にとっての憧れであり、——妬みの対象で、例えようのない憂鬱感の大元だ。  あの瞬間、今まで築き上げてきた関係性のすべてが崩れ去ったような気がした。  秀の知る雪彦は冷静沈着で自らの分をわきまえた理性的なタイプで、冗談であっても、ましてや秀に真剣な好意を抱いてこんなことをするわけがない。いつも秀が一方的に信頼を寄せるばかりで、雪彦にとっての秀は面倒な雇い主でしかないはずだ。けして気安い仲ではなく、常に雪彦が下手に出て、秀に服従を示すことで成り立つ(もろ)い関係だった。  何より秀は——性的なことが、苦手だ。女性や恋愛に興味がないわけではない。ただ、どうしても恐怖と嫌悪感が拭い去れずにいる。そういった話題になるだけで、吐き気がこみ上げるぐらいに。  それを、雪彦はよく知っている。それなのに揶揄うような真似をされた。秀のことを最も理解しているはずの雪彦が、秀が最も嫌がるかたちで、この関係を崩そうとしている。こんなにも情け深い男にこんなに慈悲もない形で嫌がらせをさせるほど、ひどいことをしていたのだ。  自分と彼がどういう仲で、どうありたいと考えていたのか、思考を巡らせるほどに分からなくなる。気の置ける友人になりたいと思ったのは事実だ。けれど元に戻ってしまったらそれは健全な友人関係とは言えない。かといって彼と肩を抱き合い、楽しく談笑する未来など想像もつかない。 その時やっと雪彦を“自分のもの”扱いしていることに気づいた。愕然とした。これでは父や兄と同じではないか、と。  雪彦に嫌われるのも当然のことで、とうの昔に人をもの扱いする連中に呆れていたに違いない。  それとも、こいつは誰とでもこんなふうに冗談交じりに触れ合うのだろうか。秀の前ではクールぶっていただけで、実はクラスの中心にいるようなお調子者だったのかもしれない。だとしたら、秀は雪彦の素顔を何一つ知らなかったことになる。  途端に、言いようのない眩暈(めまい)と吐き気に見舞われてよろめく。 「は……こ、の!」  はっと我に返った瞬間には、少し高い位置にある顔を思いっきり殴りつけていた。 「っ! 秀さ……」 「うっせえ寄るな!」  叫んでカメラを引っ掴み、訳も分からぬままその場から駆け出していた。  その後どこでどう過ごしたのか、よく覚えていない。さらに実家に寄り付かなくなり、町の中の友人宅を転々として、その夏のうちに、親戚を頼って家を飛び出し、適当に理由をつけて転校した。  雪彦から、逃げたのだった。

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