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7.どんな顔をすればいいのやら

「キャーイケメン……! 私は山地です、何でも聞いて! そんなに固くならなくていいからね?」 「はい、ありがとうございます」  にこにこと手を振る山地の横で、秀は真っ青になった。  これから毎日、雪彦と顔を合わせなくてはならないのか。気まずいどころの話ではない。彼だってもう秀の顔なんて見たくないはずだ。そもそもどうしてここに居るのだろう。独り立ちしてから家族とはほとんど連絡をとっていないから、その線を辿られたわけではないはずだった。そもそも雪彦が秀を探す理由もない。では本当に偶然なのか。  絶句していると、普段の無表情に戻った雪彦がこちらに向き直る。 「秀さん、これからどうぞよろしくお願いします」 「なな、なんで……お前…!」  歩み寄ろうとする気配に、思わず腰を浮かせて後ずさる。雪彦は涼しい顔でこちらを真っすぐに見下していた。妙な空気が流れる。 「もう知り合いなのかい? 年も近いしちょうどいいな、富久澤、楠田に必要な仕事教えてあげて」 「……え⁉ いやいや所長、俺に教えられることなんて何も」 「むしろ簡単な雑用は君の専門だろうが」 「う……」  残念なことに、今日から覚えてほしい備品の補充や簡単な掃除は下っ端の秀の担当だ。逃れようがない。彼との確執を説明するわけにはいかないし、打ち明けたところで理解してもらえるとも思えない。  秀の無言をどう解釈したのか、あれよこれよという間に雪彦の世話を押し付けられてしまった。こういう時に限って、イケメン好きを公言する山地は目を輝かせるばかりで手を差し伸べようとはしない。  雪彦を一瞥(いちべつ)すると、仏頂面で小首を傾げられてしまった。何を考えているのか全く分からないところまで昔のままだ。  これからの波乱を想像してひどい眩暈を覚えた秀の背を、嫌な汗がつうっと滑り落ちた。  書類や配布用のパンフレットの積み上げられた棚を上から下まで説明し終えて一息ついた秀は、動揺を悟られないように冷や汗を拭って、それとなく尋ねた。 「で、お前、いつまでここに居るんだ」 「どれぐらい忙しさが続くのかにもよりますが、早ければお盆過ぎには終わりかと」 「ふうん……雑だな」  ――だいたいひと月か。  狭い事務所内の間取りや平常業務の説明がてら話を聞くと、おおよその雪彦の現況を把握することが出来た。高校を卒業後、予定通り大学に進学した雪彦は今春卒業するはずだったが、なんと必修の単位を取り忘れて一年留年してしまい、現在、二度目の四年。富久澤家の系列会社に就職の予定のため、就職活動をする必要はなく、とはいえ遊び惚けるタイプでも無かったためリゾートバイトの感覚で応募したのだそうだ。あまりの凡ミスに素直に驚いたが、昔から変に間抜けなところがあったから、今回もそれをやらかしたのだろう。  それにしてもひどい偶然もあったものだ。真夏に人手を欲する観光地なんて星の数ほど存在している。そんな中で、こんなメジャーとは言い難い離島を選択する確率とはいかほどのものかを想像すると、胃痛がしそうになる。 「——で、次はこれ。たまに確認して、整理する」 「はい」  パーテーションの裏にある背の高い金属ラックには同じようなダンボールがいくつも並んでいる。一応表に「コピー用紙」とか書いてあるのだが、全く見当違いな備品が入れられていることも多かった。特に上部に押し込まれたものは怪しい。中を見せようと腕を伸ばすが、背伸びをしても、押し込まれたには微妙に届かない。 「で、ここの棚の上の、この、ダンボールとかっ……!」  おしい、ざらついた紙に指先がかすめた。もう少しなのだが。四苦八苦していると、横にいた雪彦が近づいてくる。 「これを下ろせばいいんですね?」 「え? あ」 「っわ」  伸びてきた雪彦の手がほんの少し触れ、驚いて飛びすさる。反射的に初心な少女のような反応をしてしまった。骨ばった手首から先の骨格と、自分より十センチは高い身長をなぞるように眺めて、こいつ、こんなに男らしかったっけ、と思った。  彼は少しの沈黙の後、「すみません」と呟きながら事も無げに大きなダンボールを抱えて地面に下ろした。 「あ、ああ……っと……あ、はずれか。表に補充するパンフだわ、必要ならここから持ってけ」 「はい、分かりました」  頷いてメモを取る雪彦を尻目に、多少の冷静さを取り戻して思案を巡らせる。  これから毎日、彼と顔を合わせなくてはならないが、いちいち大げさに反応するわけにもいかない。彼だってもうこの顔など見たくないはずなのに、こうして堪えて、大人の態度で接してくれるのだ。  まるで、二人の過去には何もなかったかのように。それが少し寂しいことのように思えて、自分の身勝手さに嫌気がさした。そもそも、雪彦の顔が見たくないとか、嫌いだとかいうのではない。必要以上に交流を深めることで、また彼に迷惑をかけたり、失望されたり、これ以上傷つけてしまうことが怖くてたまらないのだ。  ペンを走らせる指をぼうっと見つめていた秀は、雪彦に顔を覗き込まれて我に返った。 「あれ? なんか言ってた?」 「……あ、はい。あの、昨日は突然、すみませんでした」 「は?」  話が読めず、思わず不審げに眉をひそめる。 「その、追いかけてしまったので」 「なんだよそれ。別に謝るようなことじゃないだろ」 「俺に会うのが嫌だったみたいなので。気分を害したんじゃないかと」 「…………」  雪彦は顎を撫でながら、事件を推理する探偵のような小難しい顔でこちらを見ている。それはどこか苦しげなものに見えて、秀は困惑した。彼の真意が読めない。時折、こんなふうに慇懃無礼なほどにへりくだる男で、思春期にはなんて厭味ったらしい奴だと辟易したものだが、今になってみると、幼いころからこういう態度を崩さなかった。秀の物の見方が変わってしまっただけで、雪彦自身は何一つ変わっていないのかもしれない。 「あの、それと」 「なに?」 「――全て、忘れてくださいませんか」

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