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10.本当にどうかしている

 それからも小さなミスが続いた。  雪彦に声をかけられたことに驚いて書類の束をぶちまけたり、横にいる彼が気にかかって上の空で叱られたり、間違えて縮小したコピーを四十枚も印刷してしまったり、プランターの花に無心に水を与えて駐車スペースが水浸しになったりした。午後には所員は皆戻ってきていたから、散々である。注意を受けた後には、体調不良を疑われるほどだった。  雪彦の存在と、「全てをなかったことに」という発言が後を引いているだけだ。 「……富久澤、なんか、朝に送った写真のサイズがおかしいって本土から連絡~、メールもしたみたいよ」 「え? マジですか……ちょっ、すぐ確認します」  慌てて画像編集ソフトから件のものと思われる写真データを開く。秋に本土の観光協会と合同で催すイベントのために編集した写真のはずだ。キャンバスサイズを見れば、指定の四分の三しかない。あろうことかトリミングを間違えたのだ。 「……うわ……ありえねえ」  こんな初歩的かつ重大なミス、徹夜明けでもしたことが無い。 「らしくないね~? ……ね、楠田君と何かあったの?」  山地がにやけながら言う。思わずぎくり、と硬直した。 「……何かって何スか」 「さあ? 分かんないけど、昨日あたりから様子がおかしいし、楠田君と話すとき緊張してない? あんた初対面だからって物怖じするタイプじゃないし」 「……どうですかね~」  秀がとぼけてみせると同時に再び電話が鳴り、山地との会話は強制終了された。  そろそろ三時だ。休憩をしようと思い立ち、秀はPCをスリープモードに設定して席を立った。  案内所の表には、自動販売機が二台備え付けてある。少し悩んで炭酸入りのオレンジジュースのボタンを押し、冷え切った缶を掴んで裏手にまわった。  人気のないことに安堵しながら、ぷしゅっ、とプルタブを開け、ぐびぐびと一気にあおる。 「……っはぁ~……」  今日はほとんど雪彦に付きっ切りだったから、一人きりの気楽さを噛み締める思いだ。想像以上に緊張していたらしい。疲労感が繁忙期のそれを上回っている気がする。 「……まあ、なんとか、今だけ乗り切れば……」  そう、今だけだ。たったの一月。それでまたお別れ。 「あれ、秀さん?」 「……」 「休憩ですか。お疲れ様です」  建物の角から現れたのは、箒とちりとりを手にした雪彦だ。 「缶、よろしければ捨てておきますが」 「いや、いいってそういうの」  ジュースを啜りながら雪彦に背を向けて視界から追いやる。放っておいてほしい。旧友との再会と拒絶に、まだ折り合いをつけられていない。  ――本当に、俺たちはどういう関係だったんだろうか。  早く居なくなってくれ、と念じながらわざと時間をかけて缶を傾ける。けれど、雪彦が立ち去る気配はない。 「秀さん」 「……」  反応しかけて肩が跳ねた。聞こえなかったフリをする。それでも雪彦はそこから動かない。鬱陶しささえ覚え、しびれを切らしかけたその時、がっ、と腕を掴まれ壁に背中を押し付けられた。 「――いい加減にしてください」 「な、っ……」  どん、と顔の横に手をつき、逃げ道を塞いだ雪彦が冷たくこちらを見下す。 「いちいちびくびくされたのでは、やりづらいんですよ」 「……」  正直、ムッとした。悪いのは自分だけじゃない。突然やって来て、現実を突き付けてくるような真似をして、困惑して当然ではないか。いや、この場合間違っているのは確実に秀の方なのだが。雪彦の意見は至極真っ当で、色々なことから逃げてきた秀にツケがまわって来ただけだ。けれどそれを認めるのも癪で、睨み返して虚勢(きょせい)を張る。 「べつに、お前なんか、びびってなんか」 「怯えてるでしょう、ほら」 「っ」  顔をずいっと近付けられて、思わず身を(すく)めて目をつむった。あの日のことがフラッシュバックした。  ため息が聞こえて我に返り目を開くと、雪彦がわがままを言われた時のような顔で視線を彷徨わせている。 「ほら、まったく……素直で露骨すぎるんです、あなたは。流石に、俺だって傷つきますが」  傷つく、と言われると、途端にばつが悪くなって、秀はふいと顔を背けた。 「…………悪い、気をつける」 「……いえ。俺こそすみません。突然こんなことして。なんか、どうかしていたみたいです……忘れてください」  ――また“忘れろ”かよ。  言い捨てた雪彦は小さく一礼してこの場を後にした。  残された秀はばつが悪くなって小さく舌打ちをし、苛立ちが薄れるまでその場でぼうっとしていた。  

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