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12.意外な事実

 こぢんまりとした居酒屋は普段通りの地元の常連客にくわえ、島の民宿に宿泊する観光客が顔を覗かせて賑わっていた。興味本位で訪れたらしい若いカップルが歓迎を受けて地元民との触れ合いを楽しんでいる。それを尻目に白桃サワーを口にして、秀はげんなりしていた。 「あ、ありがとうございます。秀さん、お刺身がきました」 「……あのさあ」  こめかみを押さえながら呟く。喧噪の中でその耳に届かなかったのか、真横に座る雪彦は素知らぬ顔で醤油皿を用意している。 「? あれ、これって三点盛りじゃなかったですっけ。またサービスしてくれたのか……あ、何か言いました?」  雪彦は既に冷めた唐揚げを一口かじった。温くなったグラスを傾けた秀の額に青筋が浮く。 「だからさあ、何でお前がいるんだよ!」 「声をかけていただいたので」  さも当然のように告げて、雪彦は枝豆をつまむ。 「歓迎会の代わりに、と……すみません、普通に嬉しくて来てしまいました」 「いや……まあ……いいんだけど……」 「めちゃくちゃ嫌そうな顔で言われても」 「うそ、酒が入ってるせいかすげえ気分は良いんだけど」  少し浮ついているぐらいだ、控えめに笑って見せると、雪彦に怪訝(けげん)な眼差しで凝視された。  誘った本人はというと、別の卓で数年ぶりに再会したという古くからの知人と昔話に花を咲かせている。顔は真っ赤ですっかり出来上がっているようだ。もうここには戻ってこないかもしれない。雪彦とサシで呑む日が来ようとは、想像したことも無かった。嬉しいはずなのだが、妙に気が重い。酔ったふりをして早めに帰宅しようか。一先ず無責任な所長のことは放っておいて、好きなように飲み食いさせてもらうことにする。 「お、刺身うめー……米が食いてえな」 「もうシメになさいますか」 「……いや、所長いつ戻ってくるかわかんねーし……つーかお前さ、もう敬語やめろよ」 「? ああ……これはもう癖のようなものですから」  職場の先輩ですし、と続けられてしまうと何も言えなくなった。全てを無に帰すなら、フランクでいてくれた方がまだ気が楽だと思ったのだが、確かに雪彦は年下であろうと先輩にタメ口で話すキャラではない。  アルコールの弱そうな酒を求めてメニューを手にする。酒は好きだが、強い方ではないから翌日に響くような飲み方はやめた。サワー系が良い。 「……秀さん、冷や奴って頼まれました?」 「いや? あー、所長が頼んだんじゃないっけ。お前、食っていいぞ」  雪彦は豆腐が好物だったのだ。  気を利かせてメニューから顔も上げずにそう答えたのだが、何やら隣から戸惑うような気配がする。思わず首を傾げると、雪彦は生姜とネギと大葉の薬味に埋もれた白い豆腐と、秀の顔を、躊躇(ためら)うように交互に見た。 「どうした? 俺は別になくてもいいし」 「いえ……その……俺、豆腐って、得意じゃなくて」 「は⁉」  思わず目を丸くした。好き嫌いなく何でも食べる、も雪彦の特徴だったはずだ。コイツに嫌いな食べ物なんて存在したのか、という衝撃の方が大きかった。豆腐に関しては、むしろ喜び勇んでほおばっていた印象しかない。 「おま……嘘だろ。晩飯の小鉢の豆腐、一番最初に美味そうに食ってたじゃん」 「ああ、あれは、演技というか――……秀さん、よく俺の真似をしたがったでしょう?」 「え?」 「俺が美味しいというと、嫌いなものでも召し上がってくれたので……」  唖然として雪彦を見る。 「……俺のために、無理してたって?」 「はあ、まあ、今だから言いますけど。俺や大人の真似をして無理して苦手なものを食べるときの秀さん、なんかアホっぽくて面白くて」  さらりと言われて思わず(むせ)そうになった。まあ、涙目で野菜を食べる子供はいじらしくて可愛く見えるかもしれないが。 「……他に苦手なものって?」 「そうですね……豆腐、寒天、茶碗蒸し、ぷるぷるしたものが苦手ですね。味よりは食感で好みが分かれます」  何と言うことだ、すべて富久澤家の頻出定番料理ではないか。十年も一緒に過ごしたのに、全く気付かなかった。兄弟だ、親友だと思い込んで全て熟知しているつもりで、彼のことを何一つ知らなかった自分に、もはや失望を通り越して驚く。思わず食事の手を止めた秀を気にも留めず、少し頬を赤くした雪彦が伏目がちに囁く。 「俺の嗜好に興味を示してくださるなんて、少し、驚きました」 「なんだそれ……別に、次は先輩として気を使えるようにしとこうってだけで……」 「それでも、以前は考えられなかったことです」 「……そうかもな」  妙な言い訳が口を衝いて出てしまった。ちら、と雪彦を盗み見ると、熱に浮かされたように潤んだ瞳にとらえられた。僅かに浮かんだ挑発するような微笑みと、綺麗な歯の間から覗く真っ赤な舌がひどくあだっぽくて、息を呑む。

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