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13.甘え上戸の憂鬱
「嬉しいですね。……っていうか、次、があるんですか?」
「あ?」
「また飲みに誘ってくれるんだなって」
「! や、約束はしないけど……」
慌てて視線を逸らして、勢いよくグラスをあおる。既に飲み干していたらしく、ガラガラと氷だけが落ちて来た。既に空だった。
「おばさーん、はちみつレモンサワー!」
景気よく返事した女将が、「女の子の好きそうな酒ばっかりねえ」と揶揄する。ここには敵しかいないのだろうかと、少しいたたまれない気分になった。
「……約束など無くても、少しの希望があるだけで俺は十分ですよ」
その声がひどく寂しげに聞こえて、再び横を盗み見る。その眼差しは、どこか遠くを見ていた。
「一人で生活して、人に物を教えられるようになって、気遣いも出来るようになって……秀さんは、もう、大人になられたんですね」
「は? 何言ってんの、当たり前だろ」
これも揶揄するような言葉だというのに、不思議と馬鹿にされたとは感じなかった。まるで子の成長をしみじみと喜ぶ親のような温かさがあったからだ。
そうか——雪彦の中での自分は、いつまでたっても聞き分けの無い子供のままだったのか。
運ばれて来たはちみつレモンサワーを一気に半分ぐらいあおる。まだ三杯目のはずだが、普段より酔いが早い。場酔いしているのかもしれなかった。唐突な眠気に襲われて、ぐらりと身体が傾ぐ。
「——あなたはもう、俺がいなくても生きていけて、俺は…………」
「……」
「…………秀さん?」
やっと寄り掛かれるところを見つけて、ぐったりと身を委ねる。ほのかに温かくて、控えめな柔軟剤と汗と、懐かしい体臭の混じった安心する匂いがする。不快感は無かった。
「あの、秀さん? ……こんなに弱かったなんて。お水いりますか?」
「んん……はは……」
これまでにないほどいい気分だった。だってここに、すぐ触れられるほど近くに、あの雪彦が居るのだ。まさに夢心地だった。
「はあ……酔った……」
驚く雪彦の肩口にぐりぐりと額を押し付けて、犬や猫のように甘えてやる。困惑が伝わってきて愉快だ。そのうち的から外れて緩やかに彼の膝の上に倒れ込んで寝そべる。雪彦が狼狽えだすのが分かった。
「! この一瞬で酔いすぎじゃ……うわ、このサワー濃い。ちゃんと味見すべきだったな。秀さんも自分で気づいてください」
「んー……なんだ、お前、今日めっちゃ喋るよな……」
「え……?」
さては俺と話すのが嫌で、慇懃無礼な無口キャラを演じていたのだな。ひどいやつだ。きっと俺以外の前ではもっと表情も豊かだったのだろう。そんな明るい雪彦を封じ込め押し込めたのはきっと秀という存在なわけで、長い間、申し訳ない事をした。
一言、謝罪するのが正しいのは分かっている。それでも、憎い相手として、あるいは仇敵として、いやどんな形であれ彼の中に残り、その痕を永遠に残したいというひどい自分がいた。どうせ仲良くなれないならその方がマシだと思っていたけれど、雪彦自身がそれを許してくれないらしい。
――この夏と共に、彼の中の俺は消え去る。
仕方がないけど、嫌だなあ。
「ああ、まったく、秀さ……」
「んん……もう少し……」
雪彦の胴体にぎゅうっとしがみついて、微睡む。思っていたより逞しいが、筋肉は薄い。顔立ちはもちろん、髪の一本一本から頭の形、骨格なんかも色々なところが繊細に出来ているのだろう。
「……まさか、誰にでもこんなことするんですか、あなたは」
ため息とともに呆れたような声が降ってきたけれど、よく理解できなかった。
「それとも、俺を誰かと間違えているんですか?」
雪彦がたじろぐ気配が止む。少しの沈黙の後、甘い苦笑と共に、そうっと慈しむような動きで繰り返し頭を撫でられた。
手のひらで包むように頭頂部から後頭部を行き来し、指先で髪を梳 いて、時折、毛先をつまみあげる。熱で寝込んだとき、眠れないとき、泣き出したとき、何より心を慰めてくれたのと、同じ指先で、同じ手つきだった。
――雪彦の手だ。でも、なぜだ。彼はもう、自分の傍にはいないのに。
夢と現実、過去と今の境目が曖昧になる。ぐるぐると考えながら、まあ今幸せだからどうでもいいや、と思い直し、安らかな眠りに落ちて行った。
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