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15.敵わない男
雪彦がやって来て、二週間が経過した。
連日、島は親子連れやカップルの観光で華やかな賑わいを見せている。
今日は来年度のパンフレット用に島を撮影してまわることになっていた。漁港や民宿に取材の連絡を入れてある。ホームページの素材収集と、ポスター用の取材も兼ねており、この島に関わる広報用の素材のほとんどは秀が携わったものだ。コンベンションやイベントでマイクを握るのは後藤や山地だが、プレゼン資料や企画の立案も秀に任されることが多い。機械や流行に敏感な人材が他にいないことはもちろん、秀にまだ人前で上手く喋るだけの技量はなく、本人が苦手意識を持つことも関係している。
「富久澤、今日写真撮りに行くのかい? せっかくだから橋田と一緒に行きなよ! アシスタントが居てもいいだろうよ」
と所長命令で案内所を追い出されたのが、先ほどのことだ。日はまだ昇り切っておらず、じりじりと厳しく照り付けている。辺りに木霊する潮騒 をBGMに、朝食を終えたカモメが喚 きながら飛び回っている。
先日、家に送り届けられた日のことは二人とも“忘れて”いる。当然、雪彦は何も言わないし、秀も聞く勇気がなく、ずるずると二週間ほど何事も無かったかのように同僚を続けている。初日に狼狽えてばかりだった秀も、表向きは折り合いをつけて平静を取り戻していた。
「社用車も空いているそうですが、自転車とどちらで移動しますか?」
「今日は車。人を待たせてるからな。ま、車からだと普段とアングル変わるし、本当はフラフラ歩いて回りたいんだけど」
目線や速度の変化で見えるものも違ってくる。人物の撮影がないのならば、迷うことなく徒歩か自転車を選んだ。後ろの座席に安っぽい三脚を放り込み、ハイアマチュア向けのフルサイズのボディ、各種レンズと、予備のバッテリーなどを詰め込んだバックパックを抱える。
レンズはいわゆる三本を基本に、単焦点レンズを二つほど用意した。これらの三本にはプロ必須と囁かれる上位互換が存在するのだが、一本一キロもあって重いこと、そもそも中古でも高額で買い揃えられていないこと、また今回は機動性や汎用性も加味してラインナップに加えていない。もっとも、必要とされる商材としての写真ではなく、趣味に走った作品の撮影になってしまいそうなのが恐ろしいところだ。
「俺が運転するから、お前助手席な」
「免許持ってるんですか?」
「高校卒業前に取らされた」
運転席に乗り込み、エンジンをかけて冷房を全開にする。隣に乗り込んできた雪彦が地図を見ながら呟く。
「ええと、最初は漁港の加工場、それから集会所で活動する老人会の方々、祭りの準備風景、草部商店、居酒屋……の順で大丈夫ですか」
「オッケー、島を一回りな」
「よろしくお願いします」
それから各地を巡り、順調に笑顔の島民たちを写真へ収めて行った。主題が曖昧になるぶん、悩みの連続だ。ポートレートのように人を生かし個性を強調し引き出すのとは違って、景色との調和や、メディアにまとめた際の統一感を考えなくてはならない。ある程度は画像編集ソフトで修正可能だが、加工にも限度があるためバリエーションが求められる。
取材というとみんな緊張しがちになるから、そこで役立つのが顔馴染みで数少ない若者として可愛がられている秀なのだった。
居酒屋で最後の撮影を終えた頃には、午後の二時を過ぎていた。カウンター席に並んで腰かけ、厚意で提供されたそうめんを啜 りながら、カメラの液晶を捜査してぽつぽつ今日の写真を振り返り眺める。
「秀さん、お年寄りに人気なんですね」
「そうか? 俺は孫扱いされてるだけ。お前の方がちやほやされてたろ」
「あれはまあ、理由が違いますから」
「なんだそれ」
雪彦は老人たちから見ても随分な男前らしい。背も高くすらっとしているし、目が悪い老人にも雰囲気が伝わりやすいのだろう。ひっきりなしに声をかけられては、お菓子やら果物やらを押し付けられていた。
「んー、ちょっと海撮りてえんだよなあ……」
「海ですか」
「うん。高いところから一面の海、って感じの。砂浜とか岸壁はたくさんあるんだけど、画面が似たり寄ったりになる」
もちろん、自分の技術不足が問題なのであるし、漁港や浜辺の写真が悪いとは言わない。ただ、もっと上手くこの島の海の美しさを伝えられるはずだ、と|若輩者《じゃくはいもの》なりに日々頭を悩ませている。
「……海を一望できるところ、ですか」
箸を置いた雪彦が、麦茶を片手に考え込むそぶりを見せる。どうせやって来たばかりの彼に尋ねても無駄なことだ。そう話を切り上げようとした時、こちらを向いた雪彦が力強く頷いた。
「分かりました。少し歩くことになりますが、心当たりがあります」
「は?」
思わず目を丸くする。雪彦は素知らぬ様子でで「ごちそうさまでした」と両手を合わせた。
「秀さんはまだ召し上がるんですか?」
「いや、ごちそうさま……」
「はい」
雪彦は重ねた器を抱えて立ち上がると、昼寝中の主人の指示通りカウンターの裏のシンクの端に置いた。
――お前、いつの間にそんなにこの島に馴染んだんだよ。
浮かんだ言葉を飲み込んだ。彼は愛想こそ悪いが、自分より要領が良くて真面目で、運が良くて気が利く。先輩としての矜持は倦 むものの、既に秀の知らない細部を把握していてもおかしくはない。
「近くまでは俺が運転します。どこまで道が残っているか分かりませんが」
「……分かった」
その言い回しに少し違和感を覚えながらも、大人しく従うことを選んだ。
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