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【1993/12 Can you kill me】⑧
戻って玲を起こし、買ってきたものをベッドの上に広げた。好みを確認せず出てしまったのでできるだけ変に凝ったものは買わないようにした。玲は1つ1つ確認して「これ食べていい?」と選ぶ。選んだものは甘そうなミルクティとピーナツクリームが入った菓子パンだけだった。
「ほぼおやつじゃないか、他はいいのか」
「野菜食べると胃にくるし、肉類食べられないんで」
菓子パンの袋を開けて、態々両手で持って角の部分からチマチマ食べ始めたのを見て、ちょっとリスとかネズミとかモモンガっぽいな、と思った。耳を取った食パンの白い部分とピーナツクリームだけの構成で十分に柔らかいはずのそれを、玲はやけにゆっくり口に含んで食べる。
「そんなに胃が弱いなら無理しなくていいぞ」
「いえ、それもあるんですけど、ちょっと事情があって」
ミルクティを一口含んで飲み込み、同じようにちょっとずつ、時々ミルクティで流しながらゆっくりゆっくり食べる。合間に少しずつその事情を話しながら。それは、話していた事件のあとの、餓死しかけたときの話に起因するものだった。
人間は飢餓状態に置かれると、たんぱく質・エネルギー栄養障害(PEM)という状態になる。
これにはマラスムスとクワシオルコルの2種類があり、マラスムスは所謂典型的な痩せすぎ状態で、エネルギー摂取不足が長期間続くとことでエネルギー産生のため体たんぱくの分解によって生じるアミノ酸が使われてしまい痩せ衰える。
クワシオルコルはチャリティ番組などで植えた幼児に見られるお腹だけがぽっこり出た状態で、これはエネルギー摂取量はある程度保たれているものの、たんぱく質が欠乏すると保持しきれなず血管から水分が漏れ出し、胸水や腹水或いは浮腫になって貯まるためそのようになる。
この2つは厳密に区分することは難しく、悪液質という混合したタイプも多いのだそうだ。そして玲も飢餓状態に陥った際にこれに漏れずたんぱく質・エネルギー栄養障害となり、悪液質の状態で見つかった。
栄養障害に陥った体は、神経性食欲不振症となり、咀嚼・嚥下困難や消化機能の衰えは勿論、栄養吸収障害、免疫能の低下による易感染性、傷または疾患の治癒遅延、皮下出血,薬物効果の遅延,薬物の副作用の亢進などが発生する。
また、異化亢進といって、体組織の分解が亢進し体重減少や体たんぱくの消耗を起こし、これに因り癌が発生する場合もある。
そして、玲の場合、脂質の輸送・代謝に必要なリポ蛋白質が合成されないことによって発生する低栄養性の脂肪肝がある。そこから来る低アルブミン血症のため恒常的な低血圧もあり、現在も経過観察のため通院していると。
栄養吸収障害により、急激に摂食するとそれが予後不良につながりかねないことから、普段も食事量は少なく、小分けにして回数を多く摂るか、必要な栄養分をサプリメントなどで補っていると。
「そんな重要なこと、早く言ってくれよ。肉を食わないのもそういうのによくないからか」
「いえ、それはそれで別で、本当に只、食べられないんです。食感とか匂いとか無理で」
玲は菓子パンを食べ終えると、丁寧に包みを畳んで結んでポリ袋に入れてからベッドの上で再び仰向けに転がり、「そういう状態がずっと続いてて、自分ではちゃんと食べたくても食べられなかったり、吐き戻したりしてしまうんです。だから人前であんまり食事もしないんだけど、このあともし吐いてしまったらごめんなさい」と言った。
続けて、「直人さん、このあとどうしますか」と。
「話理解するのに必死でまだおれ何も食ってないよ、おれが食べ終わるまでゆっくりしていればいい」
苦笑いして答えると、玲も顔だけこちらを向けて笑った。
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